高橋慶一朗(ユニ・チャーム会長)の履歴書

日経新聞の最終面に掲載されている「私の履歴書」。
3月はユニ・チャーム会長の高橋慶一朗さん。

生活に関係する商品を扱っている会社なので、
高橋慶一朗会長の話は勉強になります。
もうすぐ連載が終わってしまうのが残念なくらい。

会長は、昭和6年3月16日、愛媛県川之江市で生まれました。
川之江市は合併してなくなったけど、紙で有名なまちです。
一度行くと忘れられないくらい特徴あるまち。

私の履歴書では、生い立ちから語られていたので、
興味深い話はたくさんあったんだけど、
生理用ナフキン誕生の秘話はとくに興味深く、
また、古き良き時代を感じる話でした。

今でこそスーパーの店頭でも平積みされるほど
堂々と売られている生理用品ですが、
昔は、薬局薬品の隅で細々と売られていました。
そういう物は隠しておく方が美しかった時代です。
今では考えられないですよね。
そんな時代なので、生理用品のCMを流すのも一苦労だったようです。

1976年夏、ユニチャームは研ナオコをCMに起用しました。
当時、生理用品のCMは業界の自主規制で、
食事の時間帯、子どもが起きてテレビを見る時間帯、
家族が揃う日曜祝日にCMを流すことは禁じられていました。

また、有名タレントも生理用品のCMに出たがらない時代。
明るく元気なイメージの研ナオコでさえ難色を示したそうです。
会長は必死に拝み倒して説得。
そのCMが「まだお厚いのがお好き?」です。

私も覚えてます。このCM。
1976年と言えば、生理用品のお世話になり始めなので。
その頃、生理用品がそんなに気を遣われていたなんて
全く知らなかったし気づかなかったので、この話は新鮮でした。

生理用品を売り込む営業の話もおもしろかったです。
1963年、四国から中国地方に生理用品を売り込むとき、
女性の商品だから女性が説明したほうが良いと考えた会長は、
30代女性を一緒に出張に連れて行きました。
(逆算すると今は70〜80代女性)
彼女は、夫と子どもふたりの4人家族の働くお母さん。
今でこそ気軽に旅行できるようになった島国四国ですが、
まだ、四国と本州を結ぶ橋も完成していない時期です。

彼女は四国から出て行くのはこの出張が初めてでした。
子どもを残し出張に行くことに責任を感じた彼女は、
子どもに会いたいと汽車の中でぽろぽろ泣いていたそうです。
仕事中は、涙を拭いてとても頑張ってくれたけど、
会長は彼女のその姿を見て胸が痛くなったらしい。

この話が、私の履歴書に掲載された頃、
子育てもお金で解決!子育ても効率化!という番組を見たので、
母親の価値観もずいぶん変わってきたんだなぁと思いました。

浅田真央ちゃんが、お母さんの話をした時、
「お母さんは、自分のことは後回しにして我慢して、
いつだって子供のことを一番に考えてくれた」
と号泣しながら語っていたんだけど、
子どもは母親をちゃんと見て、それに答えたいと思ってるので、
効率化に走るのはほどほどにしたほうがいいと思うのです。
ましてや不倫に走る母親は言語道断。
母親の前に女でありたい気持ちもわかるけど、
不倫に走ったりするのも我満したほうがいいと思う。
最近の虐待事件のほとんどが継母や継父が絡んでるし。


高橋慶一朗会長のお母さまは立派な方でした。
子どものころ、母親に誉められたくて高橋少年は勉強を頑張った。
結果が悪かったときは、ちゃんと叱ってくれる母親だった。
予習復習は欠かさず、何でもノートに残し、
ノートに残す習慣は、大人になっても続き、
今も会社の執務室には700冊のノートがあるそうです。

そのノート、ぜひぜひ読ませて欲しい。
ものすごい知恵が詰まってそうで読みたい。

高橋慶一朗会長のお父さまがこれまた立派な方でした。
奨学金制度を作り、才能のある地元の子どもを支援したり、
川之江城の復興のため働き、水不足解消のために働き、
地元の人からとても信頼された人だったようです。

「うぬぼれてはいかん。視野の狭い世界や
自分の過去の姿を比較しても成長はできん」
と幼い頃から父親に教えられてきた会長は、
この教えをユニチャームの社訓に生かします。
「うぬぼれ、おごり、甘え、マンネリ」は、
“心の四つの落とし穴”
として戒めているそうです。

現状に満足していては成長できない。
勉強になりました\(^o^)/。

賢者から学ぶ心を豊かにする生き方