ほんの少しの勇気

新しい職場にすっかり慣れた秋のある日、私は生徒や幾人かの先生方と研修旅行に行くことになりました。
彼はその旅行の仕事を中心になってしていて、一緒に行くメンバーの一人でした。

無事にバスで出発した私たちは、目的地に向かって飛行機に乗りました。

そのとき、配られた搭乗券はあろうことか彼の隣だったのです。
私は彼を補佐しなければならない立場だったので、そばにいなければならないのはよく考えれば当たり前だったのですが、一瞬、「どうしよう。」って思いました。

目的地まで3時間。
きっと話しかけても話は続かないだろうし、気を遣っちゃうな。
仲の良い女性の先生が隣だったら良かったな。
すぐに寝たふりすれば気を遣わなくてすむかな。

そんなことを考えていました。

ところが、そんな心配は杞憂で、ちょっと言葉を交わしたら、思いの外、話が続いたのです。
最初は当たり障りのない仕事の話でした。
話の流れで、ふと思いだし、私は彼が机の上に置いてくれた伝言の話をしました。
「字がとても綺麗だったんですが、書道やってらっしゃったんですか?」
確かそんなことを訊いたと思います。
彼は私の質問に笑って「全然。」と答えた後、こう言いました。

「あの後、書き忘れたことがあって、でも伝える方法がないから、そういうときのためにメルアドを教えてもらうと便利だなって思ったんだ。」

その時に私は、自分の携帯を荷物と一緒に座席の上の棚に仕舞い込んでしまったことを思い出しました。
私のメールアドレスはとても長くて、すぐに思い出せるものではなかったのです。
「どうしよう。」と思っているうちに、話は全然別のことになってしまいました。

そして何と目的地までの3時間、私たちは寝ることもなく、話をし続けてしまったのです。


目的地についてから、私はずっと彼の言葉が気になっていました。
そしてホテルの部屋で自分の携帯から、メールアドレスをメモに書きうつしました。
でもすぐに途方に暮れてしまいました。
どうやって渡したらいいんだろう。
もうあの時からすごく時間がたってるし。
他の先生の目や生徒の目だってあるのに。

どうしたらいいのか分からないまま、私はそれをポケットに入れて、誘いに来た女性の先生とロビーの売店に行きました。
売店で色々お土産を見ていたとき、ふと目を上げるとロビーを一人で横切っていく彼の姿が見えました。
その時、たまたま一緒にいた女性の先生は、私から離れた場所で別の先生と話をしていました。

その瞬間、私は走り出していました。

「○○先生!」
彼の水色のシャツの後ろ姿がゆっくりこちらを向いたとき、私はメモを差し出しました。



・・・この時のことを、つきあい始めてから彼はこう言いました。
「すれ違いざまに渡してくれたんだよね。」

違うよ。
私は追いかけたんだよ。
ほんの少しの勇気を出して。
あなたを。





あげはの結婚体験談1月16日