あげはの結婚体験談です。

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終わりは始まり

彼と出会ってから、6回目の夏が終わりました。

今思い返すと、どの夏もそれぞれ思い出があります。
長かったようで、あっという間でした。

彼にも伝えたことはありませんが、彼と付き合い始めたときから、私の一番の夢は 「大好きな彼と結婚すること」でした。
私の母が結婚を承諾してくれたときに、言った一言があります。
「あげはが『この人じゃなかったら、私は絶対結婚しない』って言ったのが決めてだったわ。」

色々な出来事を経験し、色々な出来事を乗り越え、私は夢を叶えることができました。
どんなことがあっても、「彼を好き」という気持ちだけは折れずに持ち続けたこと、それを応援してくれる友達や大切な人がいたこと、それが私をここまで導いてくれたと思っています。

今、彼と一緒に暮らし始めて5ヶ月がたちました。
ささいなことで揉めたり、お互いのペースの違いにイライラしたり、生活をする中で色々なことがありますが、それでも、彼のことを好きな気持ちは、より深くなっています。
これからもっともっと、楽しいことも苦しいことも私たちを待っていると思います。
結婚式は終わったけれど、私たちの生活はこれからずっと続いていくのだから。


私が6年間願い続けてきた夢に、私は最高の形でたどり着くことができました。
でも道はずっと続いています。
終わりは始まり。

これからは2人一緒の夢を追いかけていきます。

ずっとずっと2人で。


今まで読んでくださって温かい励ましをくださった皆さま、本当にありがとうございました。
これからも、ももカフェ仲間として末永くよろしくお願いします。

久々の実家から皆さまに愛をこめて
あげは

9月11日 -



夢がかなった日

チャペルに足を踏み入れたとたん目に飛び込んできたのは、真っ白いバージンロードの向こうに光り輝く真っ青な空と海でした。


7月29日。
沖縄はびっくりするくらいの快晴でした。
前日かすんで見えていた水平線は、くっきりと青く光っていました。

午前中にサプライズな出来事がありました。
ホテルの部屋で、自分で一生懸命ネイルを塗っていたときです。
コンコン。
「お届け物です。」
びっくりして受け取ると、なんとそれは生徒からのウェディングベアでした。
タキシードとドレスを着た可愛いペアのクマ。
ついていたカードは滲んでしまって読めませんでした。

式の2時間前から、私はお支度をする部屋でメイクや髪型を整えてもらっていました。
そばには届いたばかりのオレンジと黄色のバラのブーケがあります。
真っ白なブーケと散々迷ったものの、オレンジと黄色が大好きな色であること、真夏の空と海には絶対映えるなと思ったことから、決めたブーケでした。
見たとたんに本当にイメージ通りのブーケで、「ああ、これで良かった。」と思いました。
メイクをしてくださる方には、「オレンジに映える色でお願いします。」と伝えました。

1時間後、鏡の中にはお姫様みたいな自分がいました。
「わぁ、白雪姫みたいですよ。」
スタッフさんが誉めてくれます。

緊張している主人と歩き方や腕の組み方、ベールのあげ方などをリハーサルしてから、神父さんとお会いしました。
神父さんとの打ち合わせを終え、扉を開けると、そこには主人以上に緊張した父が待っていました。
父の手で、ベールを下げてもらい、いよいよ入場です。

真っ白い扉が両側に開いたとたん、ベールごしに目もくらむくらいの美しい空と海が見えました。

父から主人の手に渡され、腕を組み、まず神父さんのお話から式は始まりました。
そして誓いの言葉。
主人のはっきりとした力強い声を聴いていて、思わず涙が(実は一緒に鼻水も)出てきてしまいました。
私の声は震えていたと思います。
私の右手は主人の左手にそっと添えていただけですが、主人のその腕がすごく頼もしく感じられました。


親族に囲まれて大好きな沖縄で、最高のお天気で挙げられた式。
今まで辛かった出来事も、色々乗り越えてきたことも、すべてすべて、今日この場所でこの人とこの日を迎えるためにあったんだと思いました。

遠くから見守っていてくださった皆さん、本当にありがとうございます。



最初で最後の最高の花嫁になれました。

8月6日 -



願いは必ずかなう

 すっかり奮闘記をご無沙汰してしまっていました。
 
 7月は私にとって仕事が一番過酷で忙しい月です。
 今年は特に忙しくて、7月の声を聞いたときには、やらなければならないことが山のようにあって、その山がどのくらいの大きさなのか自分でも分からないくらいでした。
 小さいネズミが、自分では大きさも分からないくらい巨大なチーズをただひたすら見えるところから囓っている、そんな毎日でした。
 「これを乗り越えたら挙式が待ってる。」その気持ちを胸に頑張ってきました。
 中でも最も辛い週を何とか乗り越え、気づいたら挙式まであと一週間を切っていました。
 そして気づいたらチーズは残り少なくなっていました。

 後は挙式に向かって、やるべきことを悔いのないようにするだけです。

 24日は主人と一緒に私の実家に旅行の説明をしに行きます。
 主人の実家には私は行けなかったので、主人だけに行ってもらいました。
 「私の実家も私だけでいいよ。」と言ったのですが、「けじめだから。」と2人で行くことにしました。

 25日には仕事があるので、それを終えてブライダルエステ。
 (仕事の合間をぬって、何とか2ヶ月間通ってきました。)
 
 26日には午前中美容院に行って、午後に最終エステ。
 27日の午前中に顔や背中を剃ってもらい、荷物の確認。
 28日の早朝にウェディングドレスやマリッジリングとともに沖縄へ向かいます。
 そして着いたらホテルのサロンでうち合わせ。
 29日の午後に式を挙げ、少し早い夕食を親族でいただきます。
 もしかしたら運が良ければ会食しながらサンセットが見られるかもしれません。

 主人からは「自分磨きに大変だね。」と言われていますが、やっぱり一生に一度のこと。
 手を抜いて後悔はしたくないので、ビューティ関係でやっておこうと思ったことは必ずやってから旅立ちたいと思っています。
 きのうは、1人で温泉に行き、アカスリと足の角質取りをしてもらってきました。

 式を挙げたら2日後に本島を離れ、2人だけで離島に渡ります。
 本島のハネムーンと言えるのは、多分そこからになると思います。


 今、挙式を寸前に控えて、「旅立つ前に冷蔵庫の中身を使いきらなくちゃ。」とか、「洗濯してから旅立たなくちゃ。」とか、主婦的なことをつらつら考えてしまうのですが、その一方で、いつも頭に浮かぶのは『本当に信じたことはちゃんと叶うんだな』ということです。  

 実は、私は主人との交際期間が長かったので、結婚が決まるまで「いつになったら結婚できるのか」とずっと悩んでいました。
 浮かぶのはネガティブな気持ちばかりで、何度も自分の部屋で泣きました。
 でも、そんな自分とお別れしようと思ったのが今年の新年を迎えるときです。
 新しい手帳を初めておろすときに、ふとある本で読んだことが頭に浮かびました。
 「叶ったつもりで予定を書くと、潜在意識が夢を叶えようとする。」
 私はそのときすごく前向きな気持ちになっていて、新しい手帳の一年間の予定を勝手に考えて書き始めました。

 3月に彼の誕生日がくるからそこで入籍。
 沖縄に行きたいって言ってたからすぐには旅行は無理だから夏休みかな。
 そうだ、7月のお誕生日までには指輪が欲しいな。

 無謀なこととか、ばかげたこととか思わないで、頭に浮かんだ「幸せ」を全部書きました。
 できるだけ具体的にイメージして。

 そして、その3日後に結婚への話が2人の間で決まりました。
 いざ、決まってからは忙しくてその手帳を開いて書き留めることがまったくなくなってしまいましたが、先週末に、ふと思い出して開いてみてびっくりしました。
 細かなずれはありますが、すべて書いたとおりになっているのです。

 自分では忘れていましたが、「こんな風に式をあげたい」って細かくイメージしてあるページもあって、当日持つブーケの色、髪に付ける生花のことまで決めたことと全部書いてありました。
 自分の気持ちだから当たり前のことかもしれませんが、目には見えない力を感じています。
 
 
 願いは必ず叶う。 

 私が願った一番の願いが叶うまであと少し。
 旅立つ前にもう一度ここに来たいと思います。

7月23日 -



本当の結婚奮闘記

結婚して二ヶ月がたちました。
実はこの二ヶ月の間、良く泣きました。

「結婚して男の人は変わる」と良く言いますが、私も彼が変わってしまったように感じました。
それはささいなことなのです。

あまり、手をつないでくれなくなった。
あまり抱きしめてくれなくなった。
好きって言ってくれなくなった。

確かに毎日仕事をして、そして家事も一生懸命してくれる主人に対してそれを求めるのは酷なことかもしれません。
でも、私にとってそれは自分が嫌われてしまったのではないかという、不安と恐怖を呼び起こすものでした。
このままスキンシップが減ってしまったらどうしよう。
セックスレスになってしまったらどうしよう。

ある日、爆発して言ってしまいました。
「私のことなんてもう好きじゃないんでしょう?」
「ちょっと待ってよ。」
主人は心底驚いた顔をしました。
「好きだから結婚したんでしょ?
俺は何にも変わっていないよ。
ただ、2人の関係がただお休みの日に会う関係じゃなくて、生活をともにするようになっただけ。
でも、環境が変わるってことは今まで通りにはいかないことだってあるよ。
生活するってそういうことだよ。」

頭では主人の言うことは良く分かります。
でも、納得できない自分がいました。
今考えると、私はマリッジブルーがまったくなかったので、それを結婚してから体験したのかもしれません。

情緒不安定になって、だいぶ主人に八つ当たりしました。
それは、結婚したらそういう奥さんにはなりたくないなと漠然と考えていた、そんな女性の姿そのものでした。
そんな自分がみっともなくて情けなくて、誰かに相談したいけれど、誰にも出来なくて、辛くて仕方ありませんでした。

ここ一週間、そんな情緒不安定な気持ちが少しずつ溶けていきました。
特に何かあったわけではないけれど、私の体と心が本当の意味で結婚生活にやっと慣れてきたのだと思います。

確かに付き合っているときのように始終ベタベタしていなくなりましたが、今は自然に未来の家の話もできる。
子供が生まれたらっていう話もできる。
自分の身体の不調なことさえ、私より先に気づいてくれたりする。
失ったものより、得たものの方がいっぱいあるのです。

今朝。
私はあまり寝起きが良くなくてぼぉっとしていました。
朝ご飯を食べ終わった後、主人がぱっと立ち上がって洗い物を始めました。
いつもは朝、主人の方が忙しいので私が洗い物をするのです。
「私、やるよ。」
「いいよいいよ、これくらい。」
そのとき、ふと思いました。
これが結婚してからの彼の愛情表現なんだな、って。

そう言えば、数日前、お夕飯を食べながら、私の料理の話になりました。
私はなるべく同じ料理を出さないように、少しずつ少しずつ手を変え品を変え、料理しているのです。
「暮らし始めてから、同じもの作らないように頑張ってるんだ。
出来合のものにもあんまり頼らないように。」
私が何気なく言った言葉に、いつもは美味しいとも不味いとも言わない彼が、ぽつんと言いました。
「うん、すごく頑張ってると思うよ。」

ささいなケンカはこれからもあるし、ぶつかり合えるからこその夫婦だと言う気もします。
でも、少しずつ2人で暮らす時間が重なって、2人にとっての気持ちの良い空間と気持ちの良い向き合い方ができてくるのだろうなと思います。

結婚奮闘記はまだまだ続きそうです。


☆沖縄の教会の写真をUPしてみました。
旅行の予約も大変でしたが、全員分何とか取りました。
教会から海が見えるんだろうな。
楽しみです♪

5月30日 -



衣装あわせ

 2人の生活もあっという間に3週間たちました。
 仕事も新年度を迎え、新生活とWスターだったので、思いの外疲れがたまっていたらしく、ここのところ体調がすぐれませんでした。
 でも、土曜日に日帰り温泉に出かけ、身も心も癒されたので、今週は元気です。

 さて、式の日取りが正式に決まりました。
 7月最後の日曜日に念願通り沖縄で挙げます。
 当初は参加できるか心配していた両家の親族も、どうやら参加できそうなので、みんなに旅行を兼ねて楽しんでもらえたらいいなと思っています。

 いよいよ衣装を決めなければということで、日曜日に衣装あわせに行って来ました。
 式は沖縄で遠方ですが、近くの代理店て色々決めることが出来るのです。
 まず、カタログから3着、気になるものを選び、着せてもらいました。
 一着目はずっと前から気になっていたマーメイドラインのもの。
 二着目はけっこう広がりのある豪華なもの(お値段は一番良かったです。)
 三着目はウエストと裾にアクセントのある真っ白なもの。
 すべて着てから、三着のうち「これはいらない」というのを一つ外すように言われました。
 これがとにかく迷うのです。
 主人は私と係りのお姉さんに促されて、言うとおりに写真を撮っていましたが、「どれがいい?」ときいても「好きなのにしていいよ」と言うばかり。
 マーメイドラインのものが以前からとにかく気になっていた一着だったので、迷いに迷って二着目を外してもらうことにしました。
  
 「他ので気になるものがあったら着てみますか?」という問いかけに他の二着を試着。
 四着目はアイボリーで肩がシンメトリーになっていて、ほわほわしたもの。
 悪くないし、すごく豪華だけれど何か違う・・・。
 五着目はホルターネックになっているもの。
 これを着て鏡を見た瞬間、「あ、これかも。」って思いました。
 主人に訊いたら、「いいんじゃない。」の声。
 それまで何も言わなかった彼のその一言で決めました。

 そして次は小物。
 ベールや手袋を一つずつ付けてみて、「ありか、なしか」で即座に決定していきます。
 これがとってもスピードが早くてついていくのが大変でしたが、何とか全部決めることが出来ました。
 総時間、2時間半。
 
 そしてその後、主人がタキシードを試着して、たった20分で終わりました。

 帰り道、「気に入ったのが見つかって良かった。」と言うと、主人が本音を。
 最初のマーメイドラインだけは本当はイヤだったそうです。
 そして彼としては三着の中で、二着目が気に入っていた(一番、ウエディングドレスらしかったから)のだけれど私がそれを外したので、内心、「もう何も言うまい。好きなのにしてもらおう。」と思ったらしいです。
 でも最後に五着目を見たら、素直にこれがいいと思ったそうです。

 2人とも気に入ったものを選べて良かったです。
 これから私のサイズ用に仕立て上げられるドレス。
 その記念すべき一着が写真のものです。
 
 

4月24日 -



ふたりの生活

27日に無事に引っ越し、主人(これが一番しっくりくるのでそう呼びます。)とのふたりの生活がスタートしました。
大きな家財用具は揃っていたとはいえ、暮らしてみると足りないものも多く、買い物をしたり、ふたり分の洋服やら身の回り品やらを片づけるのに、丸々2日かかりました。


まだまだ始まったばかりの生活ですが、生活してみて分かったこと。

その1 主人はホント手がかからない

・予想はしていましたが、唯一苦手な料理以外、何でもやってくれます。
きのうも午前中仕事だった私が家に帰ったら、掃除は全部済み、布団も干して、取り込み終わっていました・・・。(私のパジャマも干されてたたまれていた・・・。)
でも、私は案外「尽くしたがりや」なので、怒られそうなのを覚悟でいうと、ちょっと寂しいのです。
また、母がすべてをこなす「スーパー主婦」だったので、時折、彼にやらせている自分は「ダメ主婦」なのではないかという恐怖感が出てきてしまいます。
それを一度彼に話したら、「今まで家でもしてきたことばかりだから全然負担じゃないよ。」って言ってくれました。
こんなできた主人ですが、とにかく主人の中では「料理=難しい」という気持ちがあって、それだけはダメだそうです。


その2 ちょっとしたことを気にしない

・「暮らし始めたばかりで、もうそんなことを言ってるの?」って先輩主婦の方から怒られちゃいそうですが、長くおつき合いしても、生活してみて分かる些細なすれ違いってやっぱりあります。
自分には当たり前のことが相手にはびっくりすることだったり、相手が普通にしていることが自分には不思議なことだったり。
生活していくっていうことは、それを折り合って分かり合って、ふたりの形を新しく作っていくことなんだって結婚して分かりました。
細かいことをいちいち気にしていたらうまくいくものもいかなくなっちゃう。
だから、ちょっとしたことで流せることは気にしない。


その3 ショートケーキと卵焼き

・「何のこと??」って思われると思いますが、女性ってやっぱり結婚に夢を見ています。
私も多からずそうでした。
たぶん女性にとって結婚って「甘くて可愛くデコレーションされた自分だけのショートケーキ」。
でも、男性にとってそれは違うんだって分かりました。(あくまで良い意味で。)
男性にとって結婚って例えるなら「見た目はしっかりおかずだけど、食べてみたら実はほんわか甘くて懐かしくほっとさせてくれる卵焼き」。
もしかしたら、これは主人にのみ言えることかもしれませんが、ある意味、女性よりよっぽど現実的で生活していくことをしっかり考えている。
それは男性が基本的に「養う性」だからかもしれません。
かく言う私も、最初、「甘いショートケーキ的夫婦生活」を主人に毎日押しつけようとして、がつんとやられました。
あくまで「生活していくこと」がベースにあるので、毎日「甘々ショートケーキ」じゃ胃をやられますよね。
反省して目が覚めて、「卵焼き」モードにしてみたら、それはそれで穏やかであたたかく、でも地に足のついた毎日になりました。
ベタベタでもアツアツでもないですが、ほんわかな毎日です。

こんなふたりの生活です。

思いやりを忘れず、感謝を忘れず、素直に、謙虚に。
焦らずいこうと思います。


4月9日 -



彼からのメール

『僕の奥さんへ』


いきなりの別居婚だね。

でも何だか平安貴族みたいでいいでしょ。

でも、これからは本当にずうっと一緒だからね。

楽しいことは二倍。苦しいことは半分。

一緒に人生の終わりまで生きて行こうね。

そして、健康で幸福になろう。

よろしくお願いします。



○○(彼の苗字)あげは 様

3月26日 -



夫婦になった日

いよいよ入籍の日がやってきました。
入籍と同時に引越しをして、彼と住み始める予定だったのですが、急に26日に彼の仕事が入り、25日は籍を入れたら、それぞれいったん自宅に帰ることにしました。
彼は「ごめんね。でも別居婚っていうのもなかなか経験できないから。」って言っていました。
27日から一緒に生活し始めます。

きのうはいよいよ入籍だと思ったら、両親への感謝や、実家を離れることへの寂しさで、気持ちがいっぱいになってしましました。
以前、両親にプレゼントを渡してあったので、きのうはどうしようか迷いましたが、母に鉢植えのチューリップと手紙を渡しました。
父や母と色々揉めたこともあったし、「こんな家早く出たい。」と思ったこともありましたが、今は本当に心からありがたい気持ちでいっぱいです。
結婚を決めてから、両親の愛情をひしひしと感じる毎日でした。

婚姻届を何回も確認して、いよいよ窓口に行きました。
あっけないくらいに簡単に手続きは終わりましたが、係りの方に「奥さま」と呼ばれたのがとても嬉しかったです。
まだ挙式をしていないので彼も実感がわいていないようでした。
私もあまり実感がなかったのですが、今まで2人で歩いてきたことと、これから2人で歩いていくこととを、認めてもらったような気持ちがしました。

外に出ると、朝から降っていた雨があがり、お陽様がさしていました。
「さぁ、行くか。」と彼が言いました。
そのとき、不意に思いました。

あぁ、これから私たちの行く先はずっとずっと一緒なんだ。

それは言いようのない幸せな瞬間でした。

この日を迎えられたことと、迎えさせてくださったすべての方に心から感謝します。


☆コメントをくださったみなさん、ありがとうございます。
あとでお返事しますね☆

3月25日 -



夫婦になる日

無事に顔合わせがすんで、いよいよ入籍日を決めることになりました。
式は夏なのですが、先に入籍をと思ったのは、その方が仕事の事務手続き上、とても楽だったからです。
実際に入籍をして新生活を初めてから式の準備をすることにしたら、1つずつ物事を進めていけるということ、式について二人で決めていけるということ、2つの利点がありました。
最初は彼の誕生日の日にと思っていましたが、引っ越しもあるので、仕事の区切りがつく3月末か4月始めにしようということになりました。

そして入籍の日は私の母が一生懸命調べてくれて、「良い日だからこの日にしたら。」と勧めてくれました。

今、入籍を控えて色々な準備をしています。
今週は市役所に行って必要な書類を揃えるつもりです。
引っ越しも同時なので、住む予定である彼のアパートに徐々に荷物を運んでいます。
名字が変わるので新しい印鑑も用意しました。

でも、何よりも気持ちの準備ができてきた気がします。

顔合わせからちょうど一ヶ月後の3月25日、私たちは夫婦になります。

3月11日 -



両家の顔合わせ

今日、顔合わせをしてきました。
帰ってきたばかりで、これを書いています。

今日を選んだのは、いわゆる佳き日だったことと、両家の都合があったこと、予定していた会場が急だったにもかかわらず取れたことからでした。

私の家は、「簡単な顔合わせで良いし、結納金もいらない。」と言っていたので、『顔合わせ』という名目で会場を予約したのですが、彼の方では、形式はともかく結納品を渡したいと考えてくれていたようです。
その理由は、縁起物だし、披露宴をしないつもりなので、せめてここだけはしっかりしたいということでした。
でも一番の理由は、「自分の気持ちと誠意を形で示したい」という私の両親に対する彼の配慮だったようです。
また、結納返しについては、「欲しいモノはないし、お金で返してもらっても困るし、式の時のご両親の旅費にして。」と言ってくれました。
もちろん、後から結納返しをするつもりでいますが、何よりもこの顔合わせに対する彼の対応から、彼の気持ちや誠実さが見えて、本当に嬉しく思いました。
それは私の両親も同じだったようです。

まず形式は抜きにして結納品をいただき、その後、食事をしました。

帰りの車の中で母が「あったかいご両親で良かったね。」と言ってくれたのが嬉しかったです。

「この人で本当に良かった。」と心から思った顔合わせでした。

2月25日 -



約束の証

18日の日曜日、エンゲージリングを選びに行って来ました。

彼は「好きなのを選んでいいよ。」って言ってくれていたので、今までお誕生日やクリスマスに彼がジュエリーを買ってくれていた老舗のお店に行きました。
小さいお店なのですが、そこがかえって、『エンゲージ・マリッジ専門』という感じがなく、落ち着いて選べると彼は思っていたみたいです。

実は私の中に理想のリングの形がありました。
私は生まれつきなのとピアノを弾くのとで、指の関節がごつごつしているのです。
だから、ただまっすぐなリングだと、くるくる回ってしまうのです。
それに指が細いので、あまり重厚な感じのものは似合いません。
そういう理由から、自分の中では、Vの形か波形をしていて、あまり太くないものがいいなという気持ちがありました。

お店に入ってすぐ、1つのリングが目にとまりました。
それはあるブランドのものでしたが、私の理想に近いものでした。
私はモノとの出会いは直感だと思っています。
一生のモノをたった5分で決めるのは迷いもありますが、ここまで引きつけられるなら、その直感に従ってもいいかなぁと思っていました。
彼も「気に入ったのなら決めていいよ。」と言ってくれました。
そのとき、対応してくれていたお店の方が、「お節介ですが・・・。」とあることを勧めてくれました。

そのお店では、セミオーダーで全く同じ形のモノが、気に入ったダイヤで出来るというのです。
ブランドの名前はなくなりますが、その代わり、心から勧められるダイヤが付けられるとのことでした。

彼と相談して、結局セミオーダーで、世界で1つのリングを作っていただくことになりました。

このとき、生まれて初めて左手の薬指に指輪をはめてみました。

あと一週間すると私の元に約束の証がやってきます。

2月25日 -



ご挨拶

彼が私の家に来てくれたのは、一月の終わりの土曜日でした。

「一緒にご飯でも。」という母の言葉に、私は一日かけて部屋を掃除し、料理を手伝い、夕方彼を迎えに近くの待ち合わせ場所まで行きました。
早く着きすぎてしまったらしい彼は、落ち着かなかったようで、冬空の下、車をおりてスーツでうろうろしていました。
とにかくとても緊張しているのが伝わってきたので、私もドキドキでした。

家に着き、玄関でまず母に挨拶をし、菓子折を渡してくれたのですが、そのとき彼の手が震えているのに気づいてしまいました。
それから、父も入れて夕食になりました。

彼は終始、真摯な態度で両親と会話をしてくれて、私も最初は緊張していましたが徐々に落ち着くことができました。
ただ、彼が料理を口に入れようとすると、気を遣って父が話しかけるので、なかなか料理を食べるタイミングが掴めなかったようで、それが隣で見ていておかしかったです。

最後に父が「まず娘をご両親に会わせていただいて、その後で私たちも会いたい。」と言ってくれ、彼が「よろしくお願いします。」と頭を下げてくれました。

両親とも、彼の印象がとても良かったようで、特に父は普段聞いてもらえない仕事の話を彼が一生懸命聞いてくれたのでご機嫌でした。



そして今日、私が彼のお宅にご挨拶にうかがいました。
とてもあったかいご家庭で、彼のお兄さんやお姉さん、甥っ子さんや姪っ子さんまで総出で出迎えてくれました。

彼の人柄や誠実な態度は、このご家庭だから生まれたのだなと思い、嬉しくなりました。

姪っ子さんが今朝、「家族が増えるんでしょ。」って言っていたそうです。
今日、私も改めて「ああ、こんな風に家族って増えていくんだな。」と思いました。
それはとてもとても素敵なことに思えます。


これで挨拶が済んだので、これから両家の顔合わせをする予定でいます。
入籍は当初の予定より遅れますが、なるべく春休み中にはと思っています。

最近、彼と会うたびに、以前と気持ちが変化したのを感じます。
自分の気持ちが穏やかになり、彼を愛おしく思う気持ちが増えました。
今は、「この人とこれから一緒に住んで、一緒に人生を歩いていけるんだ。」と思うと、その安心感と幸せに涙が出ます。

恥ずかしいですが、私、幸せです。

2月12日 -



母との話し合い

 母に打ち明けたのは、彼と話し合ってから二日後でした。
 
 プロフィールにも書きましたが、母は私を夢を持って育ててくれました。
 「こんな子になって欲しい。」
 「こんな生活をしてほしい。」
 高校生くらいまではそう思われていることに何の疑問も感じず、ぬくぬくとぬるま湯のような生活でした。
 私は反抗期もないままだったように思います。
 でも、大学に入り、一人暮らしをしてみると、今まで甘えていたことが分かった反面、自分の価値観が生まれました。
 そのころから母との考え方の違いに悩むようになりました。

 今考えると、母の「こういう人と結婚して欲しい」という理想を私はずっと知りながら、話し合うことを避けていたように思います。
 それは母を傷つたけたくないという気持ちからではなく、単に自分が母にしっかり伝えきれるだけの論理性や自信を持っていなかったからでした。

 でも、いざ母に打ち明けた時、 母からは予想通り、感情的な反応が返ってきました。
 私はできるだけ感情的にならずに冷静に話すように努力しました。
 感情的になって自分の気持ちを訴えても、それは説得ではないことが分かっていたし、何よりも「これだけは譲れない」という思いと強い自信を抱いていたからです。

 そして一週間話し合った後、母は私の気持ちを受け入れてくれました。
 それもにこやかに。
 そのときは本当に嬉しかったです。

 すんなり「いいよ、おめでとう。」と言ってもらえなかったことは、私にとって辛いことでしたが、そのおかげで私は彼の良いところや何故結婚したいのかを見つめ直すことが出来ました。
 そしてそれだけではなく、これからどんな生活がしたいのか、どんなふうに家庭を築いていきたいのかを冷静に考えることが出来ました。
 このことがなかったら、私は単に彼と一緒にいられる喜びだけで結婚してしまったかもしれません。
 
 結婚は生活であって生きることそのものであると、改めて気付かせてくれた母に心から感謝しています。。   

2月9日 -



未来への階段

2007年を迎えて最初のデート。
恒例になっている初詣に行きました。
実は初詣は私にとって鬼門で、去年も一昨年も、初詣の帰りにケンカをしてしまったのです。
それもすごくくだらないことで、私のわがままが原因でした。
だから今回は過ちを繰り返さないようにと決めていました。

今回は何事もなく初詣から帰ってきて、彼の部屋で話をしているときでした。
年賀状の話から、ふと「来年は連名になるといいね。」と私が口に出したのです。
彼が『3月に誕生日を迎えるときが結婚を考える目安だなぁ。』と以前言っていたことをふと思い出してのことでした。
今までだったら、何となくそのまま終わるでしたが、そのとき彼は私に訊いてきたのです。
「俺から見るとあげはちゃんはずっととても忙しそうに見えるんだ。仕事以外にもやっていることがあるし。もし、結婚したら今まで通りの時間はないかもしれないけれど、それでもいいの?」
私は迷わず答えました。
「結婚したら、私は家庭を一番の優先事項にすると思う。他のことをやめてしまうということではなくて。
その時その時で時間の使い方は変わるし、それは二人で考えれば良いと思うよ。」
「・・・うん、良く分かった。」
寝っ転がっていた彼が起きあがって言葉を続けました。
「・・・結納ってするのかな。」
「う〜ん、私もどうするのが正しいのか分からないんだけれど・・・。」
結納の話から、どんどん話が広がっていきました。
1月中には私の両親にあいさつ。
入籍はできれば3月中に。
式は夏休みに二人でずっといいねと言っていた沖縄で。
そうして、突然話は具体的になったのです。
プロポーズの言葉とはっきり言えるものはなかったのですが、何だかそれも私たちらしい気がしました。
何しろ散々私は彼に結婚を匂わせていたし、彼はプロポーズっぽいことをそれまでに言ってくれていましたから。

帰り道、車を運転しながら私の頭の中は結婚することになった嬉しさよりも、これからしなければいけないことでいっぱいでした。
結婚することの実感がわいてきたのは一週間くらいたってからです。

こうして私たちは未来への階段を1つやっと上がったのでした。

2月3日 -



恋人以上結婚未満

苦しかった一ヶ月を越えてから、私は彼に素直に甘えられるようになりました。
このときのことがあったからこそ、私は彼と絆を深めれらたのだと思います。
今度こそ、二人で歩いていく未来が確かにイメージできました。
彼はけして言葉が多い人ではないのですが、ときどき心に響く言葉を言ってくれることがあります。
危機を越えてからの彼は、たびたび私との未来を口にしてくれました。

彼とまた戻れたことに心から感謝していた私でしたが、付き合いだして2年を迎える頃、漠然とした焦りを感じるようになりました。
それは彼の口にしてくれる二人一緒の未来、彼と結婚するときがいつ来るのかということでした。

彼は本当のことしか口にしません。
その場のノリや雰囲気で軽く想いを言う人ではないのです。
だから、いつか彼と結婚する未来が必ず来ることを私は信じていました。
そのことに不安はなかったのです。
でも、そんな慎重な彼だからこそ、「いつ」ということをなかなか口にしてはくれませんでした。

そして付き合って3年がたつと、私の焦りはもう漠然としたものではなくなりました。
30歳までに結婚したいなと考えていたボーダーラインはいつしか越えてしまい、友達が結婚していきます。
それまで恥ずかしながら、「結婚を焦る女にはなりたくない。」と思っていた私が、気づくと毎日「どうして私は結婚できないのだろう。」と考えていました。
夜、一人で部屋にいると泣けて仕方なかったのもこの頃です。
プロポーズされない自分に価値はないのかなとまで思い詰めていました。
彼といてとても幸せなのに、その一方で不安と不満を抱えた自分がいる。
その気持ちを耐えきれなくなって良く彼にぶつけました。
そのたびに彼は「大丈夫。」とは言ってくれるものの、やっぱり明確に「じゃあ、いついつに。」とは言ってくれません。
私がどんなに泣きわめいてもたじろがず、すべて受け止めてくれる彼の優しさに感謝しながらも、彼の慎重さにイライラして、自己嫌悪に陥ることの繰り返しでした。

今、冷静に振り返ると、当時の私はすべて「自分目線」だった気がします。
彼と一緒にいたいという気持ちだけは強くありましたが、それだけでした。
結婚は生活していくこと。
二人で生活をしていくには私は「一緒にいたい」気持ちの他に、もっと考えなければいけないことがあったのです。
当時の彼は私のそんな欠けている部分に気がついていたのかもしれません。

恋人以上結婚未満。

「未満」がいつ取れるか分からないけれど、彼が大切なことに変わりはない。
だったら、せっかく会える日を泣いたり文句を言ったりせずに「今」を楽しもう。
まるで憑き物が落ちたようにそう思えたのは去年の暮れのことでした。

そして清々しく迎えた新年。
話が一気に進むことになるのです。

1月28日 -



彼の気持ち

何が何だか分かりませんでした。
連絡が取れなくなって一日、二日・・・。
最初は「具合でも悪かったのかな。」と思いました。
でも、三日、四日とたつうちに、不安が膨れあがりました。
彼は普通に出勤していたし、仕事では普通に見えました。
それなのに、今まで毎日のように届けてくれていたメールは全く来る気配がありませんでした。

辛くて辛くて気が狂いそうでした。
何度メールしても何度電話しても、彼がそれに応えてくれることはありませんでした。

そして一ヶ月。
バレンタインの日に私は彼のアパートに行きました。
当時、彼はアパートを借りていたものの、実家に住んでいたのでそこにいないことは分かっていました。
バレンタインの贈り物を持って、玄関に入り、そこでメッセージを書きました。
本当は「さようなら」を書くつもりでした。
私に一生懸命向き合ってくれた彼が一ヶ月連絡をしてくれないということは、やっぱり彼が私から離れたがっているということだと思ったからです。
それを私に言えないで苦しんでいるのなら、私から言おうと思いました。

でも、どうしてもどうしても「さよなら」が書けませんでした。
だから、「ずっと好きです」と書きました。
すごく素直にそう思ったのです。
たとえ彼がもう私に向き合ってくれなくても、二度と会ってくれなくても、ずっと彼が好きだと思いました。

それから数日後、彼から手紙が届きました。
そして彼の気持ちが分かったのです。
『辛かったことをずっと言えなかった。』という私のメールが彼を苦しませていたのでした。
私が辛いことに全く気づかずに自分だけ甘えていたことを彼はひたすら謝っていました。
私が彼に甘えられないのは、自分が不甲斐なく頼りないからだとも。
こんな自分では幸せにしてあげられないと手紙には書いてありました。

手紙を読んだ瞬間、私は電話の前に走りました。
携帯に出てくれないことは分かっていたので、直接実家に電話しました。
そしてお母さんにつないでもらい、一ヶ月ぶりに彼の声を聞きました。

とにかく一生懸命でした。
彼を失いたくない一心でした。

「よく考えた方がいいよ。もっと自然体で無理しなくても甘えられる人がいるんだよ。俺じゃ駄目だって事だよ。」
そう言い張る彼に言いました。
「もう一人で考えるのはやめようよ。二人で考えよう。あなたじゃなきや駄目なんだよ。」

そして次の日、私は彼に会いに行きました。
顔を見た瞬間、涙がとまらなくなって、彼にしがみついていました。
「どこにも行かないで。」
声にならない声でそういったことを覚えています。
「馬鹿だなぁ。もっと素敵な人がいるのに。本当に馬鹿だなぁ。」
そう涙声で言ってから彼はこう言ってくれました。
「もうどこかに行ってって言っても離れないからね。」


この苦しかった一ヶ月の間、私はももカフェで出会ったお友達にいっぱい励ましてもらいました。
普通だったら駄目になっていたかもしれない私たちの赤い糸が、あと少しのところで切れなかったのは、私を応援してくれた方たちのおかげだと思っています。

一ヶ月で私のジーンズはすっかりブカブカになっていました。
それがぴったりに戻った今でも、このときの苦しさと戻れたときの喜びは忘れません。

1月27日 -



突然の出来事

 それは1月半ばのことでした。
 
 当時、私は劇団に入っていて、公演を一週間後に控えていました。
 毎日の仕事と毎日遅くまでの練習。
 彼に会う時間はほとんどありませんでした。
 その日は土曜日で私は朝から劇団の練習に行くはずでした。
 ところが、どんなに頑張ろうと思っても身体が重くて布団から起きあがれなかったのです。
 ふと手を見ると、そのときまで全く気づかなかったのですが、両手の爪が欠けてガタガタになっていました。
 私は昔から頑張りすぎてしまうことがあって、自分の身体や心の調子を考えられないことがあります。
 そのときも私の身体は限界ぎりぎりで悲鳴をあげていたのです。
 急に涙が出て止まらなくなりました。
 どうして今まで普通にしていられたのか分からないくらい、実は心も辛かったのです。
 そして私はその心の辛さを見てみないふりをしていたことに気づきました。
 
 辛いと意識してしまうと動けなくなるから。
 誰かに甘えたくなってしまうから。
 そして、一番甘えたい彼には迷惑をかけてしまう気がして甘えられない。
 だから、自分は大丈夫って思っていたのです。

 でも、気づいてしまったそのとき、私はもう耐えられなくなって今までせきとめていた想いを全部、彼にメールでうち明けました。

 『本当は辛かった。
 辛くてたまらなかったけれど言えなかった。』

 そうメールをして、私はどこかで期待していました。
 彼が優しい言葉をかけてくれるのを。
 でも返事が来なかったのです。

 そして、それから彼からの連絡は途絶えたのでした。
 メールをいくら送っても、電話をいくらかけても、一切連絡が取れなくなってしまたのです。  

1月26日 -



幸せな時間

それから私たちはつきあい始めました。

彼からのうち明け話にはびっくりすることがたくさんありました。
旅行の時、飛行機の席が隣だったのは、彼がそうしたこと。
彼がなかなか目を合わせてくれなかったのは、私のことを嫌いだったからではなくて照れていたということ。
謎が解けたような気持ちとともに、私のことを見ていてくれたということがとてもくすぐったくて、嬉しくなりました。

毎日のメール。
ときどき電話。
彼の新たな面を知るたびに、どんどん惹かれていく自分がいました。
毎日が楽しくて、夢のようでした。

初めてのデート。(食事をしに行って気づいたら4時間たっていました。)
初めて車に乗せてもらったときのこと。
初めて手をつないだときのこと。
初めてのキス。

少しずつ少しずつ、距離が縮まっていくのが本当に嬉しくて幸せで、私は何回涙ぐんだか分かりません。
そのたびに彼は私が悲しいのかと勘違いして、おろおろしながら「大丈夫だから泣かないで。」と抱きしめてくれました。

あっという間に一年がたち、私の気持ちは深まる一方でした。
このまま彼と未来へ向かって歩いていけると思っていました。
何を心配することもなく。
ふたりで歩いていけると信じていました。

でも、ふたりで迎える二回目のお正月の後に、思いがけない危機が私を待っていたのです。

1月25日 -



運命の火曜日

時間にしたら30分くらいですが、私には3時間くらいたったように思えました。

携帯が彼からのメール受信を知らせました。
ドキドキしながらメールを開きました。

『ありがとう。すごくびっくりしました。でも良く考えて。もっと若くて素敵な人がきっと現れるよ。』

目の前が真っ暗になりました。
何を期待したんだろう。
どうして側にいきたいなんて思っちゃったんだろう。
「欲張りあげは」になんてならなければ良かった。

『ごめんなさい。忘れてください。私は恋愛対象にならないってことですよね。明日から普通にするから大丈夫です。』

やっとの思いでそれだけ返信すると、すぐに彼から返事が来ました。

『そうじゃない、そうじゃないよ。あげはさんのことは好きだよ。ずっとずっと好きだったんだよ。』

そして彼の本音がその後に書かれていました。

人には自信がある人間のように思われるけれど、自分に自信がないこと。
だから人に対して壁を作ってしまうこと。
私にも近づくことをためらったこと。
でも、止められずに近づいてしまったこと。

『自分がたいしたことないのはよく分かってるから、付き合ったらあげはさんを後悔させてしまうかもしれない。それが怖いんだ。』

それを読んだとき、すべての謎が解けた気がしました。
彼が冷たく見えた訳も、そして私が彼に惹かれた訳も。
私はいつからか、自信があるように見える彼のその後ろに、傷つきやすいコンプレックスを抱えた彼がいることに気づいていたのです。

私はすぐに返信をしました。


『絶対後悔なんてしません。
それより、このままあきらめたら、ずっとずっと私は後悔します。』



あと少しで日付の変わる火曜日の深夜。

私たちは恋人になりました。



1月19日 -



深夜の告白

初めてのメールは、メルアドを渡した日の夜に届きました。
3泊した旅行中、夜になると彼からメールが届き、それに私が返事を返すという形でメール交換が続きました。
メールの中身は「明日も頑張りましょう。」というような当たり障りのない内容でした。
昼間、顔を合わすとお互いメールのことには触れないので、それが秘密を共有しているみたいな変な感じでした。

そして3泊した後、また飛行機の中でおしゃべりをして帰ってきました。

帰ってきてからもメールのやりとりが続きました。
仕事の時のピリピリした印象とは違って、彼のメールは楽しくて優しいものでした。
私の中の「冷たい人」という印象は消えつつありました。
そしていつしか彼からのメールが待ち遠しくなりました。
メールの返事が来るのを待ちきれなくて、お風呂の外に携帯を置いてお風呂に入ったこともありました。
「いつから」とはっきり言えないけれど、私は彼に惹かれていました。

そして旅行から帰ってきて二週間後。
その頃にはメールの内容はすっかりお互いの私的なことになっていました。
その日、私はふとしたことから、以前、代表で授業をしたときに彼に言葉をかけられたことを思い出したのです。
そのときのお礼が不意に言いたくなりました。
きっと彼にとっては些細なことだっただろうけれど、私にとって彼の言葉はとても影響力があったからです。
そして飛行機の中では上手に言えなかったけれど、机の上に置いてくれたメモがとても読みやすくて感動したことも一緒にメールに書いて送りました。
すると返事がすぐに返ってきました。

『すごく良く覚えてるよ。あのとき何か言わなくちゃって思ったけれど、言うチャンスがなくて、いざ言えたらたいしたこと言えなくて格好悪いなって思ってた。
メモはね、何度も何度も書き直したんだ。
直接だとうまく話せないのは分かっているから。
何回も紙を捨ててたから隣の席の先生に変な目で見られた。
そして、あげはさんの書いてくれた返事はまだちゃんと持ってるよ。
机の引き出しのなかにしまってあって、こっそりたまに見てる。』

それを読んだとき、呼吸が一瞬とまりました。
そして私の中で「欲張りあげは」が顔を出しました。

私は彼のことが好き。

それは急にわき上がってきた強い強い想いでした。
その気持ちが膨れあがって窒息してしまいそうでした。

今、伝えなくちゃ。

彼のそばにいたいって伝えなくちゃ。
決心が鈍らないうちに。

私は震える手で送信ボタンを押しました。



1月18日 -



ほんの少しの勇気

新しい職場にすっかり慣れた秋のある日、私は生徒や幾人かの先生方と研修旅行に行くことになりました。
彼はその旅行の仕事を中心になってしていて、一緒に行くメンバーの一人でした。

無事にバスで出発した私たちは、目的地に向かって飛行機に乗りました。

そのとき、配られた搭乗券はあろうことか彼の隣だったのです。
私は彼を補佐しなければならない立場だったので、そばにいなければならないのはよく考えれば当たり前だったのですが、一瞬、「どうしよう。」って思いました。

目的地まで3時間。
きっと話しかけても話は続かないだろうし、気を遣っちゃうな。
仲の良い女性の先生が隣だったら良かったな。
すぐに寝たふりすれば気を遣わなくてすむかな。

そんなことを考えていました。

ところが、そんな心配は杞憂で、ちょっと言葉を交わしたら、思いの外、話が続いたのです。
最初は当たり障りのない仕事の話でした。
話の流れで、ふと思いだし、私は彼が机の上に置いてくれた伝言の話をしました。
「字がとても綺麗だったんですが、書道やってらっしゃったんですか?」
確かそんなことを訊いたと思います。
彼は私の質問に笑って「全然。」と答えた後、こう言いました。

「あの後、書き忘れたことがあって、でも伝える方法がないから、そういうときのためにメルアドを教えてもらうと便利だなって思ったんだ。」

その時に私は、自分の携帯を荷物と一緒に座席の上の棚に仕舞い込んでしまったことを思い出しました。
私のメールアドレスはとても長くて、すぐに思い出せるものではなかったのです。
「どうしよう。」と思っているうちに、話は全然別のことになってしまいました。

そして何と目的地までの3時間、私たちは寝ることもなく、話をし続けてしまったのです。


目的地についてから、私はずっと彼の言葉が気になっていました。
そしてホテルの部屋で自分の携帯から、メールアドレスをメモに書きうつしました。
でもすぐに途方に暮れてしまいました。
どうやって渡したらいいんだろう。
もうあの時からすごく時間がたってるし。
他の先生の目や生徒の目だってあるのに。

どうしたらいいのか分からないまま、私はそれをポケットに入れて、誘いに来た女性の先生とロビーの売店に行きました。
売店で色々お土産を見ていたとき、ふと目を上げるとロビーを一人で横切っていく彼の姿が見えました。
その時、たまたま一緒にいた女性の先生は、私から離れた場所で別の先生と話をしていました。

その瞬間、私は走り出していました。

「○○先生!」
彼の水色のシャツの後ろ姿がゆっくりこちらを向いたとき、私はメモを差し出しました。



・・・この時のことを、つきあい始めてから彼はこう言いました。
「すれ違いざまに渡してくれたんだよね。」

違うよ。
私は追いかけたんだよ。
ほんの少しの勇気を出して。
あなたを。





1月16日 -



二人の距離

その出来事があってから、少しだけ彼のことが怖くなくなりました。
まだ、あまり話しかけることはできなかったけれど、何となく「冷たく感じるけど、無神経な人じゃないな。」と思うようになっていました。

そんなある日、私が仕事を終えて遅い時間に職員室に戻ると、そこには彼ともう一人の先生だけが残っていました。
その日は金曜日で、仕事のプレッシャーから解放されるうれしさから、私は何の気なしに近くの席だった彼に話しかけたのです。
彼は相変わらず顔をこちらに向けませんでしたが、返事はしてくれました。
時間にして20分くらい。
それほど話したのはそれが初めてです。

その時、もう一人の先生が好意から、「二人とも、話すならどこかご飯でも行ったらどう?」と声をかけてきました。
私はその提案にびっくりして、何だか急にしどろもどろになってしまいました。
彼は、意に介さない様子で上手に言い訳をし、結局三人とも帰ることになりました。

帰り道。
さっきまでの彼の様子に「あ、やっぱり。私のことなんて気にもとめてないんだろうな。」という気持ちと同時に、どこか寂しい気持ちがあることに気づきました。
でも、それが「好き」という気持ちなのかは、自分にもまだ分かりませんでした。


その次の週、彼は出張に行かなければならない日がありました。
その日に彼から引き継いで私がやっておかなければならない仕事があったのですが、気づくと彼は出かけたあとでした。
「あの仕事どうするんだろう。」と思っていると、私の机の上に一枚の紙が置いてあるのが目にとまりました。

それはおどろくほど綺麗に、そして丁寧に書かれた彼からの伝言でした。

私はそれが何だか嬉しくて、その仕事を終えた後、同じように伝言を書き、彼の机の上にのせました。
そして彼からの綺麗で丁寧な伝言を捨てるのがしのびなくて、自分の机の中にそっとしまいました。


今考えると、こうして少しずつ少しずつ、二人の距離は縮まっていたのです。

1月14日 -



冷たい人

そうして私と彼は出会いました。

彼がチーフである仕事をお手伝いしなければいけない他、他の場面でも彼と係わることがあるのをその時知りました。
彼を始めて見たとき「かっこいい人だな。」と思ったのですが、その時の私は自分のそういう気持ちよりも、「彼に迷惑をかけないように仕事をしなければ。」という気持ちでいっぱいでした。

それからの私は新しい職場に一生懸命慣れながら、彼をお手伝いしようとしました。
でも、彼の反応があまり良くないのです。
気を利かせたつもりで申し出たことも断られたり、用事があって話しかけても答えは返ってくるものの、顔を向けてくれなかったり。
最初は「どうしてなんだろう。何か私が悪いのかな。」と悩んでいた私も、そんな状態が続くと彼のことを「冷たい失礼な人だ。」と思うようになっていました。
話しかけても良い返事が返ってこないことが怖くて、いつしかあまり話しかけることもなくなりました。

そして半年がたった頃、私が学校の代表で授業をしなければならない日が来ました。
少し職場には慣れてきたとはいえ、まだその職場に来て半年くらい。
うまくいくのかとにかく不安で、前日はあんまり眠れず、その日も朝から緊張して落ち着かない気分でした。
いよいよ授業の時間。
まわりの先生方がみんな「頑張ってね。」って言ってくれます。
何とかそれに笑顔で応え、教室に向かおうと歩いていたとき、廊下の向こうから彼が歩いてくるのが分かりました。

何だかイヤだな。
どうせ私が授業することなんて忘れてるんだろうな。

そう思って下を向いてすれ違おうとしたとき、不意に声をかけられました。

「気楽にやってください。誰だって緊張するし失敗して当然だから。」

それだけ言って彼は通り過ぎて行きました。

私は話しかけられたたことにびっくりして、思わず一瞬その場で立ちつくしてしまいました。
そしてその時思いました。

あ、私失敗していいんだ。
それで人生が終わっちゃうわけでも何でもないんだ。

身体の力がすっと抜けて楽になりました。
その日初めてちゃんと呼吸ができた気がしました。

授業は驚くほど落ち着いてでき、私は走って教室から戻りました。
落ち着かせてくれた彼にお礼を言いたい気持ちでした。
でも、彼は私にまた目を止めることもなく、何事もなかったように仕事をしています。
それはいつもの「冷たい人」な彼でした。

でも、私の中で「冷たい人」だった彼の定義がちょっとだけ変化した日でした。

1月14日 -



出会い 

2002年の春、私はその日から働くことになる新しい職場の駐車場に車を止めました。
前の学校より少し小さいその学校の門をくぐったときと気持ちは、今考えても不思議ですが、すごく心地良いものでした。
「あ、私、この場所と相性いいかも。頑張れそう。」って思ったのを覚えています。

学校に入ると、前任者の先生が待っていてくれました。
幾つか引き継ぎをした後、不意にその先生が言いました。
「忘れてた、もう一つ大切な引き継ぎ事項があるんだけれど、ファイルが向こうにあるんですよ。」
先生は立って歩き出しました。
その先生の歩き方があまりに速くて、私はあわてて席を立つと、ちょっと小走りで後を追いかけました。
先生は歩きながら話しています。
「この仕事の係のチーフは決まってるんで、その人と相談してくださいね。あれ、ちょうどいたいた、○○さん!」
そのとき、やっと追いついた私の目に、その○○さんの姿が飛び込んできました。
少しラフな格好をした身長の高い男の人。

それが彼でした。

1月12日 -



はじめに

今回、奮闘記を書かせていただくことになりました、あげはです。

私と「ももカフェ」の出会いは7年前になります。
私にとって「ももカフェ」は、お母さんみたいに優しく何でも受け止めてくれて、お姉さんみたいに色々な悩みにアドバイスをくれる場所でした。
そして、かけがえのないお友達もできた場所です。
ここに集まってくる方達はみんなとてもあったかくて、素敵な方達ばかり。

その「ももカフェ」に、こうして結婚までの道のりを書かせていただけることになって、本当に嬉しいです。

奮闘記の言葉通り、ドタバタ「奮闘」する姿をお見せすることになるかもしれませんが、これからよろしくお願いします。

1月12日 -



Link

結婚奮闘記

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