えりなの結婚体験談です。

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私と彼、そしてダンス

はじめまして、えりなです。
これから結婚奮闘記を書かせて頂きます。

奮闘記をはじめるにあたり、私と彼、そして二人を結ぶきっかけとなった「ダンス」について書かせて下さい。


私は幼少時代からモダンバレエを習ってきました。
最初は内股だった私の足を強制するために母が習わせたのがきっかけでしたが、すぐに踊ることが大好きな子に、というより、踊ることが生活の一部になっていきました。

4歳から名古屋を離れる24歳まで、同じ舞踊団に所属し、20年間ずっとずっと踊ってきました。
モダンバレエだけでなく、ジャズ、ヒップホップ、タップダンスなどなど、様々なジャンルにも挑戦しました。

一方で、彼(以下、モリさん)は全くダンスとは縁がない、勉強一筋の真面目な子として成長。
神戸で育ったモリさんも大学進学で上京し、そつなく授業をこなしていきましたが、何か研究以外のことにコミットしようと決め始めたのが、競技ダンス(社交ダンス)でした。

大学院を出るまでの4年間、とにかく踊り続けたモリさん。
shall we dance?のようなモダンを専門とした彼は、競技ダンス部の主将を務め大会でも活躍するように。
ダンスによって人間的にも変わったモリさんは社会人になってもダンスを続けます。

私にとって(多分モリさんも)踊ることは、生きがいです。踊っている時が一番幸せ。

そんな私が大学院進学で上京することになり、ひょんなことから始めたのが



サルサ



でした。


そして、そのサルサカンパニーには、競技ダンスを辞め、モダンからラテンダンスに移行したモリさんがいたのでした。

12月28日 -



思いがけないキス

同じダンスカンパニーにチームメイトとして私と彼は出会いました。

とはいえ、年齢も6こ離れていたし、彼はなんだかとても大人に見えました。
当時まだ大学院生だった私にはなんとなく遠い存在だったし、(嫁となった今自分で言うのもなんですが・・・)カンパニー内でもモテモテの彼だったので、私は遠くから見ているような感じでした。

そんな二人の関係に変化が訪れたのは、彼と出会って約1年が経とうとしていた頃。
練習で会えばもちろん話すけれど、ただのチームメイトだった私たち。
恋愛沙汰の噂が絶えない彼のことを、すごいな〜と思っていたし、私は私でちょうど失恋した時期で、もう当分恋はいいやと思っていた頃でした。

ダンスカンパニーのイベントは定期的にあるのですが、その日もみんなで踊って、お酒も入り、わいわいしていました。
お酒の苦手な私はいつもソフトドリンク専門なのですが、その日はなぜか勢いでシャンパンを飲み、いい感じに酔っ払っていました。

私と彼はいつものように普通に話していたつもりなのですが・・・
ひょんなことからトイレの前で鉢合わせ、どちらからともなくキスをしてしまったんです。


彼は素面だったよと後から聞かされたのですが、今でもなんであの時キスしたのだろう、と不思議でたまりません。笑
多分、失恋した寂しさをまぎらわしたかったのかなあ。。。
もしかしたら、モテモテのこいつの唇を奪っといてやろうくらい思っていたのかも。酔ってたし。。。


何はともあれ、単純な私です。

1回だけのなんでもないキス、、、

のはずが、そこから妙に彼のことを意識するようになってしまったのです。

12月26日 -



はじめてのデート

思いがけないキスをしてしまったその日から、私は妙にモリさんを意識するようになりました。

同じサルサチームなので毎週1度は顔を合わせます。
そして気づけば、なんとなく彼が練習後に車で家に送ってくれるようにまでなっていました。(他のチームメイトも一緒だったけれどね)

なんだかこのままだと、酔った勢いでキスした軽い女子と思われるんじゃないかと妙に不安になった私は、思いきって彼を食事に誘いました。
あのキスの日のことはともかく、彼のことをちゃんと知りたいという気持ちもありました。


はじめてのデートは、六本木のある焼鳥やさん。
なぜか思い切りお洒落して、一番高いヒールの靴をはいて・・・今思うととても背伸びしていました。

彼はいつも通りの彼。
でも、その日はふたりきりだから、仕事の話や、学生時代の話など、いろんなことを話しました。

サルサチームでは、とにかくモテるチャラい人という印象だったけど、
ちゃんと話してみると、とても真面目で、常識があって、思いやりのある、素敵な人でした。


そのギャップに、とてもドキドキする私がいました。


はじめてのデート以来、二人の距離は一気に近づいたのでした。

12月25日 -



友達以上、恋人未満

はじめてのデートから、頻繁に会うようになった私たち。

もちろんサルサの練習でも顔を合わせるけど、レッスン後にこっそりご飯に行ったり、ゴルフの打ちっぱなしにいったり、休日に買い物にでかけてみたり・・・

あれ?これって恋人なんじゃないかな?と思うようなことばかり。


私たち、どんな関係なんだろう。
モテる彼だから、私なんてきっとタダの遊び友達の一人。
これ以上好きになったら傷つくってわかってるのに・・・。

こんな気持ちがぐるぐる渦巻いて、どうしようもない日を過ごしました。

でも、やっぱり会えると嬉しいし、楽しい。
期待しちゃいけないけど、期待しちゃう。


そんなある日彼がつぶやきました。

えりなは本当いい子だし、まだ若いからこれから楽しいことがいっぱいあるよ。
あとは、俺なんかにあんまりハマらないことだな。


わかっていたのに。
わかっていたけど。


やっぱり、遊ばれてるだけなんだ。

そうわかった夜でした。
とてもとても胸が傷んだ夜。


ああ、もう彼にハマってしまってるんだな、私。


モリさんのことが大好きになっている自分に気づいた夜でした。

12月24日 -



本当にサヨナラ

彼には何も期待しない。

そう心に決めて、なかなか寝れない夜を過ごした翌朝、

「昨日は変なこと言ってごめん。忘れて。」と言ってきたモリさん。


何なの?何なんだーーーー!!!
と心の中で叫びつつ、少しほっとした私。


なんとなく、彼も葛藤しているのかな、そんな風に、今思えば都合のいい捉え方をしていた私。
完全に好きになっていたんですね。


はっきりさせたい関係だけど、はっきりさせたら終わってしまう。
それをわかっていたからこそ、何も言えませんでした。

約一か月後に控えたサルサの発表会が終わるまでは、このままでいよう。
そう心に決めました。


無事にサルサの発表会を終えた後、私の気持ちのモヤモヤは最高潮に。

ある夜、彼の家へ向かいました。


私が彼に、どんな関係か問いただすのをわかっていた彼は、冷静に答えました。

「えりなのことは好きだけど、まだ学生を卒業したばかりじゃん。
これから社会に出て楽しいこともたくさんあるし、、、
でも俺は本気でそろそろ結婚しなきゃと思ってる。

ごめん、正直、えりなを結婚相手に見れないや。」


わかっていたけど、悲しい現実を突き付けられました。

そう言われても、この関係を続ければ彼の気も変わるかもしれないなんて、甘っちょろい考えも同時に頭によぎりました。



彼にとっても可愛いくて、仕事のバリバリできる彼女が出来たのは、それから間もなくでした。


本当のサヨナラでした。

12月23日 -



運命の人

彼に振られてしまったとはいえ、サルサの練習では顔を合わせる仲の私たち。
そもそも何も期待しないと誓ってはじまった関係だし、お互い大人だからその後も普通に過ごしました。

私の心は傷んでいたけど、「3年後見てろよ〜〜〜〜」と心の中で思うようにしていました。
まだまだ?若かったし、気持ちを切り替えていろんな人に目を向けようとも心がけました。

今思い出すと、人生で一番悲しい気持ちで始まった夏だけど、終わってみたら一番楽しい夏だった気がします。
友達とたくさん遊んだし、一人の時間も思い切り楽しみました。
とにかく外に出て、たくさんの人に出会いました。
サルサでフジロックフェスにも出たし、やりたいことに挑戦した夏。

私を好きになってくれる人もいたし、私にも惹かれる人が出来ました。

そんな最高の夏をがむしゃらに走り抜けたけど、気づけばいつも近くにモリさんがいました。

楽しい夏だったけど、日々落ち込むこともありました。
社会人1年目で、仕事もなかなかうまくいかなかったし、恋愛も結局その後もうまくいかなくて落ち込むこともしばしば。

そんな時、よくモリさんが飲みに誘ってくれたものでした。(私はお酒が全然飲めないけど、話しを聞いてくれました。)
彼女がいるのにこんな優しくして、やっぱり最低な男だな!って思っていたけど、やっぱり憎めない人でした。


そんな夏が終わり、秋になったある日。

恵比寿のイベントにサルサダンサーとして出演することに。

チームメンバーとして私とモリさんも出ることが決まりました。
しかも1曲は、私とモリさんがペアで、師匠ペアと2ペアだけで踊る場面がありました。

実はしっかりモリさんとペアで踊るのはこれがはじめて。
身長差もあり全く息が合わないふたり・・・

猛特訓の自主練がはじまりました。

モリさんは数少ない男性ダンサーの中でも特に期待されていて、先生からも厳しい言葉が・・・
落ち込んでいるレッスン後のモリさんを、私が飲みに誘うこともありました。


モリさんへの気持ちはどこか吹っ切れていました。
たぶん、振られてしまったけど、人として尊敬できて、大好きな人には変わりなかったからだと思います。

だから、彼が落ち込んでいたら励ましたかったし、一緒に練習を重ねて、いいパフォーマンスを作りたかった、ただその気持ちだけでした。


そんなある日、自主練習の後、車で私をうちに届けてくれたモリさん。
車を降りようとしたら、「今日はうちに来ないか」と誘ってきました。

私は、「彼女を大事にしてあげなよ」と答えました。


彼がなんとなく彼女とうまくいっていないのは知っていたけど、もう私も冷静になっていました。



「もう答えは出てる。
えりなが好きだ。一緒にいてほしい。」



ここでこの言葉を振りきって自宅に帰ったらどうなるんだろう。
このまま彼に着いていったらどうなるんだろう。


いろんな想いが一瞬で頭のなかを巡りました。


でも、よく考えたら彼が私を好きと口にしてくれたのはこれが初めてでした。

ここで彼のもとに行かなくて後悔するなら、本能のままに動いて後悔したほうがいい。
天罰がくらってもいい。

覚悟は出来ていました。


また裏切られるかもしれない。
でも、今回だけは信じてみよう。


そう思ったら、冷静だったはずの気持ちが溢れ出てきていました。


やっぱりこの人が運命の人に違いない。

彼の胸に飛び込みました。

12月22日 -



思いがけないプロポーズ

彼を信じるのはこれが最後。
そう決めて彼の胸に飛び込んだ私。

とはいえ、彼にはまだ「彼女」がいました。
その子とはどうするんだろう・・・という想いが駆け巡るし、その子とは私も彼を通して「知り合い」程度のお友達にはなっていたので、次何かの機会で会うことがあったらどんな顔をして彼女に会えばいいのかわからないでいました。

とはいえ彼には聞き出せないまま数日が過ぎたある日・・・

「彼女と別れたよ。まだうちに荷物を取りにくるだろうけど、これで終わったよ。」と言われました。
正直、複雑な気持ちではあったけどほっとしました。
今度は真剣に考えてくれているのだなと。

それからは仕事の合間をぬって彼とデートしました。

ご飯だけどじゃなく、映画や温泉旅行にもいきました。
11月に私の両親が上京した際には、思い切って食事に誘いました。
私の両親は彼のことをすごく気に入っていましたが「結婚とかそういう話にはなってないから期待しないでよね」と念押し。両親も「そうよね、あんたが振られたら可哀想だから期待しないでおく」なんて話していました。

そんなある日、「えりなって指輪普段しないよね??サイズわかる?」とかなりストレートに聞いてきた不器用なモリさん。笑
クリスマス前だったので、指輪でもプレゼントしてるのかなと思いサイズを伝えました。

初めてのクリスマスは彼のおうちでチキンを食べて本当に幸せを感じたのを今でも覚えています。
でも、肝心のプレゼントは指輪ではなく時計・・・良い指輪がなかったのかなあと思っていました。

年末は大阪旅行に行き、旅行の2日目にモリさんのご両親と会うことになっていました。
それから私は名古屋へ、彼は神戸へ帰省するというプラン。

大阪1日目は海遊館に行って楽しく過ごしました。
ホテルは予約してあるからと事前に言っていたモリさん。

なんとリッツ・カールトンのスイート・ルームでした!!!!!
夜景が綺麗でこんな贅沢していいのかと夢見心地。
一度、ディナーのために着替えて部屋を後にしました。
レストランも素敵で料理も美味しくて・・・この人を信じて良かったー、そんなことを思っていました。


お腹もいっぱいになったのでホテルで休むことに。
再度、あの素敵な部屋に戻ると・・・


なんとハートの風船が40個!!
ベッドにはバラの花びらでハートが形作られていて、
その真中には指輪、手紙、そして可愛らしい絵本が置いてありました。

そこからバックミュージックまでかかり(実は彼が自分で流していた。笑)、
私はあまりの驚きでわたわた・・・・

「えええええええ、え、え、私どうすればいいの???!」と言うと、

「まず、指輪開けて」と言われて、震える手で箱を開けると、バレリーナと名付けられた私にはもったいなほどに輝くダイヤモンドの婚約指輪が入っていました。

そして、柄にもなく書いてくれた心のこもったお手紙を読んだら涙がボロボロこぼれてきました。


「いろいろあって付き合うことになったから、えりなは不安に思っていることがたくさんあるだろうなというのはわかっていた。結婚は付き合うことになった時に決めていたから、早くプロポーズして安心させたかった。」と言ってくれました。


本当に、夢に描いたようなプロポーズ。



ちょうど1年前、12月29日の出来事でした。

12月21日 -



彼のご両親と初対面

プロポーズされた2014年12月29日の翌日、モリさんのご両親に初めて会いました。
既にご両親には「婚約者を連れて行くから」と言っていったらしいのですが、私はとっても緊張しました。

お父様はお医者様、モリさんは一人っ子、話を聞く限りお母様はずっと結婚してほしいのにする気配のなかった息子が突然、結婚を決めたからどんな子を連れてくるんだ?!と疑心暗鬼のようだったからなおさら緊張しました^^;

会ってみると、想像通りのお2人、、、お父様は本当に温和で優しい方で、お母様はよく喋るチャキチャキした方。
タイプとしてはうちの両親に似ていたので、安心したのを覚えています。

緊張していてうまく話せなかったけど、緊張していたのはモリさんのご両親も一緒だったと後で聞きました。

美味しい中華料理をいただき、それから私は名古屋へ、モリさんとご両親は西宮へ年越しに向かいました。

帰宅後、「ただいま〜〜〜あ、私結婚することになりました〜♪♪(キラーンと左手薬指の指輪を見せる)」という娘の軽ーい結婚報告にうちの両親はズッコケていましたが、とても喜んでくれました。
これまでも留学します、東京の大学院に行きます、内定蹴ってメキシコの会社に勤めます、など、とにかく突然の事後報告ばかりだったので、今回もか・・・という感じだったようで。。。


モリさんからは「うちの両親がえらいエリナのことを気に入っていたよ。おばあちゃんや親戚にも知らせたらとても喜んでいて、あらためて幸せを実感しています」とメールをもらいました。

最高に幸せを感じての年越しでした。


2015年になり、バタバタと結婚の準備がはじまりました。

というのも、これまでもほとんどモリさんの家に入り浸っていた私。
私は貯金をはたいて背伸びして恵比寿に住んでいたので、「もう恵比寿の家は引き払ったら?」とモリさんに言われていました。

入籍はサルサの発表会が終わった5月頃を考えていましたが、「先に一緒に住むんだったらちゃんと籍を入れてからにしなさい」というのが今どき古風な私の両親の意見でした。

モリさんと私の誕生日は夏だし、特に二人のお付き合い記念日もなかったので、じゃあ結婚記念日を忘れないように2月14日の「バレンタインデー」に入籍しようとトントン拍子に決まったのでした。


そんなわけで年明け早々、じゃあ籍を入れる前に両家の顔合わせはしないと!ということでバタバタと準備が始まったのでした。

12月20日 -



両家顔合わせ&入籍

2月14日に入籍することを決めてからは、結納をどうするかという話になりました。

名古屋生まれ、と言うとよく「しきたりを重んじて、結婚式も豪華なんだよね?」と言われることが多いのですが、実際は時代と共に変わってきているんじゃないかなあと思います。

私たちも結局、結納はせずに両家顔合わせの食事会を名古屋で行うことにしました。

名古屋城が目の前に見えるレストランでの食事会・・・自分の親を婚約者のご両親に紹介するってこんなにもドキドキするんだ、と驚くほど緊張しました。
当たり前かもしれませんが、私の両親も彼のご両親もすごく緊張していたらしい。。。笑

でも、なんと私の父親も彼の父様も昔バンドをやっていたという共通点からどんどん話が盛り上がり、それまでの心配はどこかへ吹っ飛んでしまいました。

無事に両家の顔合わせが終わり、バタバタと婚姻届の準備へ。

とにかく平日は仕事で忙しく婚姻届を取りにいく時間もなかったので、買ったゼクシィについていたピンクの婚姻届を使うことに。笑
ゼクシィはプロポーズされたら一度は買いたいと女子が思うものの1つですよね。

私もプロポーズされた次の日に同じく結婚が決まった幼なじみと買いに行きました。笑
しかもゼクシィはすこぐ太くて重いので、それを「花嫁の重み」と言うんだとか。笑

何はともあれ、無事2月14日に婚姻届を提出しました。

休日だったので、区役所の警備員さんに渡すだけかと思いきや、意外としっかり見てくださり、おめでとうございますと言われてなんだか恥ずかしかったのを覚えています。

その日にイニシャル刻印をお願いしていた結婚指輪を取りに行き、銀座で入籍祝いランチ。
エスキスというミシュラン2つ星を獲得しているお店ですが、本当に素敵なお店でした。

名古屋の両親と彼のご両親には、この日に届くようにお手紙を書いていました。


タナカからモリになった実感は全くなかったけれど、うちの両親はとっても寂しかったようです。

その気持ちは自分も親になり送り出す側にならないとわからないと思います。


でも、大好きな大好きなモリさんと結婚できたのは、両親がここまで育ててくれたから。

それだけは確信していました。

12月19日 -



【番外編】結婚1年を迎えて思うこと

のんびりの更新のため、結婚式までを綴る結婚奮闘記なのに、入籍から1年が経ってしまいました。ごめんなさい!

ですが、結婚式までの色々は今後もマイペースに書かせていただくことをご了承いただき、今日は先日2月14日に結婚1年を迎えましたので、これを機に1年間での「気づき」を残させていただきたいと思います。

お時間あれば、お付き合いください♪


「結婚」というと、どんなイメージがあるでしょうか。

独身時代の私は20代で上京したこともあり、結婚に「焦り」はなかったけど「憧れ」に似たものをずっと持っていました。
婚活っていう言葉もよく聞くし、焦ってはいないけど、やっぱ婚期を逃したくない!とも思っていました。

私はもともと恋愛にエネルギーを注ぐタイプだったので、好きになった人とはだいたい結婚したいと思っていたけど、今思い返すと現実的に結婚できただろうなあという人は今の旦那さんだけだなあと思います。

そういう意味では、入籍して1年、私は20代後半のわりに思い切り恋愛をして、色々な方に出会い、世間知らずなままでもなく、高望みをし過ぎるでもない、ちょうどいい頃合いに旦那さんを好きになって結婚できたラッキーな女子と言えると思います。

自慢では決してありません!
でも、ハイスペック男子ばかりと付き合ってきて気づけば婚期を逃した女性も、とりあえずで早々と結婚して不倫にはしる女性も見てきた私としては、なるべくバランスのとれた自分でいようと恋愛で失敗するたびに思っていたので、そういう意味では自分の結婚の選択は(嫌な言い方をすると)120点!としています。

そして何より私を選んでくれたモリさんに感謝していますから、大前提として結婚に何一つ後悔はありません。


前置きが長くなりましたが、その大前提をもとに結婚して1年・・・・私が思うことは、

結婚とは長い戦いの始まり!(しかも短期戦じゃなく、長期戦)

ということです。

どういうことか、というと、結婚してみて私がすぐに感じたことは

「あれ、私が想像していた結婚生活と全然ちゃうやんけ!どゆことーーーーーー」(笑)

子どもの頃って、友達と話しているときに「うち(の家庭)はさあ、〜なんだよね」と自分の家の習慣というか、「うちの家族とはこーゆーもの」っていう定義を持った上で話したりしていましたよね。

多分、私も自分の中で「家庭とはこーゆーもの」っていうのがあったんだと思います。

例えば、「夕食はうちで食べる」とかね。

でも、どうでしょう。
1週間のうち平日は1度もうちで夕食を食べることがないなんてザラなうちの旦那。
しかも帰宅が遅い!

「え、え、新婚早々、浮気されてんの、あたし?!」と思ったこともしばしば。

せっかく結婚したし、私だって仕事帰りにお買い物して、料理して、旦那が帰宅したら一緒にご飯食べて、ゆっくりベッドでお話してから寝たいと思っていた「私の家庭とはこーゆーもの」が最初から崩れた瞬間でした。

それに、それまで付き合っていたころの彼とは違い、うちでは無口、疲れているとはいえもう少しコミュニケーション取ってくれてもええやんと、私の不満はどんどん膨らみました。

まあ、こんなことを社会人経験の長い友人に話すと

「は?!外資系金融で働いている人なんて仕事もキツイし、飲み会も多いし、そりゃ当然だよー!そんなことえりなだって結婚する前からわかってたでしょ?!」

と言われ、結局は社会人1年目の世間知らずな自分を目の当たりにするだけど、私はまた凹むのでした。笑


そう、どれだけ彼のことをよくわかっているから結婚しようと思っていても、実際に結婚してみないとわからないことがほとんどなんですよね。

それからというものの、、、、夫婦仲は決して悪くはないものの、「私の家庭とはこーゆーもの」には一向に近づかないので、どんどん私の不満、不安は膨らみました。

でも、それは当然でした。


だって、夫というのは「世界で一番身近な赤の他人」だからです。


このことに気づくのに、私はとっても時間がかかりました。

結婚したんだから、もう私たちは家族!と思っていた私。

でも、婚姻届という紙切れを出したからといって、その瞬間から「私の家庭とはこーゆーもの」が出来上がるわけではないし、むしろ全く違う家庭環境で育ってきた、血もつながらない赤の他人が突然、共同生活を始めるわけですから、そもそも相手をコントロールしようと思う事自体が間違いだったんですよね。

そう、結婚は単なるスタートでしかない。

いわゆる、未来の子どもたちが「うちはさあ〜」っていうその「うち(家庭)」というものを、2人で築き始めただけに過ぎなかった、ということにこの1年、もがきながら、旦那とぶつかりながら私はようやくわかったというわけです。

一生付き合っていく、一番身近な赤の他人ですから、お互い思いやりがなければ成り立ちません。
疑いはじめたらキリがないし、相手は自分を映し出す鏡でしかなかったんですよね。
それ以上でもそれ以下でも無かった。

旦那を通して、自分の未熟さ、弱さ、見たくない嫌な部分を見せられたて、ああ、自分ってこんな性格悪い女だったんだと凹みに凹んだ1年でもありました。苦笑

夫婦に勝ち負けはないということも知りました。
9割旦那が悪い!と思っても、許せてしまうのが夫婦です。

喧嘩してどんどん泥沼にハマることもあったけど、妻が幸せなら夫も幸せ。
夫が幸せなら妻も幸せ。
夫婦とは実はこれくらいシンプルなものなんだということもわかりました。

それくらい、誰かと共に生きるというのは、「学び」であり「豊かな経験」であるということも。

周りの人には、えりなちゃん本当に幸せそうとたくさん言って頂いていたけど、人生で一番もがいた時間だったかもしれません。


それくら結婚というのはある意味疲れる作業というか、多分、1人でいたほうがよっぽど楽ってことが本当にあると思う。

でも、さっきも書いたように、結婚すると人生が豊かになるなって、それは自信を持って言えます。

なんでもそうかも。楽なことばかりだと人生つまらないですもんね。笑

そして、ちょっと冷めた言い方をすると、誰と結婚しても不満や文句は出てくると思います。
他人だから仕方無い。思い通りにいかないことがあって当然。


だからこそ、大好きな人と結婚出来たら最高だと思います。

私はまだまだ未熟です。
女性としても、人間としても、毎日落ち込むし、これでいいのかなといつも思いながら生きている。

でも今はそれでいいのかなと。
だって何十年一緒にいるうちの最初の1年が過ぎただけ。
それだけでも溢れるほどの1年でした。

これから歳をどう重ねていくか。

長期戦だからね。


素敵な女性、人間になっていって、モリさんにはふとした瞬間に改めて私に恋してもらおうと。
そんな瞬間の積み重ねが結婚なのかなと思っています。

って、私って本当にモリさんのことが大好きなんですねえ。笑

このままいくとただのノロケになりそうだからこのへんで。

好きだから辛いこともあるけど、好きな人と一緒にいれることも幸せは言葉には表せない。

大変だけど、幸せだなあとふと思う。

その最たる例が「結婚」だと思います。


私は結婚して、幸せです!!!!(ってまだ1年、当たり前か。笑)

12月18日 -



【番外編2】大事な大事な赤ちゃんのこと

またまたご無沙汰してしまいすみません。

結婚式までの道のりの続きを書く前にこの日を迎えてしまったので、続けて番外編を書かせてください。

入籍して2週間ほどたったある日、妊娠していることがわかりました。

いろいろ悩んだ末、当時勤めていた会社を辞めて、新しい仕事に就く3日前の出来事でした。

子どもは結婚する前からずっと欲しいと思っていました。
だから、モリさんともいつ出来てもいいねと話していました。

でも、転職の直前、サルサの発表会まで2ヶ月半、結婚式まで半年というスケジュールを控えた中での思わぬ妊娠・・・と言ってはあまりにも無責任ですが、その当時の私には「いのちを授かる」ことがこれほどまでに重大なことだと本当の意味でわかっていなかったのだと思います。

手放しで喜べないほどの生活環境の変化があり、とにかく喜びたいのに喜べない・・・
たくさんの人に迷惑をかけてしまう。

そんなことばかりを気にして、そんな自分を責めて、赤ちゃんに謝っていました。


そんな私の心が伝わってしまったのか・・・・・

赤ちゃんは、心臓の音を聞かせてくれることなく、成長することを辞めてしまったんです。


妊娠した女性の25%と高い割合で経験する初期流産。

私の場合は、妊娠したものの途中せ成長がストップしてしまう繋留流産でした。

このような場合、自然に赤ちゃんが体外に出てくるまで待つこともありますが、ずっと亡くなった胎児が子宮にとどまることは母体に良い影響がないため、手術をすることがほとんどのよう。

私も妊娠9週までねばったものの、赤ちゃんの心拍が聞こえなかったので手術を受けることに。


昨年の今日、お腹の赤ちゃんとお別れをしました。
「ありがとう。きっとまた会えるね。」と心の中で伝えました。


手術は麻酔で眠っている間にあっという間に終わり、手術前、看護師さんに「痛いですか?」ときいて「寝ている間に終わるから大丈夫よ」と言われた記憶を最後に、気づいたらベッドの上でした。

だいたい即日退院が普通です。
私は目が覚めてから回復も早く、すぐに自分でトイレに行って、夫に迎えにきてもらい、お腹がすいたと言ってそのままラーメンを食べに行ったくらい。

その日まで毎日泣いていたので、赤ちゃんがお空に帰ってしまったのは寂しかったけど、これから赤ちゃんがくれた時間を最高のものにするために頑張ろうと思っていました。

心拍も確認できなかったので、母子手帳ももらえず、妊娠の実感は少なかったですが、身体の変化はやっぱりあったので、その後、数ヶ月は改めてもうお腹に赤ちゃんがいないことを実感する瞬間があり悲しくなったりもしましたが、次、赤ちゃんが戻ってきてくれた時には心から喜んで迎えてあげられるよう、新しい職場で奮闘し、サルサの発表会でも全力を出しきり、ハワイでの結婚式もやりきりました。

そんな頃、再び妊娠しました。

昨年の9月末の出来事です。

そして現在、妊娠8ヶ月。


毎日、元気に私のお腹の中でモゴモゴ動いています。

どうやら、女の子みたい。


彼女に会えるまであと2ヶ月です。


母になる不安などはまた奮闘記を書き終えた時に改めて記したいと思いますが、いのちの尊さを実感しています。
これは、宝物です。

去年の今日、赤ちゃんとお別れシなければならなかったけど、戻ってきてくれた彼女はその生命力をお腹の中でしっかりと伝えてくれています。


元気に生まれてきてくれることを願ってやみません。

12月17日 -



ハワイの式場選び

番外編が続いてしまいましたが、ハワイでの結婚式の準備について少し書きたいと思います。

2月に入籍を済ませるとすぐにハワイの式場選びにとりかかりました。
ハワイには9月のシルバーウィークの連休を利用して行くつもりだったので、早くいろいろ決めなくてはなりませんでした。(最近では1年前くらいから式場を予約したりするみたい)

ただ、何もかもが初めてでどこに問い合わせていいかもわからなかったので、とりあえず海外ウェディングのゼクシィを買って研究。

ハワイでの結婚式といっても、ホテル挙式、チャペル挙式、教会での挙式などいろいろなので、まずは自分でイメージを膨らませました。

そして、とりあえず大手旅行会社で海外ウェディングもてがけるHISに話を聞くことに。

HISでもいろいろ話しを聞いて、私たちは、ビーチの見える静かな場所で、列席者も少ないのでこじんまりとした可愛らしいチャペルでやりたいね、ということに。

ホテルで海の見えるガーデンウェディングも素敵だなあと思ったのだけど、天候のリスクがあるのとホテルのビーチだと観光客がとても多くて静かではなかったためやめました。
教会は少し我々には厳か過ぎる印象があり、また大きめの教会が多かったのでこじんまりという訳にはいかないという理由で却下。

ワイキキにもチャペルはいくつかありますが、ワイキキから車で40分くらい西に行ったところにコオリナ地区という、いくつか海に面したcチャペルが集まった場所があるので、そこにしました。
都会の騒音から離れる感じも好印象でした。

私たちが選んだのは白を基調とした、光りのいっぱい指す海に面した明るいチャペル。
田中まーくんと里田まいが結婚式を挙げたということで、なんとなく縁起が良さそうというのもありました笑(ミーハー)

アフターパーティーについては、チャペルに隣接されたレストランもあったのですが、出来れば海外らしくオープンエアでカジュアルにやりたいという私たちの希望もあり、HISが独自に現地のエージェントをコラボして企画しているワイキキでのプランを使うことに。

また、旅行会社なので、航空券やホテルもセットで予約しました。

ホテルはせっかく結婚式でハワイに行くので老舗のハレクラニを選択。


と、とりあえず全ていったん予約したものの、今の時代、いくらでもやり方はあります。

例えば、飛行機などもHISが予約して抱えている分だけど座席数しかないので、日にちによってはJALが満席ということもありましたが、自分たちで予約さえすればオプションが広がったりします。

また、基本旅行会社なので、チャペルなど式場を持っているわけではなく、私たちが予約したコオリナ地区のパラダイスコーブという式場も、持ち主はベストブライダルというウェディングエージェントでした。

なので、そちらで直接予約することも可能。

HISなど旅行会社で予約するメリットはあわせて旅行の予約も全て出来る+そのかわり式場代金などが割安で売りだしているところでしょうか。


でも、先ほども書いたように、自分たちでホテルを予約することも出来るので、いろいろな可能性や組み合わせでコストなどを叩きだした結果、私たちは以下の方法での予約に落ち着きました。


・チャペル→ベストブライダル
・アフターパーティー→HIS
・航空券+ホテル→エクスペディア

航空券は自分たちで予約したおかげで、JALの少し座席の広い便を選択することも出来たし、結果的に自由になった部分もあったので、手配などが面倒でなければこのようなやり方も一案です。


次回はドレスやその他関連する小物選びについて書きたいと思います♪

12月16日 -



ドレスと小物選び

またまた日にちがあいてしまいました・・・。
短いスパンで続けて書くことに意味があるのに本当にごめんなさい。
その間に出産しておりました。(結婚奮闘記なのに出産までしてる・・・・涙。反省)

でもめげずに書かせていただきます!そしてちゃんと完結させていただきます!(ハワイの結婚式当日と日本の披露宴について書かせていただいたら終わりです。)

ドレスと小物選びについて少し。

ウェディングドレスって選ぶの本当に楽しいんですよね。
でも、正直ありすぎてどうしていいかわからない。
お店をまわるのも、試着するのも時間と労力が必要で大変。

しかも、私はわりとこだわりがありました。

1.背中が大きくあいているタイプ
2.レースがたくさんついている
3.キラキラひかる石がついている
4.オフショルダー
5.プリンセスタイプで中にはチュールが入っておりふんわりと
6.何より、ダンス出来るように、できればスカート取り外し可能 ← 普通に考えたらこんなの無い。笑

この1〜6の項目を全て満たすドレスなんてなかなか出会うわけもなく・・・
特に6は既成品では無いということがわかりました。ははは。

でも、お色直しには興味なかった私は、白のウェディングドレスだけでも自分の理想的なドレスにしたいと思い、悩んだ末、小さい頃からお世話になっているダンスの衣装の先生に自分でデザインしたドレスをオーダメイドで作っていただくことにしました!

結果、チュールと上のレースを取り外すことができ、短いワンピースで踊ることもできる、夢の様なドレスが完成。笑

胸元にもスパンコールなど石を付けていただき、世界でひとつだけのウェディングドレスを着ることができました!!

また、靴はベニールというウェディングシューズブランドからチョイス、ヘッドアクセサリーは、ハワイではウェディングカラーとブーケのピンクにあわせて、プリザーブドで花冠とリストレットをオーダーしました。

ブーケは生花にしましたが、花冠とリストレットは生花だと記念に持って帰ることが出来ない上、高額なので、インターネットでmuchyesという花冠などを製作している方にオーダーしました。

きっと器用な人ならDIYできるかも!

胸元にはキラキラ石がついていたので、あえてネックレスはせず、ピアスはパールのものを選びました。

それにあわせて、指元のネイルにもペールをちらせました。

なんだか、ひとつひとつ選ぶのが本当に楽しかったです。
出来ればまた小物選びしながらいろんなバリエーションのドレスを着たいくらい。笑
もちろん人生に一度きりと思ってやるから良いのですが・・・!

これだけいろいろ選べるのは花嫁の特権ですよね♪

さて、次回はハワイの挙式について書かせていただきます。

そして最後に日本での披露宴について書かせていただき、終わりになります。

もし読んで下さっている方がいらっしゃったら・・・・もう少しお付き合いくださいませm(__)m

12月15日 -



ハワイでの挙式

挙式当日は朝からビーチとワイキキタウンでの撮影があり、5時に起床。
ヘアメイクがはじまりました。

最初は緊張していた私と夫もノリの良い日系ハワイ人のカメラマンのおかげで次第にリラックス。
和気あいあい撮影が進みました。

特に街中での撮影は、たくさんの通行人の人たちがすれ違うたびに congraturations!!! と笑顔で声をかけてくれたので、こちらも自然を笑顔に^^
これはタウン撮影の醍醐味ですね!!

昼休憩をはさみ、メイクとヘアをチェンジしていよいよチャペルのあるコオリナ地区へリムジンで移動。
時差ボケと早起き、早朝からの撮影で疲れていたのか、移動中も私と夫は爆睡。笑

到着すると既に、家族と挙式に参加してくれた夫の会社の方々が笑顔で待っていてくれました。
なぜかウエディングドレス姿の自分を見られるのが小っ恥ずかしいという感じでした。

到着後、簡単に挙式のリハーサル。
バージンロードを一緒に歩く父は、神父様に、ここで娘さんに一言いってくださいと突然ふられ動揺しまくり・・・・。なぜか「ほ、本日は誠におめでとうございます!!!!」と言ってしまい、私もその場にいた母もズコッ!!!それは、娘への言葉では無いだろう、と内心はすごく不安になりました。

そしてついに本番。

なんだかリハーサルも一瞬で、どんな流れだっけ?と直前になり緊張してきた私。
そうこうしているうちに、チャペルの扉が開きました。

それはそれは美しいチャペル。
まずは、ママにベールをおろしてもらう。
感動的な場面・・・

なはずが、なかなかうまくベールを下ろせないママ。笑
何度も何度もやり直し・・・最終的には、近くにいた教会の係の人が手助けしてくれました。大笑

おいおい〜と内心思っていたけれど、ママはしっかりハグしてきて、きっと抱きしめたい一心だったのかもしれません。
こんな時にしか堂々と抱きしめられないものね。

そして、バージンロードを27年育ててくれたパパと歩きました。
これまたガチガチに緊張しているパパを見て吹き出しそうになってしまいました。
でも、一緒に歩けて良かったです。

神父様の前で近いの言葉。
日本語の上手な神父様でしたが、やはり発音は少しカタコト。
なぜかモリさんが、神父様のカタコトの発音まで忠実に繰り返すものだから、真剣な場面なのにまた吹き出しそうになる私・・・汗

真剣な感動的な場面なはずなのに、笑顔の私たち。
笑いをこらえている・・・^^;

まあ、私たちらしくていいか!!

指輪を交換し、キスをして、署名をして・・・
なんだかあっという間の挙式でした。

最後、チャペルを出たところでフラワーシャワーをしてもらい、本当に嬉しかったし、
なんだか夢のような空間でした。

式後は海の見える広いお庭でケーキカットと乾杯!
よくある、ファーストバイトであーんは恥ずかしいのでしません、と事前に伝えていたのに、無理やりやることに^^;
しかも同時にあーん!となかなか難しいリクエスト!
今となってはそれも良い思い出です。

その後、両親に私たちからレイ(花飾り)のプレゼントをしました。
日本の披露宴では、特に両親への花束は用意しないつもりでしたので、ここで両親への御礼をこめてレイをかけさせてもらいました。
司会の方から、せっかくハワイにいるのだしハグもしてください!と言われ、恥ずかしそうに両親を抱きしめる夫。
なんだかその姿を見て、本当に嬉しかったです。
お父さんとお母さんは息子を東京へ出してから、ずっと心配していたと思います。
息子のことを誰より信じながら、幸せを願いながら、心配していたと思います。
だから、小さい頃依頼のハグ、してもらえて本当に嬉しかったです。

さて、コオリナ地区でのひとときが終わり、ワイキキへ戻りレセプションパーティーへ。

ここは私たちのこだわりで、海の見えるテラスで行う予定だったのですが、あいにくの強風。
ハワイはけっこう天気が変わりやすいんですよね。
特に海があるので風が強くなることもしばしば。

食器やテントなどが倒れる危険があるので、泣く泣く諦め室内での食事会となりました。
夫の会社の方々と親族ということで緊張していましたが、フラダンサーも読んでいたので、和やかな雰囲気で過ごすことができました。

本当に、本当に楽しく幸せでした。

夫の会社のマークを入れたm&m(チョコレート)を記念に作っていてプレゼントしたら、上司の方々が喜んでくれたのも良い思い出です。

結婚式はそんなに重要なのかな?と正直思っていました。
自分はクリスチャンでもないし、なんだかあまりイメージが湧きませんでした。

でも、実際に誓いの言葉を口にして、あらためてその言葉ひとつひとつを噛みしめると、
これからどんなときもこの人とがんばっていこう、共に1つの人生を歩んでいこう、
という気持ちになりました。

澄んだ空と海を前に本当に幸せでした。
挙式を挙げて良かった!
一生忘れられない日になりました。



12月14日 -



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結婚奮闘記

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