さとこの結婚体験談です。


すべての出会いと偶然と奇跡に感謝しながら

はじめまして。

今回、奮闘記を書かせていただくことになりました、さとこと申します。

この機会を下さったももさん。
この「ももカフェ」を大事にして愛しているみなさん。
大事なことを教えてくれた人生の先輩方。
いつも私に笑顔を元気をくれる友達や仲間。
優しくて大きな心で包んでくれる彼のお父さんお母さんお姉さん。
どんなときも私の味方でいてくれる姉。
私をこの世界に導いてくれた父と母。

そして、いつもそばにいてくれる彼。

一人でも欠けていたら今の私はありません。

すべての出会いと偶然と奇跡とに感謝しながら、これから結婚までの日々を書き綴っていきたいと思っています。よろしくお願い致します。

1月19日 -



彼との出会い、彼から告白、彼とお付き合い

3年前の2004年3月11日。

私と彼はお付き合いを始めました。

お互いに25歳の時でした。

それまでの私の恋愛といったら、うまくいかないことの連続。
「いいやつだよな。」
「俺にはもったいない」
「イメージと違う」
だとかなんだとか、言われて玉砕ばかり。。。。。。

このまま私は恋も出来ずに死んでいくのだろうか?
(大袈裟かもしれませんが本当に思いました!)
と本気で将来を悲観したことも少なくありません。

彼と出会う直前にもかなりとほほ・・・なフラれ劇がありました。今までの私だったら「男なんて…。もう恋なんてしない!恋愛のばかやろぉ〜!!!!」て思っていたと思います。ですが、その時はそのフラれ劇を話した職場の先輩や友達みんなから

「そんな男はダメになって正解!早く良い恋をするのです!」という励ましもあって、私もこんなことで男嫌いになんかなったらいけない!絶対良い人はいる!早く恋をしよう!」とやたら前向きになることができたのです。


「恋」をするのではなく、
「恋をする人」を探そう。
そう思えたのです。



そしてその約3週間後の2003年11月27日に彼と出会いました。スノーボードを教えてもらうため、私と私の友達。彼と彼の先輩と一緒に出かけたのです。(その出会いを作ってくれたのは「私の母親」で、よく「珍しい出逢いだね。」と言われますが。)

「運命の出会い」

なんて響きとはほど遠い、恋の予感も色気もない出会い方でした。

彼の第一印象は「不思議な人。でも、いい人。笑顔がかわいい人。」でした。そして、「この人と恋をしたいなあ。この人と恋したら、今までの嫌な恋の思い出を忘れられるだろうな。」と なんとなーく 思いました。

だけど、次に会う約束もなくその日は解散しました。


色々あって2度目に会ったのは2004年2月初旬。
またみんなでボードに行きました。
その時も相変わらず「いい人だなあ。」という印象でしたが「もっと話したい。もう一度会いたい。でも、もう会うことはないだろうな。」そう思いました。

3度目に会ったのは2004年3月7日。
友達も交えてご飯を食べに行きました。その時はなんでか冷たくされてすごく寂しかった。(本人が言うことには「その時には好きになってたから緊張してただけ。」だそうですが。。。。)

4度目に会ったのは2004年3月11日。
初めて2人だけで会いました。彼の同期の結婚祝いを買うために、2人で買物に出かけました。その帰りに最高にロマンティックな状況で、(夜景を見ながら)あまり格好よくないけれど、彼らしい告白をしてもらいました。

付き合うまでに2人だけで会ったこともなければ、さほど会話もしたこともありませんでした。でも、時々交わすメールでそんな彼の内面を知り、少しずつ彼を好きになっていっていました。

だから、告白してもらったときはすごく嬉しくて照れくさくて、2人でにやにやしていたのを覚えています。お互いによく知らないまま、何もわからないまま、私たちの日々は始まりました。

*写真は私の住んでいる街です。
この街のてっぺんが思い出の場所です。

1月18日 -



初めてのデート(映画)と初めてのプレゼント

初めてのデートは2004年3月12日(告白の翌日)でした。
映画のレイトショーを見に行きました。
車で迎えに来てもらって、助手席にいそいそと乗り込むと、

私「ん?」
彼「あ!

なんと!助手席のシートにプレゼントが置いてあったのです!何も気づかず思い切り上に座ってしまった私・・・。

「バレンタインのお返しと(義理(実は本命?)チョコをあげていた)お付き合い記念で」ということで可愛いネックレスをもらいました。*写真がそのネックレスです。

ものすっごく感動しましたが、今でも当時を思い出すと必ず「思いっきりふんづけたよね〜」と彼には言われてしまいます。。。。素敵なような笑えるような思い出です^^;


映画館で私の前を歩く彼の後姿を見て、隣に座る彼の横顔を見て、「この人が私の好きな人なんだぁ。」てすごくすごく温かい気持ちになりました。

夜なのに映画館には人がたくさんいて、はぐれないようにとお互い「手でもつなぐ?」ということになりました。彼は照れくさそうに笑ってたけど、ぎゅ!て握ってくれて、その大きさと温かさに幸せを感じました。

「一緒にいられるだけで幸せ。」

生まれて初めて感じる気持ちでした。


初めてお付き合いをするので、うまく距離感が図れず、戸惑うこともたくさんありました。彼があまりおしゃべりなタイプではなかったので、彼の言葉を引き出すのに苦労したりもしました。それでも、付き合い始めてからは毎日が楽しくて、メールが来るたび嬉しくて。

おしゃべりが苦手な彼も頑張ってくれて、何時間も電話でしゃべって笑って。彼と偶然家が近かった(車で5分歩いて20分ほど)ので、ちょこっとの時間でも会いたいと、何か理由をつけては夜に出かけて彼に会いに行ったりしていました。

会えたら会えたで緊張してお互いにやっとの思いで会話の糸口を見つけて、話して少しずつ少しずつお互いを知っていきました。

花冷えのする季節に夜の公園で2人
「寒いね。寒いね。」
て言いながらブランコに座って、ずーっと話をしていたのが忘れられない思い出です。


話をしていくと、2人に共通点がほっとんど無い事が判明してきました。共通点より違う点ばかりが明らかになってきて、「これからうまくいくのかなあ?」という漠然とした不安が芽生え始めたのも事実です。

さらに。

実は告白をされたその日に彼から「まだ結婚とか考えなくていいよね?」と言われてしまっていたのです。確かに私もそこまでは考えていなかったけど、そう言われてしまうと「あーこの人はさほど本気じゃないんだなあ。」とちょっと寂しくなりました。

だから、楽しい毎日の中でも頭のどこかには
「いずれは終わるんだ。続かないんだ。」
という冷静な考えが居座っていました。

1月17日 -



観覧車の中でチュー。彼とのファーストキス

事の発端は私が付き合って3日目の休日に
『10日間で男を上手にフル方法』
というDVDを観てしまったことでした。

彼との電話中に何気なく「そういうDVD観たんだよ〜。」と話すと「え!?それって・・・俺は10日間でフラれちゃうってこと!?」と慌てた声。もちろんすぐに否定はしたのですが、彼は「フラれちゃうのかなぁ・・・・・?」と10日目を過ぎるまで、本気で不安と闘っていたそうです。


<言い訳>
全然そんな気(彼をフル気)はなく、たまたまレンタルしてあって、
明日返すから観よう〜という軽い気持ちだったのです!
友達たちからは「普通付き合い始めた人が観るか〜?」と言われました。
ごめんなさい。


そして、迎えた10日目。

彼と水族館に行って、その後水族館の隣にある観覧車に乗りました。
ゴンドラの中で彼から「明日からもずっと僕の彼女でいてくれますか?」と言われました。(思わず「まだ気にしてたの?」と吹き出してしまった私です。)

「もちろん大丈夫です。ずっと仲良しでいようね^^」
と答えると、彼は
「やった〜。」
と小さく万歳。そして、
「じゃあ、記念にチューしよう!

はい!?

・・・ということで、彼の宣言どおり初めてのチューを致しました。(照)てっぺんを過ぎて終点が近づいていたので彼も焦ったらしく、チュ☆というよりおでこがゴン☆てぶつかった感じで、思わず「痛。」と言ってしまいました^^;

観覧車の中でのチューというのは、思い出に残るように、という彼なりの配慮だったらしいです。またも笑えるような素敵な思い出を作ることができました。


そんなこんなで無事に10日目を過ぎて、11日目からも変わらず楽しい時間を過ごしていました。

付き合い始めてから1ヶ月も経たないある日、夜桜見物の途中で彼が突然「俺が結婚したいって言ったらどうする?」と言い出しました。

はい!?

口調は冗談っぽかったのですが、顔は真っ赤で、目はやや本気そうでした。
なので、
「この前は結婚考えないって言ってたよね?突然どうしたの?もし本気でそう思って言ってるなら、私も本気で返事を考えようと思うけど。」確かそんなふうに答えたと思います。

彼は頭をかきかき
「いい加減な気持ちじゃないよ。」
とだけ言いました。


「結婚」

自分の中で初めて結婚を意識した瞬間でした。
それまで私は結婚願望が全然無くて、むしろ「結婚なんてするもんじゃない。誰かといるわずらわしさより、私は独りの寂しさを選ぶ。」なんて公言していました。


彼が私のことをちゃんと考えてくれている。
誰かが自分を必要としてくれている。

そのことがすごく嬉しく思えました。

ですが、彼とのこれからを真剣に考え始めると、様々な問題が私の前に現れてきました。

そのひとつに「母親」の存在がありました。

1月16日 -



結婚反対。結婚するなら親子の縁を切る!

私の母と彼は今も昔も同じ職場で働くいわゆる同僚さんです。しかも、同じチーム内で働いています。時には2人でえっさほいさと協力し、仕事をしているらしいです。

なので、母から彼の話は時々聞かされていました。「北海道から出てきててね、ちょっとぽ〜っとしているけど、優しくていい子なんだよ〜。」と。

ですが、母は自分の娘がその職場の人と付き合うこと、ましてや結婚するなんて事は考えてはいなかったと思います。彼と出会うきっかけは母が作ってくれたのですが、まさか2人が恋仲になるとは「想定外」のことだったらしいです。


彼と出会う以前から
「娘をあの職場の人とは結婚させたくない。」
と母はよく言っていました。

理由は色々あると思いますが、母の中には娘達には父親と同じような経済状況、生活水準のサラリーマンさんと結婚して欲しい、という思いが強くあったのだと思います。


環境の違いは悲劇を招く。

“環境が、身分が違うから”という理由で、婚約破談を経験したことのある母から発せられるその言葉には、とても逆らえない。そんな気がしていました。


更に私はぜんそく持ちの子供でした。今はすっかり元気になりましたが、小さい頃は体が冷えたりはしゃぎすぎると、すぐ夜中に発作が起きてしまうのでした。だから、小学校低学年まではプールにもまともに入れない。(そして今だにカナヅチ)

東北地方で育ちながら雪遊びもなかなかできない。
みんなと走り回って遊ぶ事もできない。
そんな子供時代でした。

夜中発作が起きれば明け方まで治まらず、その度母は寝ずに私を優しく強く励まし、抱きしめて看病してくれました。


とても大きな母です。
とても大事な母です。
そんな母が「嫌だ。ダメだ。」という世界の人と私は恋をしている。

絶対に反対される。
言うべきか言わざるべきか?

そんな自問自答が続きましたが、日が経つにつれ親に隠し事をしているという罪悪感も育ってきました。彼から聞いて知っている職場の事を母から聞かされて、あたかも初めて聞いたという演技をしてる自分。
「何してるんだろう?私。」
そんなやり場のないもどかしさが徐々に大きくなっていきました。

そして、彼とのこれからを真剣に考え始めた時から、どうしても母には言わなければ。という気持ちが私の中で押えられなくなっていました。


そして、悩む事3ヶ月。うじうじしているならば、スッキリハッキリとお母さんに打ち明けるぞ!と心を決めました。しかし、なかなかタイミングが掴めず、何も言えぬまま時間だけが過ぎていきました。

彼は
「悪い事してるわけじゃないし、
 さとこが言いたいならお母さんに言ってもらって構わないよ。
 何なら一緒に打ち明けようか?」
と言ってくれましたが、一人で母と向き合おうと決めました。

6月中旬のある日の夕食後。
何となく話が恋人についてになってきたので、思い切って母に切り出しました。「実はお付き合いしている人は○○君なのだなあ・・・・」


母は一瞬固まり、次の瞬間
「はーーーーーへーーーーーーーーーーあーーーーーーーーそう!」
と何故か大爆笑しだしました。。。。
「なんで?どこが良かったの?」
とも聞いてきました。

色々と母の質問に答えていって、最後には
「まあいいんじゃない?好きで付き合ってる分にはさ。」
と予想外な良い反応が返ってきました。

「反対しないの?」
と聞くと
「いい歳の娘が誰と付き合おうと親は何も言えないでしょ。いーんじゃない?」
とあっさり。

拍子抜けしてしまいました。

上にも書いたように、母は以前から彼のことは
「いい子だよ。」
と言っていたし、
「○○君(彼の名前)はきっとお父さんお母さんが優しくていい家庭に育ったんだと思う。
 仕事は真面目にやってるし。ただ、ちょっと情けないかな〜?」
とあまり悪くは言っていなかったので、案外と反対されない!?
なんて淡い期待を抱いた次の瞬間、母から衝撃の一言が飛び出ました。


「でも、結婚したいって話なら別。絶対反対。結婚するなら
 親子の縁を切ります。 

言葉を失いました。

1月15日 -



親が彼との交際を反対することはしない約束

彼と一緒にいると不思議で、すごく居心地が良くて、安心できました。

普段はちょっと情けなくて弟に思えるのに、時々お父さんのようなたくましさを見せてくれたり、お兄さんのような大きさ、親友のような心強さを持っていたり。本当に一人何役もしてくれているようでした。

(あ、今もそうですよ!)
何よりも、
「自分の居場所がここにある。」
そう思えることが、すごく幸せでした。

ささいなことですれ違って、言い合って、泣いて、もうだめだ!て思っても、彼の笑顔を見たり、抱き締められたり手を握ったりすると、「この人と離れたくないよ〜」という思いでいっぱいになりましたし、付き合う時間が長くなればなるほど、お互いに「ずっと一緒にいようね。」という気持ちが大きくなっていきました。


ある時、「彼と親の思いとどっちをとるべきか?」というどっちつかずの状態が辛くなって、私と私の母をよく知る友達に相談をしました。

彼女は黙って話を聞いてくれた後、「難しいところだね。でも、2人の本気はいつか絶対わかってくれるよ!最後にはさとことお母さんが“あんなこともあったっけね〜”て笑って話してる気がするな。さとこのお母さんなんだから、大丈夫だよ!わかってくれるって!それに、愛の力は偉大だよ^^」
と言ってくれました。

その瞬間。

そうか。
どちらかを選ぼうとするから辛いのか。
どちらも選ぶことだってできるかもしれない。
そうだそうだ!
きっとわかってくれる日は来るさ!
と妙に気が楽になりました。
(単純ですな。)
そして、友達の言ってくれたような未来を手に入れるためには、と彼といくつかの決め事をしました。

真面目にお仕事しましょう。
門限は守ろう。
親が反対すること(旅行、お泊り)はしないようにしよう。
少しずつ2人の気持ちをわかってもらおう。
そして、何よりも2人の気持ちをしっかりとしたものにしていこう。


26歳同士のカップルが親の言いつけを守るのは、周りからしたら「情けない」とか「いい子ぶって」とか言われるかもしれません。でも、自分達の好きなように好きなことをして、親に「僕達は本気です。認めてください。」なんてことは言えないと私も彼も思っていました。

そう決めた事によって、付き合いに規制ができた気はします。遠出したくても、日帰りできる範囲しか行けない。帰りの時間をいっつも気にして行動しなきゃいけない。

そして、いつしか
「お母さんによく思われなきゃいけない!
 いつも笑顔でいなきゃいけない。
 元気でいなきゃいけない。
 そうじゃなきゃ、反対されちゃう。。。」
という変な気合と力みも生まれていました。

さらに、友達から
「彼と旅行行ってさ〜」
という話を聞くたびに、羨ましくて、そういう他の人の恋話を聞きたくないという気持ちにもなりました。残念なことにそれが元で、ある一人の友達と疎遠にもなってしまいました。(現在もちょっと付き合いにくいです・・・)

自分の未来のためにと決めたことなのに、それに縛られすぎて逆に自分で自分の首を締めていたのかもしれません。おバカな私です。。。。。

人を羨ましがって不機嫌になっていた私に「どんなカップルも羨ましいなぁ〜て思ってる事はあるよ。逆に俺達もいいなぁーって思われてることはあると思うよ(^^)俺たちは俺たちなりの良い付き合いをしよう。他のカップルを参考にしつつね。それより何よりさとこと一緒にいられるのが俺は一番嬉しいな。」と彼は言ってくれました。

「好きな人と一緒にいられること。」

ただそれだけで幸せだった最初の気持ちを私は見失いかけていました。

1月14日 -



母も彼もどちらも大事、どちらも失いたくない

「親子の縁を切ります。」

母の言葉は時に核心をつき、時に人の心に深く突き刺さるのです。
その言葉も、かなり私の心に突き刺さりました。

彼とのことを反対されたことがショックなのか。
親子の縁を切られてしまうことがショックなのか。
もう何がなんだかわからなくなりました。
ただ、頭が真っ白になったのだけは覚えています。


彼には
「お母さんに話したから。反対はされなかったよ。」
とだけ伝えました。
彼からは
「良かった良かった。これからも仲良くやっていこうね!」
という明るい返事。

この2人の温度差が、後々の喧嘩の火種になるのでした。


母に打ち明けてからも、母の態度は何も変わりませんでした。ただ、前よりも「彼と出かけるから」と言い出しにくくなってしまいました。いつも出かける時は見送ってくれていた母が、見送ってくれなくなったのは私の思い過ごしではなかったように思います。

「勝手にすれば」

無言でそう突き放されているような切ない気持ちになりました。


彼と母親。

相手が好きならば、親の言うことなんて関係ない!と突っ走ることが、本当に相手を好きだということなのだろうか?彼も、親も、みんなに笑顔になって欲しいというのは自分のわがままだろうか?どちらも大事で失いたくはない。どうしたらよいだろうか。と毎日のように悩み考えました。

母が反対している理由の一つには
「まださとこ自身に迷いがある。本当に彼で良いのか?て不安があるでしょ。
 だから私は反対なの。
 “この人しか!”て決意がさとこにないうちは、私は結婚には絶対反対です。」
というのもありました。

でも、その不安も親に反対される相手だから私が不安なのか?
私が不安だから反対されるのか?

卵が先か?ニワトリが先か?というような答えのない堂々巡りの考えが頭から離れなくなっていました。そんな状態なので、時にはのほほんとしている彼に八つ当たりしてしまったり「もっとしっかりしてよ!」て一方的に責めてしまったり。。。。

そんな私の至らなさから来る喧嘩を月に1度はしていました。

そのたびに彼は辛そうで悲しそうで、
「俺といたらさとこは幸せじゃないね。別れようか。
 さとこが自然に笑顔になれる人と付き合いなよ。」
と言われてしまった事もありました。

揉め事が続いたある時。
毎日暗い顔とため息ばかりの私を見兼ねた姉に「好きならさ、腹くくりなさい!それほどの覚悟もないなら別れなさい。」と叱られました。

別れる勇気も、付き合い続ける覚悟もない自分。

好きだけじゃ不安に勝てない。
好きだけじゃ誰も幸せにできない。
好きだけじゃだめなんだ。

出口の見えない迷路に迷い込んだような気持ちでした。

*実はわたしがももカフェと出会ったのはこの頃でした。
 ももカフェとの出会いもまた、母が作ってくれたのかもしれませんね^^

1月12日 -



結婚したいけど、今は考えられないと言う彼

2004年の12月は悲しい事が2つありました。

1つは大事な人の死。

1つは彼の交通事故です。

この2つを経験したことによって、私はかなり考え方が変わったというか、自分がどれほどの物、人に守られて生きているのかがわかりました。明日も自分は生きているって思うから、人は悩めるし、苦しめる。でも、人の命は次の瞬間にはどうなってしまうかわからない。だとしたら、なるべく楽しく明るく生きていきたい。

生きて“いく”ことの意味を探す前に
生きて“いる”ことが何より大事なんだな。
自分が生きていることが嬉しい。

大好きな人たちが、たとえ遠くに離れていても、地球のどこかで今日も元気に生きていることがすごく嬉しい。そんな風に思えるようになりました。

そして、前よりも彼の存在の大きさを感じることができました。そして、彼の最期には私もそばにいたい。私の最期には彼にそばにいてほしい。「彼と家族になりたい。」そう思うようになりました。

それからは、毎日のちょっとしたことでも嬉しくて、いとおしくて、涙がうるるとしてくるようになりました。

失ったものはとても大きく、私や彼の心に大きな傷跡を残したのはまぎれもない事実です。でも、それは大事な物や人が残してくれたものだから、自分達の足跡として、これからも大事にしていきたいと思っています。


そして、2005年が始まりました。
2人で迎える初めてのお正月に初詣。
彼がひいたおみくじに「恋愛:この人を逃すなというありがたーい(?)お言葉があり、2人で大爆笑しました。

※私は2日連続で、まったく同じ番号の同じおみくじをひくという偉業(?)を成し遂げました。

2005年に開催された万博の最終日に会場に帽子を忘れてしまった私。その帽子を見つけようと、私の知らない間にあれやこれやと頑張ってくれた彼。
「頑張ったんだけど、見つけてあげられなくてごめんね。」
と言って落ち込んでいた彼の顔を見て
「いい人だ〜。この人を幸せにしたい!!」
と思いが芽生えました。

彼に幸せにしてほしいのではなく、私も彼を幸せにしてあげたい。
誰かの喜びが自分の喜びにもなることを知りました。

そんな日々が続き、段々と私は彼を
「結婚する人」
として見ることが多くなりました。

が、彼は
「俺はさとこ結婚したいと思ってる。
 結婚するなら、さとこしかいないと思ってる。」
とはいうのですが、
「事故のことが片付く(保険の交渉とか色々)までは、結婚は考えられない。ごめん。」と言って、結婚の話を避けるようになりました。

*あまり幸せそうな奮闘記でなくてごめんなさい(><)
 しかも、結婚まではまだ遠いです。。。。

1月11日 -



彼と結婚したいのかどうなのか、わからない

事故の件は解決のメドがまったく立たず、1ヶ月2ヶ月・・・・1年・・・と時間だけが虚しく過ぎていきました。

2006年に入ると、段々と私も周りの人から
「結婚は?」
「彼いるのに、まだ結婚しないの?」
「2年も付き合ってるなら、そろそろじゃない?」
「ぼーっとしてると20代終わるよ。」
とかなんとか言われだし、いつしか「結婚」に対しての焦りや不安が一人歩きしはじめました。

この頃には母も私も彼の話をする事に抵抗がなくなってきていたし、母が「さとこがトット君(なぜか母は彼をそう呼ぶ)と結婚したらさ〜」と口にすることも多くなり、段々と母も私と彼が結婚するであろうと考え始めていたように思います。

ですが、やはり基本的には「反対」という姿勢は崩れてはいませんでした。やっぱりその状態は苦しくて、早く抜け出したい!と思うこともたくさんあったし、この状態から抜け出す方法は「結婚」以外にない!と思い込んでしまっていた部分もありました。

気がつけば周りの人からの言葉と、抜け出したいという思いから、彼に「結婚どうするの!?」と問い詰めることが多くなっていました。段々と結婚の話を避けることは少なくなってきた彼ですが、「いずれはしたいけどね〜。」といつも私の気持ちなどお構いなしのどこか他人事のような口ぶりで、私の怒りに火をつけてしまうのでした。


彼と結婚するのにあたって考えなければいけないことはまだありました。

彼が故郷に帰るか?ということです。

私自身、彼の故郷の北海道で暮らす事に不安を感じることはいまだにたくさんあります。体のこと、仕事のこと、環境のこと、お互いの親のことなどなど。彼は彼で「もう北海道には帰らない。」という日もあれば「40歳過ぎたら帰ってもいいかな、と思う。」「やっぱり親のそばで暮らしたいかも。そのために親も家新築したらしいし。」という日もあって、結局どうしたいのか!?はっきりしませんでした。

そして、それを追究すると、「さとこと結婚できるなら、北海道には帰らない。ここで暮らす。」というこれまたはっきりしない答え。(「できるならって言う前にする気はあるのか〜!?」て何度も噛み付きました)

そして、またまた言い合い。。。。。

事故のことも解決せず、彼の気持ちもわからない。
これからの二人の向かう方向もわからない。
彼と結婚したいのかどうなのか、自分でもよくわからなくなってきました。

8月末に彼が長い休暇を取って、実家に帰ることになりました。
そのときに事件(?)は起こりました。
北海道と名古屋で海を挟んでの長距離の大喧嘩をしてしまったのです。
結婚に対するお互いの考え方のズレが原因でした。

お互いに好きで同じ方向を向いているはずなのに、どうしていつもわかりあえないんだろう?その隙間はどうやって埋めたらいいんだろう?2人で考えても考えても、話しても話しても結論が出ませんでした。

そして、「しばらく離れて冷静になろう。」ということで付き合い始めてから毎日続いていたメールのやりとりを断つことになりました。「じゃあ、またね。」と言って電話を切ると、心に穴が空いてしまったようでした。

その夜は鳴ることのない携帯電話を握り締めながら、彼のことばかり考えていました。

1月10日 -



彼と距離を置いた時間はとっても苦しい時間

「冷静になろう」と決めてから2日が経ちました。

たった2日ですが、私にはとても長く感じられました。思い出すのは大好きな彼の笑顔や、手のぬくもりや、生きててくれるだけでいいって思えたこと。そして、楽しかったことばかり。彼がくれた手紙を読み返しては泣き、彼がくれたものの大きさを感じていました。

私なりの答えを出して3日目に彼に連絡を取ろうとしました。本当は帰ってくるまで待とうと思ったのですが、どうしても今伝えたい!そう思ったのです。

が・・・・・・・・・・・つながりません。

長い長い呼び出し音のあと「留守番電話サービスに接続します。」という声。
「電波の届かないところにおられるか、電源が入っていません。」という声。
何回この声を聞いたかわかりません。

それこそストーカーのように何度も何度も電話をかけました。(恐ろしいですね)

その間私の頭には「別れるって言われる。ていうかこのまま消滅するのか?」という不安と「もしかしたら、体調を崩したとか?事故に遭ったとか!?」という恐怖が渦巻いていました。いっそのこと北海道まで行こうか!?と飛行機の便を調べたりもしました。(思いとどまりましたが)

連絡が取れない日が1日2日3日と経つにつれ、段々とこうなってしまったのは私が悪いんだ。

 結婚にとらわれすぎて、彼の気持ちを考えもしなかった。
 彼がどんな結果を出そうと、それはそれで受け入れよう。

という諦めにも似た気持ちになってきました。

そして、気分転換をしようと伸ばしていた髪をばっさりと切りました。身も軽くなり、心も軽くするために最後だと思って彼に電話をかけてみました。また長いコール音が続き、留守番電話サービスだろう、と思っていたら「もしも〜し。」と久し振りに聞く彼の声!かなりビックリしました!!!

なんで電話にでなかったのか?心配していたんだよ、と伝えると「ごめんね。さとこと話すとさとこに甘えちゃうから。今は頑張って一人で考えなきゃって思ったから・・・。」

という彼の弁解。気が抜けたのと、嬉しいのと、腹立たしいのとが入り混じったなんともいえない不思議なふにゃ〜っという気持ちでした。

何がともあれ
「別れることはまったく考えてないよ。
 ただ、さとこの幸せと俺の幸せとさとこの親、俺の親の幸せを考えて、
 どうしたらいいのか考えてた。」
ということで、一安心・・・!?
(私の苦しかった時間を返して〜!!!!!と叫びたかったです)

電話の最後に彼から
「明日帰るからね。お迎えに来てね^^」
とのんきに言われたら悔しくて
「行けたら行く。」
とかわいくないことを言って電話を切った私ですが、次の瞬間から空港行きの電車の時刻を調べていました。

1月9日 -



私の手を握りしめた彼が、突然、プロポーズ

◎2006年9月5日
彼が帰ってくる日です。

短く切った髪がうまくまとまらず、朝から鏡の前でいつも以上に長い時間をかけ格闘し、着ていく服にも悩み、最初のデートの時以上にドキドキしていました。きっちりと定時で仕事を終え、空港へと向かいました。

空港へ向かうあいだも、ずーっとドキドキしていました。

どんな顔をして会おうか。
会ったらまず何を言おうか。
何を言われるだろうか。
そんなことばかり考えていました。

前日の電話では、結局これからのことは話さなかったし、仲直りというか和解はしていなかったのです。なので、彼と久しぶりに顔を合わせたときも、謝らなきゃいけないような、謝ってほしいような、嬉しさよりも戸惑う気持ちが大きかったです。そんなもやもやとした気持ちのままご飯を食べ、デッキで飛行機を眺め、空港を後にしました。

そして、空港から帰る電車の中で、突然にプロポーズをされました。(どうせなら、空港でしてほしかった!と思うのは私のわがままでしょうか?)あまりに突然で、私は「はい!?」以外の言葉が浮かびませんでした。

突然のことに驚いてフリーズしている私の手を握り締めて、彼がいろいろと考えた事を話してくれました。

事故のことは弁護士と正式に話し合うことになったこと。
ご両親にちゃんと「結婚したい人がいる」という話しをしたこと。
北海道には帰らないと思うとご両親に伝えたこと。
私にも自分のご両親や故郷を見て欲しいと思っていること。
そして、ご両親も私に会いたいと言って下さっているということ。
などなど。

私が不安に思っていたことをすべてちゃんと考えて、答えを持って帰ってきてくれたのでした。

そして、改めて
「ということで、色々あったけど、これからもあると思うけど、
 2人が同じ思いなら、ずっと一緒にいよっ。結婚しよっ。」
と言ってくれたとき、私もやっと
「はい。」
と素直に答えることができました。


最初に告白をされたときと同じように、こみ上げてくる嬉しさと照れくささで、また2人ニヤニヤとしていました。しかし!これから本当の結婚奮闘記が始まるのでした。

1月8日 -



プロポーズからトントン拍子に進まない

プロポーズされたら、トントン拍子に事が進むかと
私は思っていました。

が!

ちーっとも進みません。

一番最初に報告をした母からは
「それでいいのね?決めたのね?本当にいいのね?
 まだまだ2人でよく考えなさい。」
と言われ、
(反対ではありませんでしたが、祝福ムードのかけらもなく、やっぱり認めてはもらえないんだなあと寂しく思いました。)
彼からも
「もう少し色々準備(事故の話し合いとか心の準備とか)
 できるまでご両親への挨拶は待って欲しい。」
と言われ、いきなり未来をさえぎられたような気持ちになりました。

そんな気持ちのままぶ厚くて重い結婚情報誌を買ってしまったらば、その情報の多さに何が自分に大事で大事でないかもわからなくなり、
「みんなはこうやっている」という例をみれば、そうしなくちゃと思ってみたり、
一人フル回転の空回りをグルグルグルグル繰り返してました。

ただでさえ土日休みの私と土日関係無しのシフト勤務の彼とでは休みが合わないのですが、何の因果か9月10月はほとんど休みが合うことがなく、たまに休みが合っても今度は親が法事だなんだと用事があったり。。。。。

「これって縁が無いってこと!?」

と一人凹んだりもしました。

何も進まない状態が長く続くと、今度は母と姉が
「彼は挨拶に来るの?本当に結婚するの?」
と不思議がりだし、また私はその発言に焦ったり。
おそらく私の中には物凄く
「親に気に入られなければ!親に良く思われなくては!親の思うようにしなくては!」
という思いがあって、普段は気にしないであろう、結婚情報誌のマニュアルをやたら気にしすぎてしまっていたと思います。

たぶんその頃は、口を開けば
「結婚。結婚。」
と言っていたと思います。
気が長く穏やかな彼もさすがに嫌気がさしたのだと思います。
ある時電話で
「ねえ、最近“結婚”の話しかしてないよねえ。もうちょっと目先変えてよ。
 俺は俺でちゃんと考えてるんだからさあ。俺を信じて待っててよ。」
と言われ、さらに
「結婚決まってからさとこ全然楽しそうじゃないよね?そんなんで結婚したい?」
そうため息まじりに言われた時には、かなりの衝撃を受けました。
焦りに縛られて、彼の不安や戸惑いに耳を傾ける余裕が持てなくなっていたんですね。。。。

「わかりました。もう何も言いません。ごめんなさい。」
それだけ言って私は電話を切りました。


彼からハッキリと言われたことで、自分と彼のことを見つめなおすことができました。

一人で勝手に考えて、じたばたして、視野が狭くなって、焦って慌てて怒ってわめいて。
そんな自分がすごく恥ずかしかったです。
(書いていてもかなりお恥ずかしいです。)
そして、そんな私を冷静に見つめ、受け止めてくれた彼は本当に大きくてすごい人だなあって感じました。

辛かったけれど、彼の一言で
“結婚”がしたいんじゃなくて
“彼と結婚”がしたいんだよな。
と原点に返ることができたと思います。

1月7日 -



父は困惑、結婚は2人だけの問題じゃない

突然ですが、私の父親(61歳獅子座O型)はとっても困った人です。
もちろん育ててもらったこと、好きなことを何でもさせてもらえたことなど、感謝していることはたくさんあります。が、そんな有難い気持ちを忘れてしまうほど、困った行動を取る事が少なくありません。

わがままで小心者で内弁慶でせっかちでお酒を飲むと気が大きくなって、怒鳴って、普段のうっぷんを一気に吐き出して、母に喧嘩を売って、暴れて、物にあたって。。。。この28年間で「こんな家いらない!こんな親ならいなくていい!」と何度本気で思ったことか。数え切れないです。

プロフィールにも書きましたが、私の結婚願望のなさは、大いに父が関係していたと思います。「誰かと一緒にいるわずらわしさより、一人の寂しさを選ぶ!!」彼と出会うまで、本気でそう思っていました。(ですが、今自分は結婚に向かっている…。それが時々不思議でたまりません。)


10月なかばを過ぎたころ、彼が挨拶に来てくれる日が決まりました。

父には彼が挨拶に来る1週間前に初めて結婚を考えている人がいることを伝えました。「そうか。わかった。」とその場は冷静だったのですが、私がその場を離れると、母に「ど、どんな奴なんだ!?」と聞き、姉には「お、お父さんはど、どんな態度で臨めばいいかな?な、なんて返事すればいいかな!?」と聞きまくり…。

うろたえぶりがそれはそれは凄かったらしく、母は苦笑いで姉は大爆笑したらしいです。
ひととおりうろたえ騒いだ後で父が私に話に来ました。
「さとこはどうなんだ?その人と人生を共にしたいのか?」

という言葉から始まり、父の結婚に対する思いを話してくれました。

「さとこが選んだ人なのだから、間違っていない正しい人だとお父さんも思う。それはさとこを信じているから大丈夫。ただね、お父さんは、娘を嫁に出すとかは思わないし、お嫁にいったからといって、さとこが娘でなくなるわけじゃないんだ。お父さんには息子が増えるわけだ。家族が増えるわけだ。だから、彼や彼のご両親にも両親や家族が増えると思ってもらえたら嬉しいなあ。うん。うん。」

一言一言かみ締めるようにゆっくりと話してくれました。

その父の言葉を聞いて、「結婚=増える事」なのだと思えるようになりました。
そして、結婚は2人だけの問題じゃない。
親やみんなを幸せにできて、初めて私たちも幸せになれるのだ。
と思うようになりました。

一瞬
「困った人だけど、お父さんはお父さんなんだなあ。大きいなあ〜。」
と感動したのですが、やっぱり小心者の父は、彼が来る日まで母と姉を
「ど、どうしたらいいんだ!?」
と質問攻めにするのでありました(苦笑)

2007年4月4日

1月5日 -



彼が私の両親に挨拶、結婚の許しを得る

何だか気忙しい毎日です。
住むところがなかなか決まらず、気持ち的に落ち着きません〜。
家探しについては彼にまかせている部分が多いので、彼も毎日お疲れです。
仕事も忙しいのに、頑張ってくれています。本当に感謝です。

忙しくて周りのみんなに気を配れなくなっている自分に凹んだり。
みんなを大事にしたいと思うと、自分が倒れそうになってしまったり。
かといって、自分ばかりを優先させたら友達に申し訳ないし。。。。
毎日不思議な夢ばかり見て、それはそれで楽しいのだけど、寝たのか寝てないのかわからない目覚めです。
疲れがたまると口の中が荒れてくるので、今は舌とかほっぺとか違和感があって
食べたいのに食べれない〜食べないと体力が落ちちゃう〜とジレンマです。


と、私の近況はさておき。
彼が挨拶に来てくれた時のお話しをします。


2006年の11月5日(日)に彼が挨拶に来てくれることになりました。

いきなり「結婚したい」ということを話すのではなく、まずは「結婚を前提にお付き合いしている」ことと、11月末に2人で彼の故郷に行ってご両親に会うということを報告することにしました。

2時近くにものすばらしく緊張した彼が、父へのお土産の日本酒(父の好物)を持って、着慣れないスーツを着てやってきました。
既婚の友達に、経験談を聞いたときに、「彼はきっとすっごく緊張すると思うから、さとこがリラックスさせてあげてね!」というアドバイスをもらっていたので、何とか笑わせようとするのですが、反応がにぶい。。。。

玄関先で母が
「あら〜はじめまして。さとこの母ですぅ〜」とわざとらしく(前日も仕事で会っている)明るく出迎えても、口の端っこで笑うだけで目は笑っていない・・・。心配顔の私のほっぺを「大丈夫。大丈夫。」と言いながら軽くつねった彼の手はこれまた冷たかったのでした。

いざ!出陣!とばかりにリビングのドアを開けると、これまた緊張したおももちの父が立っていました。

父:「やあどうも。」
彼:「は、はじめまして!えっとこれお土産です!
   お酒がお好きということで、あの、どうぞ!」(お酒を差し出す)
ておい!Σ( ̄Д ̄")
自己紹介もしてないのに、いきなりお土産渡してどうすんねん!!?とみんなで爆笑。

まあ、そんなこんなでにこやかな雰囲気で始まった父と彼との初会談。

彼が自分の経歴や、自分の家族、仕事、私と出会ってから付き合うまで、そして結婚を考えていること。これからのこと。11月末に一緒に北海道に行って、両親に会うこと。をたどたどしくも一生懸命に話してくれました。(途中何度か私が助け舟を出しましたが)ひととおり彼が用意してきたすべてのことを話し終えると、父は「ふむ〜。」と一言。そして、沈黙。。。。。。

「何を言われる!?」と彼も私もドキドキしていましたが、なかなか父は口を開きません。
みかねた母が「で、いいんですか?このままお付き合いを続けても?」と声をかけると、「まあ〜〜〜〜。いいんじゃない?お互いに好きならば。もういい歳だしね。反対したところで、2人の気持ちが変わるわけじゃないだろうし。。。。まあ、お茶でも飲みなさい。」
となぜか彼にお茶をすすめる父。

彼がお茶を飲んで一息ついたところで、今度は父が
「僕もね。」
と自分の話を始めました。

父も彼と同じように20歳で故郷の新潟を離れ名古屋に来たことや、その時の不安な気持ち。母と出会って、結婚するまでの話。初めて母の両親に会ったときの緊張した思い出。母の両親に言われた言葉。母と2人で思い出話をするかのように、私たちに聞かせてくれました。

「だからね〜すごく君の不安とか緊張とかがわかるんだよ〜。まだまだ緊張してるだろ。」と父が笑顔で彼に話し掛けてくれたとき、やっと彼の表情が柔らかくなった気がしました。

「とりあえず、反対はしない。ただ、さとこが君のご両親に気に入っていただけるかはわからない。まずは、2人で北海道に行って、ご両親にお会いして、それからまたいらっしゃい。」

ということで、にこやかでなごやかな雰囲気のまま約1時間の会談無事終了。

父も彼を気に入ったというか、「真面目そうな良い子だね。」と言ってくれ、ほっとしました。それを彼に伝えると、彼もすごく安心したようでした。

その夜彼から「記憶に残る一日でした。お父さんに“わかるよ”って言って貰えてすごく嬉しかった。今までは挨拶が一番の大イベントだと思っていたけど、終わってみてまだまだこれからだな。という気がしてきました。これからも一緒に頑張ってひとつずつ乗り越えていこうね。」というメールが来ました。

やっと未来への一歩を踏み出した気がしました。


次は私が北の大地で頑張る番です。

1月4日 -



彼のお母さんに嫉妬、そして彼から別れ話

BGMはさだまさしさんでお願いします。
ルールールルルルル〜ル〜♪
書いているうちの思い出して涙がにじんでしまいました。

2006年11/25〜11/27の二泊三日で北海道に行ったわけで。

11/25
セントレア発新千歳着→小樽→札幌(大通公園と時計台)→札幌で一人暮らしをしている彼のお姉さんに会う。→札幌一泊

11/26
札幌→スーパー北斗で彼の故郷へ向かう→彼のご両親に会う→彼の実家へ行く→彼の故郷散策→函館(金森倉庫)→夜景を見る→私だけ函館一泊(彼は実家泊)

11/27
彼のご両親と函館観光(朝市→領事館→五稜郭→函太郎(回転寿司))→函館空港発→セントレア着

という旅行だったわけで。。。。
書いてみれば楽しそうな旅なわけで。。。。
ところが、実際は緊張と号泣の連続な旅だったわけで。。。。

と思い出すと思わず順くん口調になってしまうわけで・・・・。
ルールールルルルルー♪(泣)


彼のお父様もお母様もお姉さまもとても話しやすくて、とても良い方でした。本当に。特にお姉さまはなぜか初めて会った気がしなくて、緊張はしましたが、楽しくおしゃべりができました。お姉さんも同じように思ってくれたらしく、「なんか初めて会った気がしないね〜」と言ってくれました。

彼の故郷も田舎といえば田舎なのだけど、なんだか懐かしくて、なんでだか「帰ってきたぞ。」ていう懐かしい気持ちになる景色でした。

私の挨拶は、お父さんの「わざわざこんなところまで来てくれたということは、結婚を考えているんだよね?」という一言に「はい。」と答えてあっさり終了。
「息子が決めた人なら、親は何も言う気はありません。これから2人で、さとこさんのご両親とも話し合って、結婚が決まったら、ぼくらが名古屋にご挨拶に行くので、そのときはまた教えてね。」というお父さんのありがたいお言葉をいただきました。

すごく私や私の両親にまで気を配ってくれて、式も住まいも名古屋にすればいいよ。と言ってくれました。

すごくすごく楽しい思い出もできたのです。
彼と初めて旅行できたし、3日間も一緒にいれたし。
でも、でも・・・・・。

北海道に行った目的は、彼の故郷に行き、彼のご両親に会うことなわけだから、彼と2人で観光したかったというのは、私のわがままなのでしょうが、「初めて」の2人だけの旅行だったので、私はやっぱり彼と「2人だけ」で観光したりしたかったんです!!

が、お父さんもお母さんもとても優しくて、観光に車がないのは不便だろうから連れて行ってあげよう。私に北海道のおいしいものを食べさせてあげたい。という思いから、結局はご両親も一緒の家族観光になってしまったのです。。。。

複雑な私の思いを察知して、彼が途中何度も「俺達2人だけでも大丈夫だよ。あとで昼食べるところで現地集合しようよ。」とご両親に言ってくれたのですが、お母さんはやはり久しぶりに会った息子と一緒にいたかったんでしょう。彼が言うと必ず「そう?」と寂しそうな顔をするわけですよ!それを見ると彼も強くは出れないわけですよ!!
(私もですけど・・・)
息子が恋しいお気持ちはよくわかるんです。
とても素晴らしいと思うんです。
私が来たことを喜んでくれて、気にいっていただけてすごく嬉しかったんです。
でもでも・・・・・・

私の思いはどうなるの!?(T_T)あう〜
緊張と戸惑いから来る涙をこらえきれず、領事館のトイレで声をあげて泣いてしいました。そんな私の異常をこれまた察知した彼が、心配してトイレの前でずっと待っててくれました。が、彼が「ごめんね。」と言えば言うほど、悲しい気持ちが大きくなって、どんどん笑えなくなってきてしまいました。

結局途中で市電に乗りたいからと私がお願いして数十分別行動を取っただけで、あとはずっと一緒でした。何とか笑顔と元気を搾り出して、お父さんとお母さんに心配をかけないように、と頑張りましたが、彼に対してはそういった気遣いがまったくできませんでした。

たぶん私が一番辛かったのは、ご両親と一緒にいると、彼の一番が「お母さん」になってしまうことだったような気がします。付き合っているときは、いつも自分が彼の一番だと思って感じていたので、やっぱりショックが大きかったです。

親が一番大事なのは、当たり前のことで、彼が悪いわけじゃないです。自分だって、彼よりも親を優先させるときはありました。なのに、私にはどうしてもそれが寂しくて割り切れなかったのです。本当にわがままで心が狭くて情けない私だと思います。(でも、今も割り切れてはいないのですよね〜)


そして、お互い気まずい雰囲気と無言のまま名古屋に帰ってきました。

帰りの電車で、私は彼に「別れよう」と言われました。

プロポーズをされた電車で、今度は別れを告げられたのでした。

1月2日 -



「別れて欲しい」別れ話から見えたこと

彼が別れを切り出した理由は、

自分にはさとこを幸せにできない。

みんなを大事にしたいだけなのに、結局はみんなを傷つける事しか自分にはできない。今までさとこを一番好きで大事にしたいと思ってきたのに、それができない自分が情けなくて腹立たしい。さとこを幸せにする自信。一緒にい続ける自信がなくなった。俺も誰かを傷つけるんじゃないか?と思いながら生きていくのは耐えられない。

だから離れて欲しい。お願いします。

というものでした。


彼もまた私と同じかそれ以上に気をつかい、みんなが仲良くなれるようにと奮闘してくれてたんですよね。それも気付かず私は彼を責めて傷つけて涙まで流させてしまいました。そして、お父さんとお母さんにも心配をかけてしまいました。本当に小さくてダメな人間です。


彼は頑固で言い出したらきかないので、私がどんなに謝っても良い方向に持っていこうとしても、「別れる」の一点張り。私は別れたくはなかったし、乗り越えたかったし、彼にも何とか前向きになって欲しかったんです。でも、私を想って私の未来のために「別れよう」と言ってくれているなら、その彼の気持ちを尊重するべきかもしれない。もしかしたら、別れた方が、彼にとってもよい事なのかもしれない。私が今苦しんでいる彼にしてあげられることは、励ます事じゃなくて「さようなら」と言うことなのかもしれない。

と彼と思う気持ちと

私の幸せを勝手に決めないでよ!
なんでがんばるって言ってくれないの!?

という自分勝手な気持ちと、本当に頭の中にはいろんな想いが交錯していました。


家に帰って母に
「別れたいって言われちゃった。」
と泣きながら伝えると、母は
「何があったの?泣いてちゃわかんないでしょ。言ってごらん!」
と私の隣に座って(体操座り)私の話を聞いてくれました。

あまり私たちのことをよく思ってくれていなかった母なので、「別れる!」と言ったらあっさり「別れちゃえば?」て言われると私は思っていましたが、実際は違いました。

「せっかく縁あってここまできたんじゃない。
 二人でがんばってきたんでしょ?
 しばらく離れて冷静になって、それから結論は出しなさい。」

と言ってくれたのです。

私の気持ちも、彼の気持ちも、彼のご両親の気持ちもよくわかる。誰が悪いということもない。だから、誰かを責めたり自分を責めたりするのはよくない。お互いがお互いを気遣い思いやった結果だから、仕方がない。

というようなことも言われました。

最後に「まあ、今は一緒にいたくても、何十年も夫婦やってたら「離れたい!」て切実に思う日がくるもんよ。だから、今のうちに恋人同士のラブラブな気持ちを楽しみなさ〜い」と明るく言われ、私もなんだか気持ちが軽くなりました。

さらに、仲良くしていただいている年上の男性に北海道でのすったもんだを話したら「僕も妻と初めての旅行(新婚旅行)したとき、大喧嘩したんだよ。今ではなんであんなにもめたのか思い出せないんだけどね。長い人生と夫婦生活のあいだには、そういうこともあるもんです。だから、大丈夫ですよ。」

と励ましていただき、友達にも「それは辛い!でも、彼も大変だったろうね。みんながんばったね。」と明るく笑い飛ばしてもらって、段々と元気を取り戻せました。


人は一人じゃいきてゆけない。


いかに自分が周りに助けられて生きているか。身をもって知ることができました。ありがとうという気持ちでいっぱいです。すったもんだも悪いことばかりじゃないな〜。と今は思ったりしています。

1月1日 -



彼と仲直り、彼のお母さんからの手紙

みんなから元気をもらったおかげで、しばらくして彼と仲直りすることができました。

仲直りをして、2人で「お騒がせしました!!」と母に謝りました。
母には
「まーったく人騒がせな子達だね!そんなことで別れる別れないなんて言ってたら、結婚させてあげないよ!
それに、トット君!(彼のこと)何があっても“さとこを守る!”ていう気持ちがないなら、娘と結婚させないからね!わかった!?」
と言われ、彼はひたすら「はい。はい。」と苦笑いしながらうなづいていました。
喧嘩のことを母から聞かされていた父と姉は、私たちの姿をみるなり
「あれ?別れたんじゃないの?」
といたずらっぽく笑っていました。

そして、北海道のお父さんとお母さんに「先日はありがとうございました。」
という気持ちを込めて、手紙を書きました。
すぐにお母さんがお返事をくれ、お母さんの息子に対する思いを知りました。
「息子の結婚はうれしいような寂しいような不思議な気持ちです。」
と素直なお母さんらしく、ほんとに素直に書いてありました。
でも、手紙の最後は
「息子が選んだのがさとこさんでよかった。安心しました。息子をよろしくね。」
と結ばれており、ますます彼を大事にしなくては!という思いになりました。


仲直りしてからは、彼の仕事が超多忙な時期になり、なかなか会える時間がなくなりましたが、大晦日に父と母と姉が
「仕事終わってからご飯食べにおいでよ。」
と彼を家に招くことを許してくれて、初めて大晦日を一緒に過ごすことができました。

いつもと変わらない大晦日。
家族で紅白歌合戦をうだうだと見ながら、隣には彼がいる。

色々あった2006年ですが、最後はとても温かな気持ちで終えることができました。

9月8日 -



結婚前に家族と過ごす最後の正月2007年

2007年は、家族で母の作った簡単おせちを食べて、お酒を飲んで、お餅を食べて、お年玉をもらって^^穏やかに始まりました。

「家族4人のお正月は今年最後かもしれないね。」
と父が言うと、急に胸が熱くなりました。
そしてその後、すかさず父が
「来年は5人に増えるんだもんね〜。」
と言うと、これまた胸が熱くなってしまいました。


毎年彼から手渡しでもらう年賀状。
今年の年賀状には
「来年からは一緒に出そうね。」
と書かれていて、来年からは一緒だけど、私の名前が変わってるんだなあということに、また寂しいような嬉しいような気持ちでウルルとしてしまう私でした。


年末年始は彼も母も(同じ職場)仕事が激しく忙しいので、結婚の話を進めるのが難しい状態でした。
プロポーズされてすぐに報告した同僚には、
「まだ進んでないの!?遅くない!?」
と言われてしまいましたが、この頃には私も何を言われても
「彼と一緒にいられるようになるなら、スローペースでもまあいっか。」
とやっと。やっと!心に余裕が持てるようになりました。

そう余裕が持てるようになると、逆に彼が「結婚」に対して前向きになってきて、
「式どうする?どこがいい?どういうのがいい?
 俺も色々知りたいから結婚情報誌貸して〜。」
と言ってくるようになりました。
おもしろいものですね。

そして、1月中旬には彼の事故のこともやっと解決し、保険金などが下りることになりました。
「やっと終わったよ。今までありがとね。」
と私の頭をぽんぽんしてくれた彼の顔はとても晴れやかで、私もすごくすごく嬉しかったです。


そして、彼が再び私の親に挨拶に来ることになりました。
今度は
「結婚の申し込み」
です。

父に「彼が来週来るよ。」と伝えると、父も「いよいよか・・・。」という顔をしていて、「何て反対しよう。断ろう。」と半分ふざけて半分本気で母に相談していたそうです。

9月7日 -



決戦は日曜日。両親への結婚挨拶マニュアル

ついに最終決戦(?)の日が決まり、彼も
「心の準備はできております!!」
ということだったのですが、前日の電話で

「ねえねえ、本題に入るときってソファから立ち上がったほうがいい?」

という不思議な質問(?_?)へ?

どうやら結婚情報誌に
「これで完璧!両親への挨拶マニュアル!」
というのが載っていて、それを読んでしまったら段々疑問が出てきたそうで。。。。

とりあえず、私が
「ソファから立たなくていいよ。でも、いきなり床に座り直して土下座ってのも変だよね。
 最初から床に座っとく?
 ただ、まあ言い出すタイミング逃すといけないから、
 早めに本題に入ったほうがいいかもね。」
というと、
「そうだね。そうだよね。うんうん。大丈夫大丈夫。」
と自分に言い聞かせるように、呟いていました。


そして迎えた2007年1月28日(日曜日)

前回挨拶に来たときよりは幾分緊張感は少なめでしたが、やっぱりどこか緊張した面持ちの彼。
前回は私が世話を焼きすぎ助け舟を出しすぎたので、今回はあまり口を出さないようにしようと思っていたので、背中をポンと叩き、
「がんばっていこ〜!!!」
と笑顔で励ましました。

「大事なお話しがあるので」
ということで、ソファではなく、2人で床に正座しました。
(なぜか母も「じゃあ、私も正座しとこうかしら。」と一緒に正座。)

「今日はお忙しいところ、わざわざお時間をさいていただいてありがとうございます。
 今日伺ったのは既にご察しのことと思いますが・・・」
と彼が話し出し、さあ、本題!と思ったのですが、

「えーさとこさんとは約3年前からお付き合いさせていただいていて、
 結構早い段階から2人でいずれは結婚したいというようなことを話していました。
 で、本格的に2人で結婚に対して考えが進みだしたのが・・・」

ておーい!なんでここまでの伏線を今ここで語る!?
長いぞ!!!Σ(0Д0")


隣で私は笑えてきました。母も同じ気持ちだったようですが、笑いそうなのをこらえつつ彼の話をうなづきながら聞いていました。

「ということで、さとこさんと結婚させていただきたいのです。」

と彼の話が終了し、しばらくして父がゆーっくりと口を開きました。

「あのーーーーーーーうん。さとこはね、こう見えて(どう見えて!?)体が弱い。
 小さい頃から病院にお世話になることが多かった。
 今でこそ元気だけど、元々が丈夫で強いわけじゃないと思うんだ。
 無理ができないし、させてほしくもない。
 だから、君と一緒に北海道に帰って暮らすことはできないかもしれない。
 子供だって産めないかもしれない。
 そうなったとき。君はどうだろう?君のご両親はどう思うだろう?
 ・・(言葉は続く)・・・」
父も長いんですけど〜〜〜〜!!!!!
でも、父の言葉を聞いているうちに、自分がいかに親に心配をかけ、守られ、大事にされてきたのか。
親の愛の深さや大きさが胸に染みてきて、涙がにじんできました。
(そんな私の顔を見て、父も涙目。)

話が長くなり、父自身話がまとまらなくなってきて、母にSOS。

母が口を開いた瞬間、それまでしんみりとしていた空気が一気に明るくなりました。

「まあね!お父さんは色々言ったけど、親の願いはね、さとこの体のことを理解して、
 さとこの健康と笑顔と未来と可能性を大事にして欲しいってことだけ。

 それだけなのよ!

 できるよね?(彼の目をじっと見つめる母)

 できるよね!?(彼深くうなづく)

 うん!じゃあ!はい!決まり!

 おめでとうございまぁぁす!!!

そして、姉とともに大きな拍手をくれました。
このとき初めて母に「おめでとう。」と言ってもらえたので、それにまた感動してしまいました。

父は
「え〜!?決まりなの〜?」
という顔をしていましたが、母に
「もうね!ごちゃごちゃ言っても、28歳の2人がそれなりに考えて決めてんだから、何を言ってもムダよ!」
と言われ、ちょっと寂しそうな顔をしていました。

彼と2人「ありがとうございます。」と頭を下げ、しびれた足をひきづりながらソファに座り、みんなで結納とか結婚式とか結婚の時期とか、これからのことを話しました。


父が長々と話した言葉はすべて、35年前に祖父つまり母の父に言われた言葉だったそうです。
いつか娘の相手に同じことを言うのが父のひそかな夢だったらしく、
「まあ、よく考えて出直してらっしゃい。」
とも本当は言いたかったらしいのですが、その夢は母の一言によってあえなく散ってしまったそうです。父残念!


この日は、大きな山を乗り越えた達成感や安心感の方が大きく、結婚できるんだという喜びは感じられなかったのでありました。

9月6日 -



ブライダルフェアを申し込み式場を探す日々

1月中旬に、彼と結婚情報誌で気になる式場(レストラン・ゲストハウスをメインに)をいくつか見つけ、その立地や外観を確認するため「式場外観拝見ツアー」(勝手に命名)をしました。
車で名古屋市内を一周し、10件ほど見たのですが、その日は2人ともが「良い!」と思えるところが見つかりませんでした。
そして、色々見て回った結果、私たちの親戚は、北海道、東京、新潟、横浜、とみな遠方のため、やはり式をするなら、駅前のホテルの方がいいよね?という結論に達したのでした。

そんな2人の気持ちがホテル結婚式に傾きまくっていたある日、私たちの家の割と近くに綺麗なゲストハウスがあるのを思い出し、彼と再び「外観」を見に行きました。

そこは、結婚情報誌の写真で見る限り、私が思い描いていたような、

白を基調としたチャペルで
バージンロードがゆったりしていて
木の椅子で
自然光が差し込んで
天井が高くて

(すごい理想が高かったなあ・・・・)

というところだったのですが、名古屋市の中心から外れているのと、招待客を多く招かないといけなさそうなのと(私たちは少人数を希望していたのです)で候補から外していました。
ですが、実際彼と外観を見に行くと、
「おーーーー良い!」と2人の意見が初めて一致しました。

家から近いので、いつも通る街、買物にもよく来る街、私が大学生活を過ごした街。
思い入れのある街にある、素敵な式場。

ホテルに傾きかけていた私たちの気持ちが揺らぎ始め「見学だけさせてもらおっか。」ということになりました。
そして、ホテル以外にはそのゲストハウスしか見ないということに決めました。

そして、無事挨拶が終わったその日の夕方、そのゲストハウスの夜のブライダルフェアが1/31にあることを知り、早速申し込みました。

が、このときも少しごたごたがあって
「なかなかすんなりといかないねえ。私たち・・・」
とちょこっと凹んだのを覚えています。

同時に2/4が仏滅ということでほとんどのホテルがブライダルフェアを開催するということで、ホテルのブライダルフェア巡りの計画も立てていました。
ホテルは4箇所見ようと決めました。


ゲストハウスの見学の前日、式の日取りの候補日を決めることになりました。
親から
「真夏の結婚式だけはやめてね!北海道から来る人が暑さで倒れてしまうよ!」と言われていたにも関わらず、私たちは
「梅雨明けした頃の7月がいいね。」
と話していました。(親不孝・・・)

私は彼の職場が大改変期を迎えるのが10月で、その前には結婚式や新婚旅行を終わらせたかったので、無理を承知で9月までにとこだわったのですが、彼は私が何気なく言った
「28日生まれで何かと28が人生について回ってて好きだから、28歳で結婚できたらいいな。」
という言葉を覚えていたらしく、私の誕生日前には!とこだわっていました。

そして、彼の仕事の関係で仲間が全員出席できるのは、土曜日の夜だから土曜日がいい。

さらに、私たちは仏滅以外ならいいよね。と話していたのですが、母に
「お父さんは大安か友引じゃないとダメだと思うよ。」
と言われ、候補日が一気に減りました。

そんな厳しくうるさい私たちの条件を満たす唯一の日が見つかりました。

それが7月28日(友引)だったのです。

ですが、その時はまだ、希望の日に式を挙げられるわけがないとみんな思っていたのでした。

8月10日 -



結婚式場はゲストハウスに決定!

2007年1月31日(水)19時から彼と私が外観に一目ぼれしたゲストハウスの見学に行ってきました。
この時も実は結構気持ちはホテル挙式に傾いていたので、
「見るだけ見るだけ」
と2人とも軽い気持ちでした。

式場に着くとまずは打ち合わせのお部屋に案内され飲み物をサービスしてもらって、
「こちらのアンケートにご記入してお待ちください」
と式の希望とかを記入する用紙を渡されました。
あーだこーだと言いながら記入し終えて二人でぼーーーーーっと待っていると、
「あー結婚するのか。。。」
という不思議な感情が芽生えてきました。そして、何だか偉大なる一歩を踏み出したような不思議な高揚感がありました。
ふと周りのカップル見て、隣の彼を見ると
「この人でよかったなあ。」
とわけもなく思ったりするのでした。

その後プランナーさんが登場し、記入した用紙を元に色々と質疑応答があり、いよいよ会場を実際に見に行きます。

メインの大きなゲートをくぐり、エントランス、受付、親族控え室、トイレ、お客様控え室など説明を受けながら進んでいきます。
私が「あれは?これは?」と質問する事すべて「できますよ〜」とか「それはありませんよ〜」と私の希望がかなり通るところだなあという印象を受けました。
見学の際は普通みんな写真を撮りまくるのでしょうが、私たちは予想外の雰囲気のよさにすっかり飲み込まれ、写真を撮る事を忘れていました。

次に、チャペルに案内され、その理想通りな姿に私は舞い上がってしまいました!!!

そして、チャペルを出るときにプランナーさんが
「で、ここを出ると、フラワーシャワーなんですよ^^せっかくだから2人そろって出てみませんか?」
ということで、2人並んで立ち、扉が開き、一歩踏み出した瞬間

「おめでとうございまーーーーーーーーーーーーーす!!!!!」

という声とともに目の前が明るい色に染まり、前が見えなくなりました。
式場の方々5人くらいで、フラワーシャワーを体験させてくれたのです!
もうそれだけでも幸せでかなり私は感動してしまいました。
(母いわく「お客のハートをゲット作戦ね」ですが)

そして、次に披露宴会場を見学です。
この時も、
「披露宴の入場を体験しませんか?^^」
ということで、造花のブーケを持たせてもらって彼と思いっきり照れながら手をつないで、BGMと共に入場〜着席まで体験させてもらいました。
いやーもう結婚式終わった気分でした。
(式場の方に「まだまだこれからですよ!」と突っ込まれました)

そして、また打ち合わせのお部屋に戻り、見積書を作成してもらいました。
キャンペーン中で15万円お値引ありでお値段的には。。。予想通り。
でも、友達に
「見積もりから100万は上がると思っておきなよ!」
と言われていたので、2人の貯金では厳しくなるかな?という思いもありました。

で、次に日取りです。

一応7〜9月の土曜日で大安か友引の夕方がいい。という無謀な希望は出しておきました。
そうしたら、該当する日が3つありました。ということで、

 @7月28日(おお!?)
 A9月1日(母の誕生日)
 B9月29日(ももカフェの誕生日☆)

を提示されました。

が、9月29日はご成約済み。
9月1日は仮予約が入っています。
で、7月28日ならば、大丈夫です。

「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?」
思いっきり第一希望日なんですけど。。。。。
(やはり夏は式する人いないからか?)

ということで、すぐに仮予約をさせてもらいました。
ですが、仮予約期間は4日間。2月4日にはお返事を下さいとのこと。
2月4日はホテルブライダルフェア巡りの予定です、と伝えると、
「じゃあ、見終わってからお返事ください^^」
と言われ、式場を後にしました。

3時間に及んだ式場見学のあとで大好きなラーメンを食べたのですが、あまりに頭の中が
「すごい良かったし、希望の日に挙げられるかも。でもでも・・・・・」
という思いでいっぱいで、味がまったくわかりませんでした。

彼に
「とりあえず、4日までは結論を出さずにいよう!」
となだめられ、その日は別れましたが、家に帰ってから母に話すと日取りについて
「なんでそんなに焦ってお嫁にいくの!?秋じゃだめなの!?暑いじゃない!!」
と突っ込まれました。。。。。
「その日しか空いてないんだもん!!!」
と答えるしかない私。。。。。。。。
そして、夜中まで話し合いました。

次の日案内してもらったプランナーさんに式場に対する新たな疑問質問などを長々と書き綴ったメールを送り、すぐに丁寧なお返事をいただきました。
かなり疑問や不安が解消されました。そして、
「お料理の味が気になるなら、3日(土曜日)に試食会ありますよ。どうですか?」
ということで、即申し込んで姉と参加。
式場を見た姉も「すごいかわいいし、綺麗だし一日お姫様になれそうだね〜」と絶賛。
ただ「高そうだね。」とは言われました。

そして、迎えた2月4日(土)
ホテル2箇所を見学して、即私たちの心は決まりました。
「やっぱりあのゲストハウスにしよう!!!」
ホテルはすごく豪華で、駅からも近いし、サービスという点でとても良かったのですが、私たちの求めたアットホームとかゆったりというのとはちょっと違う気がしました。
2人で「あれだけ“ホテルだホテルだ”て言ってたのにねえ・・・」と苦笑いしながら家に帰って私の両親に
「あのゲストハウスで7月28日に挙げます!」
と伝えると
「えーーーーー真夏じゃん!!」
と再び文句を言われましたが、立地的には問題なし。と判断され、最終的には
「2人がいいならいいんじゃない?」
ということで、その日の夕方に電話をし、すぐに内金10万円を納めにいきました。

契約書を書いて、細々と説明を受け、これからの流れなどが書かれたブライダルノートとやらを受け取りました。

親への挨拶が終わって丁度1週間後、式場と式の日が決定しました。

忙しい1週間でした。


※実はブロガー娘のまちゃこさんと同じ式場で披露宴会場なんです!
 いつもたくさん参考にさせてもらっています。
 まちゃこさんがももカフェのお友達と知った時はすごく驚きました!
 この場を借りてまちゃこさんにお礼を申し上げます。

8月9日 -



1粒ダイヤの婚約指輪エンゲージリング選び

小さい頃から母の婚約指輪を見せてもらうのが好きだった私。
仲が良いのか悪いのか?結婚してよかったのか悪かったのか?わからない両親ですが、指輪には当時の2人の「結婚しよう」という思いが詰まっているようで、見せてもらうたびそれにまつわる思い出を母は笑いながら、父は苦笑いしながら話してくれます。
毎回同じ話ですが、2人の楽しそうな話を聞くのは娘としても楽しいものでした。

そんな私も婚約指輪を頂ける立場になりました。
「指輪買いにいこっか。」
という彼のありがた〜い申し出で(待ってましたこの言葉!!!)2007年2月11日に婚約指輪を買ってもらいました。(*^▽^)ノ☆

当初、私は1粒ダイヤより、メレという小さいダイヤが一緒に輝いているタイプがいいな、と思っていました。
そして、V字とかキレイなカーブを描いたものが最近の人気ということでしたが、私は
「幸せ目指して一直線!」ということで(?)リング部分がまっすぐなタイプを希望していました。

どこのお店で買うというのは決めていなかったのですが、結婚情報誌などに載っていて「ダイヤにこだわってそうだなあ。何か雰囲気よさそうだなあ。」と気になっていたお店の割引券をたまたま頂いたので、とりあえずそのお店に行ってみる事にしました。
そのお店はセミオーダーで指輪を作ってくれるところで、自分の好きな台座とダイヤを選んで、自分だけのオリジナルを作ることができました。
お店ではダイヤの4C(カラット、カラー、クラリティー、カット)についても詳しくわかりやすく丁寧に教えていただきました。(勉強になりました!!)

そして、いくつかメレタイプのリングを試着させていただいたのですが、いざ試着すると
「何かが違う???」
という思いが湧いてきました。
そんな中、最初は候補から外していたはずの1粒ダイヤのリングを試着させていただいた瞬間、その凛とした姿と指にはめたときの妙なしっくり感が
「あれれ?いいかも・・・・。」

次に自分がダイヤの何を一番大事と思うか。カラットか?カラーか?カットか?と、だいたいのカラット数も決めて、ダイヤの選定作業に入っていただきました。

ダイヤを選んでいる間に次は30種類くらいの中から台座を選びます。
私は最初メレタイプを希望していましたが、「何かが違う。」と思い始めていた私。
彼はいいんじゃない?と言ってくれるのですが、私自身はなんだか指に合わない気がしました。
そして、V字もカーブを描いたのもやっぱり何かが違う。と感じていました。
その30種類の台座の中には実はあまりピンとくるものがなかったのですが、とりあえず、と3つ選び出してみました。

そして、私たちのダイヤ(?)が運ばれてきました。
2人で「ほーーーーキラキラしてるーーー」と大興奮。(☆o☆)人(☆o☆)
そのダイヤを選んだ台座に乗せてもらって試着します。

どれもキレイだし、彼やお店の方にも「いいんじゃない?きれいだよ。」と言われたけど、やっぱり私の中には「何かが違うぅぅ・・・・・。」という気持ちが渦巻いていました。
関節が赤くなるくらい何度となくつけてははめ、つけてははめを繰り返しても私の心は決まらないし雲っていくばかり。
一生に一度のエンゲージリング。こんな思いのまま進めていいのだろうか!?
一人テンションが下がっていく・・・・・とそのとき、4Cを教えてもらったときに1度だけ指にした1つのリングが頭をよぎりました。1粒ダイヤのリングです。
「あれだ!!!」そう思い、その台座を持ってきてもらって、そこにダイヤを乗せ試着すると

「これだ!」((((((((((((((((((((( ≧Д≦)ノ☆

彼は「え!?それがいいの!?Σ(OДOノノ」とかなりビックリ。
このときの私に迷いはまったくありませんでした。

1粒ダイヤだけれど、デザインがちょっと変わっているし、華奢すぎず質素すぎずな感じが私の心をつかみました。そして、これから婚約指輪をはめた自分の指を見たとき、この指輪だったら、ずっと嬉しい楽しい気持ちになれそうな気がする。そう直感で感じたのです。
「これがいい。これにする。お願いします!」

こうして、私のエンゲージリング選びは2時間ほどで無事終わりました。
彼からは「最初に言ってたのと随分違うけどいいの?」と何度も心配されましたが、
私は「いいよ〜!!」とかなりルンルン♪

実は、他のお店も見たいな(実際何件も見る方は多いらしいし)という思いがあったのですが、このダイヤにはきっとここでしか出会えない!と思ったので、決めました。
カラット数が「0.287」並び替えると、結婚式の728日になるんです。
そんなことに運命を感じたのでした。

お値段は、割引券とキャンペーン中ということで、かなりのお値引があり、彼の予算をはるかに下回るものでした。
値段を見たときの彼のちょっとほっとした顔がかわいかったです^^

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2007年3月4日

受取りに行ってきました。
待っている間は、待ち遠しくて待ち遠しくて早く〜早く〜(~o~)と毎日思っていました。
出来上がった指輪を見て
「これにして良かった。」
と心から思い、心から彼に
「ありがとう。大事にします。」
と伝えました。

結納が終わるまでは着けないように、と言われたので、結納が終わるまでは箱の中で待っててもらってましたが、毎晩寝る前に「うふふ・・・」と見るのが日課になってました。

そして、結納が終わり、指輪は毎日私の左手の薬指で輝いてくれています☆

8月8日 -



幸運を呼ぶサムシングブルーの結婚指輪

エンゲージと同時購入するとかなりお値引していただけるのと、かわいいリングピローがもらえるという特典に惹かれ、婚約指輪を購入したお店で同じ日に結婚指輪も買う事にしました。

これから一生着けるものだから、とこだわる方も多いと思いますが、私たちはとにかく
シンプルなプラチナリング
を希望していたので、悩む間もなくあっさり決まりました。
本当に飾りもなにもないシンプルなリングですが、幸運を呼ぶ(?)サムシングブルーといって、裏に小さなブルーサファイヤが埋め込まれていました。
裏の刻印に「2007.7.28」とお互いのイニシャルを入れてもらうことにし、いよいよ本当にその日に結婚しなくちゃいけなくなったな〜。と感じました。
(感動ポイントがずれてますか!?)

彼も生まれて初めて自分の指のサイズを知り、指輪をはめたじぶんの指を興味深げに眺めていました。

受け取りに行った日は、私は婚約指輪を彼は結婚指輪をつけてしばらく過ごすことにしました。
そこで、気がついたのですが、彼は左手の中指と薬指の間の水かき部分がやたら大きく、そのため指輪が指の付け根までいかないのです!!
指の途中で止まっちゃうので、すごく見ていると「もっとしっかりはめたら?」と言いたくなってしまうような、もどかしい指になるのです!!(写真だとちょっとわかりにくいですが)

でも、彼が指輪をしている姿がとても新鮮で、その手をみるたび私が
「うふふ。」
と嬉しくなってしまいました。

仕事の都合で、結婚しても彼は指輪をする機会はあまりないと思いますが、たまには付けて一緒におでかけしてもらえたらなあ、と思っています。

8月7日 -



マリッジブルー結婚なんてしたくない!

えー最近彼とあまり仲良しではありません。
お互いに「これ以上言ったら近づいたらやばいぞ」というラインがわかりはじめているので、踏み込まないよう地雷を踏まないように気を遣いあっているのが、なんともまたもどかしくて、参ったなあもう。てな感じでございます。
母には「これから一緒に暮らしたら、避けられないんだよ。」と言われ、んーどうしたもんか!?
今の居心地の悪さは私の余計な一言が招いたことなんですが・・・・。


ということで(?)今回はマリッジブルーに陥った時の話をします。


結婚を認めてもらってから3週間。
バタバタと式場を決め、指輪を買い、結納する日を決め、衣装合わせの予約を入れ、友達に報告するため連絡を取りまくり…次から次へと襲ってくる「やらなきゃならないこと」に追われ、彼とはなかなか会う時間も取れず、会えても結婚の話ばかりで、電話もメールも業務連絡のようなものが増えていました。

結婚の準備期間が短いということは、忙しいということ。
わかってはいたけど、想像を上回る気忙しさで、気がつくとため息と
「疲れた〜」
という言葉ばかりの私でした。
結婚準備期間が半年しかないことを、一番心配をしていたのは母でした。夏の挙式を嫌と言っていたのは、遠まわしに
「準備期間が短いと大変で、2人の気持ちがすれ違い、すさんでしまうよ。もっと余裕持てばいいのに。」
ということも私に伝えたかったのだと、その時になって初めて気がつきました。
(やっぱり母親ってすごい!!)

そんな母の心配が見事的中し、私は見事すさんでしまいました。

彼の「何とかなるべさ」というのほほんペースに苛立ち、父と母の心配の声も聞きたくない。
自分だけが頑張っているような気持ちになってきたりもしてました。
さらに、結婚を決めてから、彼が段々とたくましくしっかりしていくのが、
「冷たい。変わってしまった。」
という、マイナスな考え方でしかとらえられなくなってしまいました。
(発言とか喋り方がしっかりしてきたんですよ〜。母も驚いてました。)

そんな鬱々とした気持ちが彼の
「俺は何も変わってないよ。さとこが疲れてるだけだよ。」
という彼の一言で爆発してしまいました。

友達との付き合い方が変わってしまうかもしれない。
仕事だって変えなきゃいけなくなるかもしれない。
名前が変わってしまうということは、今まで28年間生きてきた私がいなくなるような気がする。

などなど考え出したら失うものばかりな気がしてきて、辛くて悲しくなってきました。

そして、

恋人でいた方が楽しかった。結婚なんてしたくない。

そう泣きながら言ってしまいました。

それを聞いて彼は
「じゃあ結婚やめるか?今ならまだ間に合うよ。」
と静かな声で言いました。

そして、

「さとこが喜ぶ事を俺はしたいと思ってるから、結婚がさとこにとって
 嬉しい事じゃないなら、やめよう。俺だって嬉しくない。
 確かにさとこは変わってしまう事が俺より多いと思う。
 でもさ、なくしたくないものがたくさんあるって事はすごく素敵だし、
 その大事なものを今わかってるさとこは偉いと思うよ。
 環境は変わるかもしれない。だけど、俺は何も変わらず一緒にいるから。
 変わらないものはある。
 俺がいる。
 そう考えてみるのはダメかなあ?」


と言ってくれました。

でも、その時はすぐに素直に「うん。」とは言うことはできませんでした。(ごめんなさい)
彼が世界で一番大事!
何を失っても彼と一緒にいたい!
とはなかなか思えませんでした。

立ち直りつつあったある日、高校時代の仲間に会い、みんなから
「おめでとう!」
「さとこの名前が変わるのは不思議な気分だね〜。」
「でも、私たちの中のさとこは苗字が変わってもさとこのままだよね。」
「これからも楽しく仲良くしようね〜!」
と言ってもらい(涙)完全復活できました。
みんなありがとうおおおおおおおおおお!!!!!!

そのあと迎えたお付き合い3年記念日に彼から
「今は2人の時間あまり取れないけど、これからはずっと一緒だからね。
 少しの我慢だよ。頑張ろうね。」
と書かれた手紙をもらいました。

それ以降はブルーになっても、「今だけ今だけ。もう少し。」と考えて乗り切れるようになりましたが、4月のある日、今度は彼がブルーに陥りました。
(原因はこれまた私なんですが・・・)
何を言っても手がつけられず、困り果てたとき、記念日にもらった言葉を彼に
「私にそう言ってくれたじゃん。」
と伝えると

「………俺そんな素敵なこと言ってたのね。」

と何かに気がついたようで、すぐに機嫌が直りました。
(本当に立ち直りが早かった!!)

それからは2人とも「結婚やめる!やめたい!」と思うことはなくなり、何があっても「頑張るしかないじゃん」と思えるようになりました。
凹んだ日々も誰かのために役立つ日がくる。
今のこのバタバタな時間もきっとかけがえのない思い出になる。

と思ってはいるのですが、こんなにもめたりする私たちってどうなんだろ?という心配もあります。
藤原紀香さんはマリッジブルーで円形脱毛症になったというし、珍しいことでもないんだろうけれど。

人生何事も経験だあ!!!

前向きに。

がんばります。顔晴ります。お〜!

8月6日 -



結納は略式で堅苦しくなく結納悲喜こもごも

2007年3月25日。
無事結納が終わりました。
結納とはいっても、本当に略式で、堅苦しくはないものでした。

彼のご両親とお姉さんは1泊2日という強行スケジュールで名古屋に来てくれました。
たった2日の間に、一緒に式場を見たり、彼のお父さんお母さんのモーニングと留袖をレンタルしたり、結納したり、食事会したり、徳川園に観光に行ったり。
忙しい2日間でした。

彼のご家族と私の家族と、果たして話が合うだろうか?という不安もあったのですが、
いざ顔を合わせたら
両家の両親とも
「いやー昨年の11月に“結婚したい人がいる”て連れて来て、
 何となく1年後くらいかな?て思っていたのに、まさか次の年の7月に
 結婚するとは思ってなかったですね〜」
から始まって次から次へと会話が展開しておりました。
私と彼がぼーっとしている間に、親同士でお金の話やらなにやらたくさん相談しあっていたそうです。
父も母も
「良い方でよかった。」
と安心していました。

和気あいあいと観光や食事に行ったのですが、やっぱり彼のお母さんは息子が結婚するのが嬉しいよりも寂しくてたまらない様子でした。

「姉には“息子がいなくなる”じゃなくて、“家族が増える”て思いなさい。言われたの。」
「もう色々ご飯とか送れなくなるし・・・。」
「子離れしなくちゃと思うんだけど・・・。」

とか言われると、結婚することや彼と一緒にいることが悪いことのような、申し訳ないような気持ちになってしまいました。

気がつくと必ず彼の横を歩いているお母さん。
お母さんに気を使って彼に近づこうとしない私。
そんな私に気づいてそばに来てくれる彼。
そんな私たちの微妙な三角関係をやんわりと解消しようとする私の家族。

みんなの様々な気持ちが交差した2日間でした。


私の両親も「お嫁に行くのはやっぱり寂しいよね。」と言っているし、彼のお母さんの気持ちをどうこう言うつもりはありません。
私のことも気に入ってくれて、(と思っているのは彼と私だけ?)
いじわるをされるわけでも全然ありません。
が、
あまりにも素直に
「寂しい。」
と言われたり、切なそうな顔をされると、私ほんとーーーーーーーーーに苦しいのです。

今もわけあって彼のところにお母さんが来ていて、色々なことを
「さとこさんがやってあげて。さとこさんにおまかせ。」
と一生懸命寂しさをこらえながら、私にまかせようとする姿を見ていると、なんとも言えない気持ちになってしまいます。

そこで
「まかせてください!」
と言ってしまえばいいのか、
「そんなこと言わずにお母さんお願いしますよ。」
と言ったほうがいいのか。。。。。
本気でここ数日、
「結婚していいのか?」
と思ってしまうほどです。

母に相談したら 
「それは仕方のないこと!
 息子が結婚して親の手を離れることは、お義母さんにも分かってもらわないといけないし、
 さとこも割り切って乗り越えなきゃ!そうやって時代はつながっていくのよ。
 お義母さんはすぐに会えないところにいるから余計恋しいのかもね。
 でも、結婚したらさとこが彼の一番身近な人になっていけるんだからさ。」
と言われましたが。。。。

もっと大きな目と心を持つ人になりたいです。

あーっとグチっぽく暗くなってしまいました!
ごめんなさい。

8月5日 -



ウェディングドレス衣装合わせはお姫様気分

口元まぬけな写真ですが、
さとこでございます〜。→


2007/3/4
人生で生まれて初めてドレスというものを着ました。
しかも、ウェディングドレスです!!
ということで衣装合わせのお話をします。

衣装合わせは、彼と母と姉と4人でぞろぞろと行って参りました。
担当してくれたのは、とーーーーーーーーーっても柔らかな雰囲気のかわいいお姉さんで、すごく喋りやすくて、母も姉も彼も「素敵な人でよかったね^^」と喜んでいました。
悩んでなかなか決まらないかな?思っていたドレス選びですが、実際はあっさりと終了しました。
試着させてもらったのは、4着。どれもAラインのドレスでした。

1着目:リーフの刺しゅうがとてもかわいいシンプルなドレス。
衣装サロンのお姉さんが
「さとこさんにこれを着て欲しいです!似合うと思います!トレーン(後ろの部分)が長いので、チャペルの白い大理石にとっても映えると思います!!」と勧めてもらったのです。
2着目:ローマの休日のアン王女っぽいドレス
3着目:全体的にレースがたっぷりのふわふわなドレス
4着目:胸元はシンプルだけど、裾がボリュームたっぷりなドレス

結局、みんなの「良い!」という意見が一致したお姉さんお勧めの1着目のドレスに
決定!!
やはりプロは見る目が違うね〜と4人でお姉さんに拍手。

余談ですが、私は167センチなのでございます。
背が高いと、洋服にしても浴衣にしても振袖にしても、選べる範囲がせまかったりしますが、ドレスに関しては、170センチくらいで着るのが一番ドレスが自然で綺麗なんだとサロンのお姉さんから聞きました。
なので、これからは普段着ドレスにしようかしら?(〃▽〃)ウフ
と思ったりしてます^^;

2007/4/7
第二回衣装合わせです。またまた彼と母と姉と4人で行きました。
今度はカラードレスを選びます。
カラードレスに関しては、あまりこだわりがなかったので、みんなが選んでくれるのを着ようと思っていたのですが、選んでいたらとある桃色のドレスに出会いました。
私が何気なくそのドレスを眺めていると、サロンのお姉さんからの
「それ新作なんです!さとこさん色白なので、絶対似合うと思います!着てみてください!」
というお勧めのお言葉に背中を押され、試着してみることにしました。
桃色といっても、桃の外の桃色ではなく、桃の皮をむいてあらわれる桃のお肌のような、黄色のようなピンクのような、一色とも二色ともつかない不思議な色合いのドレスです。
天女のはごろものようなショールもついていて、姉と2人で
「わーいわーい天女リータ(テンニョリータ)〜!!」
とはしゃいでしまいました。(サロンのお姉さんは温かい笑顔で見守ってくれていました)

次に淡いピンクのドレスを着ましたが、みんな
「かわいいけど、インパクト薄いかなあ?」
ということで、却下。
次に
「赤を着てみて欲しい。」
という彼のリクエストを受け、鮮やかな赤で、幾重にもレースが重なり合ったカーネーションのようなドレスを着てみる事にしました。(これもサロンのお姉さんセレクト)
着る前はみんな「似合うか〜?」と思っていたのですが、着てみたらみんな
「すっごい良い良い!」「似合う似合う!」「新しいさとこだよ〜!!!」
と大絶賛。
お色直しのインパクトはかなり大きいよね〜と話していたのですが、披露宴会場を思い浮かべると、やっぱりあの雰囲気には赤はキツイよね〜とも思いました。

ということで、彼の「桃色の方がさとこイメージに合うかな?」という言葉と、優しいかわいい花嫁を演出するべく(?)桃色天女ドレスに決定いたしました!

花嫁の衣装選びが終わり、今度は花婿の衣装選びでございます。

白・グレー・黒のタキシードを試着しました。
彼は最初
「白のタキシードは・・・・恥ずかしい・・・・」
と嫌がっていましたが、実際着てみると、なかなか似合っていて、母と姉と私とで
「いいよ〜似合ってるよ〜!!!!」
と誉めまくっていると、彼も段々と「白もいいかも?」と思えてきたようです。
(単純だなあ^^;)
結局彼もお色直しすることになり、白とグレーのタキシードを着ることになりました。
でも、新郎様ってお色直しは無しとか、シャツの色を変えるだけとかの方が多いらしいですね。
(お金の節約にもなるし。)
でも、せっかくだから彼も一緒にいっぱい着て楽しんでしまえ〜!という感じでした。
実際、予算はオーバーしたのですがね^^;

2007/5/20
小物合わせに行って、ティアラやヴェール、手袋、アクセサリーを決定しました。
(今度は彼はお留守番です。花嫁の完成形は秘密にしておきたかったので^^)
ヴェールをまとうと、一気に花嫁さんて感じになりますね!
姉が「お父さん絶対泣くわこりゃ。」と呟いていました。
憧れだったティアラも付ける事になり、は〜嬉しい♪

こうして楽しいお姫様気分に浸れる衣装サロンでの時間はあっという間に過ぎていきました。

実は担当してくれていたお姉さんが「5月で転勤するんです。」ということで、2回目の衣装合わせ以降はお会いできなくなってしまいました。
が、いつも笑顔で接してくれたそのプロ意識というか仕事に対する姿勢というか、すごく教えられたものがたくさんありました。
「人の笑顔が見れるけど、一番輝く瞬間(結婚式)を私たちは観ることはできないんです。
 でも、その瞬間のお手伝いをできるこの仕事が私大好きです!」
と言った満面の笑みが、今でも私の中で輝いています。

人との出会いはやっぱり素敵なものですね☆
(あれ?主旨が変わってる?)

8月4日 -



結婚式の打ち合わせと見積もりにお金の問題

2007/2/26
初めての式場との打ち合わせでした。
私たちを担当してくれることになったプランナーさんは、山形出身のとてもかわいらしい明るい方で、北国出身の3人で、しばし北国話でもりあがりました。
最初の打ち合わせでは、
招待状はどうするか?
何名くらいお招きするか?
どういう式にしたいか?
など大まかな式の流れを考え、引き出物のパンフレットをたっくさん(重い!!)頂いて終了〜。

2007/4/26
第二回打ち合わせ。
二回目は、
ブーケ
式場の装花
写真撮影について
お料理(ウェディングケーキ)
式の流れ
をすべて決めないといけませんでした。
半日以上かかるので、仕事を休ませてもらって行ってきました。

色々「ああしたい。こうしたい。」というと、お値段がどんどんどんどんどんどん。。。。
上がっていくんですよね(涙)
でも、どうしても各卓に飾るお花用の花瓶ひとつ取っても、お値段高い方を見ると
「やっぱり高い方がいいのね〜・・・」
てなってしまうんですよね〜。
頑張って低め低めにおさえようとしていたのですが、削るところって案外ないのですよね・・・。

そして、最後にいただいた見積もりが私たちの払える範囲を上回るとてつもない金額になっており、二人で絶句。
・・・・・・・・・・(・_・;)(-_-")

結婚を決めた9月から、お互いの貯金とは別に、二人で貯金をし始めたのですが、それを合わせてもとても足りない。。。。。
彼も私も貯金をすべて使い果たせばどうにかなるけれど、これからの生活が送れなくなりそうだし、新婚旅行にも行けない!!
彼は「時期を遅らせても絶対新婚旅行には行こう!」と言ってくれたのですが、私は段々お金のかかることはもうしたくない・・・・。
という凹みモードになってきました。
「こんな思いをしてまで結婚式をする意味ってあるのだろうか?」
そんな想いまで湧いてきました。

そして。お恥ずかしい話ではありますし、賛否両論あると思いますが。
親(私の母親)の援助を受けることにしました。

母は私たち娘のために貯金をしてくれていたそうで、それを使いなさい。
自分も結婚する時、親にいっぱいお世話してもらったから、自分も娘にはできるだけのことをするつもり。
そして、時期を逃すと一生行けなくなるから、新婚旅行もちゃんと早い時期に行きなさい。
と言ってくれました。

実際、母からお金を受け取るまでは、
「頼ること=甘えること=いい年して情けない」
という思いが強くあったので、かなりの葛藤がありました。
ですが、母の
「娘にその日一日だけでも、世界で一番輝いて欲しい
 って思う親の願いも分かって欲しいな。」

という一言で、ありがたく衣装代のみを母に援助してもらうことに決めました。
「これで世界で一番綺麗な花嫁さんになってね。」
そう言って母から渡されたお金は、世界で一番重みのあるお金でした。

親への恩返しって、一生かかってもできるものじゃないなあ。
自分が親になった時、子供にこれだけのことをしてあげられるだろうか?
改めて親の偉大さを感じました。

お母さん本当にありがとう。

7月22日 -



プロのメイクで結婚式写真を可愛らしく前撮り

結婚式当日をみんなとゆっくり過ごすためというのと、ドレスをせっかくだからたくさんの時間着ていたいのと、式場のあらゆるところで写真を撮って残したいという私のわがままで、前撮りをすることにしました。

そして、2007/7/9に前撮りをしました。

天気が心配だったのですが、暑すぎず丁度良い気温で、途中には曇り空から陽が差してきてくれて、良い写真が撮れたかな?と思ってます。
おてんと様ありがとうございます!

10時に式場入りしなきゃいけないのに、朝9時頃に挙式費用の一部を振り込もうと銀行に行ったら、ATMで振り込める金額の限度を超えているとかでATMに拒否られ、窓口に行ったら
「通帳と印鑑がないとお振込みできません。」
と言われ、じゃあ通帳を今日持ってきていないのでお金を下ろして現金で振り込みますと言ったら
「一日に50万円までしかお引き出しできません。」
と言われ。。。。。。。間に合わないぞ〜!!!(汗)

これも振り込め詐欺の影響なんですかね。。。。。
かなり怒!!!!でした。
が、何とか通帳を取りに行ったりして振込みを完了し、時間ギリギリで会場入りし、バタバタのまま前撮りのお支度が始まりました。

私が最初からこの式場に対して「!?」て思うのは、新郎と新婦の控え室が一緒!のところなんですよね。
(今はそれが主流なんでしょか?)
一緒にお支度をしていきましょう☆
という考えのもとらしいのですが、着替えもメイクも全部新郎様がいる目の前で繰り広げられるわけですよ!!!!!
いやー花嫁ができあがる過程はヒミツにしておきたい!と私は思うんですけどね。。。

そんな違和感を覚えつつメイクをしてもらいました。
ウェディングは「清楚に
カラードレスは「かわいらしく
とだけお願いしてあとはメイクさんにおまかせでした。
普段まーーーーーーーーーーーーーったくお化粧をしない私。
なので、アイラインとかマスカラとかをした自分の目が他人のようで、どこか違和感を感じるのです。
彼も見慣れないので、私の顔を見て
「綺麗だよ。可愛いよ。」
よりも先に
「目何色?(アイシャドーの色の質問)まゆげすごいキラキラしてるよ。」
という始末。とほほ。。。。。
(結局最後まで綺麗だとか言われなかったでしゅ。。。。。。)

そして、先週美容院で前髪を切りすぎ、毛先をすかれすぎて、なりたいイメージとかけはなれた私の髪を、なんとも見事な腕前で理想以上の形に仕上げてもらいました。
いやープロってすごい!!

お支度をしている途中で、ブーケがやってきました。
ウェディングブーケはユリをメインに白とグリーンでさわやかにまとめられていて、
カラードレスのブーケは赤とピンクのバラをメインにまん丸型にかわいらしく仕上がっていました。
これまたイメージ通りで感動しました。

最初は「俺はいいよ。」と言っていたのですが、せっかくだからと彼もヘアメイクをほどこしてもらって、普段と違う雰囲気でかなり良い感じになってました。
(えーっとかっこよくなりました。()プランナーさんに
 「実はイケメンですよね!」とおだてられ彼もまんざらでもなさそうでした)

ヘアメイクも完了し、ドレスを着たら次は写真撮影です!!!!

普段写真撮影が苦手な私たち。
特に彼は自然な笑顔がめちゃくちゃ苦手なので、どうなることかと思ったのですが、カメラマンさんの見事な話術と笑顔で、段々と二人とも自然な笑顔が出るようになってきました。
でも、
「じゃあこういうポーズしましょう。次はこう。次はこう。もっと顔近づけて〜そうそう^^」
と色々カメラマンさんに言われるがままにポーズを決めていたので、一体どんな写真ができるのだろう!?と怖いような楽しみのような感じであります。

式場のエントランスや披露宴会場、チャペル、控え室、など全ての場所で写真を撮ってもらい、15時に写真撮影終了〜
せっかくメイクをしてもらったのだからと、その顔のままパスポート用の証明写真を撮りに行った私でした^^;
(プランナーさんに「さとこさんのそういう全てを有効活用するところすごい好きです!」と大爆笑されましたが)

そして、1時間の休憩を取って、16時からは式場との最後の打ち合わせでした。
まず、司会者の方との打ち合わせ。
(結構あっさりと終了)
次にプランナーさんと引き出物や他のこまごまとした式の流れの確認でした。
席次表とか他色々受付グッズや何やらあれこれ。。。。
まだまだやることがたくさんある〜〜〜〜〜!!!!
と気ばかりが焦ってきました(>_<)
次にBGM♪の打ち合わせ。
ある程度「この場面にはこの曲!」と二人で決めていったので、これもあっさりと終了。

20時に式場を後にしました。

10時間も式場にいたんですね〜。かなり疲れました。。。。。

でも、楽しかった〜!!!!

余談ですが。

「ブーケはお持ち帰りくださいね。」
ということで、ウェディング用とカラードレス用のと2つを家に持ち帰り、デジカメでブーケを撮ろうとしたら、母がさっとブーケを手に取って
「写真撮って〜(◎▽◎)v」
と言う表情でカメラ目線してきました。
なので、撮ってあげると今度は父が
「じゃあお父さんも(^▽^)」
とカメラ目線。次に父が
「お姉ちゃんも!」
ということで、姉も照れながらカメラ目線。

なぜか大写真撮影大会になってしまいました。(どういう家族だ!?)
でも、お花が家にあると華やかになってよいですね^^

7月21日 -



最後の夜。入籍前日の寂しさ(実は号泣)

2007年7月15日。日曜日。

無事明日の入籍が完了してからの方がいいと思ったのですが、今のさとことして書き留めておきたかったので、今書いています。

入籍すると言っても、全然実感が湧かず、パスポートや銀行や免許証やら何やらの切り替えが面倒だな〜て方が、頭にはぐるぐる回ってる状態です。
いやはやホント変更するものいっぱいで姓が変わるのは大変だ!!!

でも、今日が生まれてから28年間ずっと一緒だった名字と過ごす最後の日。
そう思うと、寂しさがどーーーーーーーーーっ と押し寄せますね。
ぐすん。(実は号泣)

彼には
「離婚したらまた戻れるよ!」
と苦笑いされながら、不思議な励まされ方もしましたが^^;
(それも嫌だなあ〜)

きっと明日も同じ様に時間は流れて、朝が来て昼が来て夜が来て、また朝が来て・・・・
そして、すれ違う人は誰も私の変化には気付かないんだろうな。

通り過ぎたら、きっと今日のこの一日もただの通過点かもしれません。

でも、今のこの気持ちは大事にしていたいなと想います。


今日までの私。よくがんばりました。えらいぞ!自分!本当にありがとう。

明日からの私。最期の時までよろしくね。これからいっぱい一緒にがんばろうね!

そして、みなみなさま。これからもよろしくお願いします。

7月20日 -



婚姻届提出! 苗字が変わった初めての夜

まず、はじめに。
新潟をはじめ、甲信越地方の方々。
大丈夫でしょうか?
父の故郷が新潟県柏崎市なので、とても他人事とは思えず、心配しています。


そして、おめでとうの言葉を下さったみなさま。
本当に本当にありがとうございます。
温かい言葉は全て私の大事な大事な宝物です。



本当は結婚式の日に婚姻届を出す予定だったのですが、色々あって、早めに婚姻届を出した方がいいかな、となったのです。
それで、結婚式より前で記憶に残りそうな良い日を探していたところ、16日の友引がありました。

結婚式が私の誕生日のちょうど1ヶ月前で、7月16日は彼の誕生日のちょうど1ヶ月後なのです。
しかも、彼はおじいさんお父さんと親子3代続く16日生まれ。
(さらに彼はおじいさんと同じ誕生日!おじいさんの名前の一文字をもらっているのです。)
なので、彼は16日には特別な想いがあるらしく、私が
「16日は?」
と提案すると、すごく嬉しそうに
「俺、16好きだから、その日にしたい!」
と言ったので、その日に決まりました。

婚姻届は案外緊張せず、間違いもせず書けました^^
(保証人になってもらった父の方が緊張していたかなあ。)

そして、提出する時間は私が生まれた
午前11時27分(彼と出会った11月27日と数字が一緒なのが驚き!)
頃にしようとなりました。
自分の人生がスタートした時間に、また新たにスタートを切ろう!という変な私たちのこだわりです。


そして迎えた2007年7月16日。月曜日。

カーテンを開けたら眩しい太陽が輝いていました。
台風が去った後の空は澄んでとても綺麗でした。
いつもどおり朝ごはんを食べ、支度をして、彼が迎えに来てくれるのを待っていたところ、テレビを見ていた姉が
「柏崎で震度6強の地震が発生したって!!!!!」
と大きな声で言いました。
すぐに母と3人で(父は出かけていたので)テレビをつけると、地震情報一色でした。
「柏崎市内では家屋が倒壊したところもあり・・・・」
というアナウンスが入り、柏崎市内で一人暮らしをしている祖母の安否を知りたくて知りたくてたまらなくなりました。
裏に山がある、かなり古い家に一人で住んでいる祖母。
昨日までの雨で山の地盤がゆるくなっているんじゃないか?と姉も不安な声。
90歳が近くなり、足も弱りはじめたと言っていたので、かなり心配でした。
母が何度電話をかけても通じず、不安は募るばかりでした。

そして、彼が迎えに来て、出かけなければならなくなりました。
行く時間を変えようとした私に
母が
「大丈夫!おばあちゃんは大丈夫だよ!行って来な!」
と明るく言ってくれ、出かけることにしました。

出かける直前母と姉に
「じゃあね。○○(旧姓)さとこちゃん!」
と言われ、涙がウルルルル〜と出てきました。
そんな私を尻目に
「新しいさとこを待ってるよ〜いっておいで!!!!」
明るく見送る母と姉。

なんだか、一生忘れられない場面になった気がします。

彼の車に乗ると、彼が
「さとこにお手紙書いた。」
と手紙をくれ、それを読んでまたウルルルルルル。


7月16日。今日は入籍だね。嬉しさ寂しさ、期待と不安とが入り混じった気持ちだね。

から始まって、私の両親や色んな方々に対する感謝の気持ちや私への想いを書いてくれていました。
そして、最後は

これからは夫婦仲良く、喜怒哀楽すべてを共に分け合って頑張っていこね。

て終わっていました。

いや〜やられました(泣)
一生共にするのがこの人でよかった!て思う内容でしたが、入籍の「籍」が間違っていて笑えました^^;
それが彼らしいのだけど。

休日の場合の婚姻届は守衛さんに渡すものだと思っていたのですが、ちゃんと区役所の市民課の方がいらっしゃって、対応してくれました。
「今日はとりあえず、預かりって形だから、受理じゃないんだけどね。おめでとうございます^^」
と、いうことでしたが、無事婚姻届提出完了☆

結局提出したのは、11時10分で予定より早めだったけど、28年前この世に生を受けた月曜日にまた新しい人生をもらえた様な気持ちでした。
(生まれたのが月曜日だったのです〜。不思議なめぐり合わせです。)

区役所を出ると姉から
「おばあちゃん大丈夫だって!ただ家の中はめちゃくちゃみたい!」
と連絡が入り、ほっとしました。
(でも、まだその家に一人でいるらしいのです!同じ柏崎市に伯父さんがいるのに、そこには行きたがらないのです。。。。。)


まだ一緒に住める環境が整って無いので、結婚式が終わるまでは別居結婚ですが、あげはさんの旦那様のお言葉を借りるならば「平安貴族」のようで、素敵ではないかと思っています^^
(あげはさん、あげはさんの旦那様。お借りしちゃいました。)

7月18日 -



My sweet Home新婚新居はありえない社宅

衣食住なら、「食」が一番大事な私。
でも、そんな食を安心して楽しめるのも「住」あってのことだと痛感しております。

新生活をはじめる場所は、彼の職場の社宅にすることにしました。

市内に十数か所社宅があり、住所と築年数、部屋の間取り(2DKとか2LDK)部屋面積が書かれた一覧表をもらって、4月なかばくらいから彼とどこが良いか検討を始めました。
私は自分の本籍地にかなり近く割と築年数も若い社宅がいい!と思ったのですが、空き部屋は1ヶ月前に空き巣に入られ鍵を付け替えたばかりの1階の部屋しかなく、かなり悩みました。
「買物する場所も近くて、桜の名所の隣で、環境は良い。
 でも、空き巣の危険におびえつつ暮らすか?
 どこに住んでも悪い人はやってくるし、
 たまたま運が悪かっただけかもしれないし・・・」
と二人で「ん〜ん〜」と考え、結局諦めました。

そして、またいくつか探してもらったのですが、「良い!」と思うところはやはり空きがなく、「どうしたものか・・・」と思っていた矢先、一番築年数は古い(50年・・・)けど、私鉄・地下鉄・JRを擁する駅まで徒歩10分たらず、大型ショッピングセンターすぐそばの社宅で1部屋空きが見つかりました。
今の職場が名古屋駅なので、その社宅ならJR一本で通えるし、近いし仕事を変えずに済むなあと思い
「ここにするか。」
とお願いしようとしたのですが、
「社宅は申込順ではなく、入居日順で優先順位が決まります。」
と言われ、なんじゃそりゃ!?
つまり、私たちが先に7月1日からその社宅に入りたいとお願いしても、6月1日から入りたいという人が現れたらその人が優先なので、私たちは入れなくなると・・・。
ありえないでしょ!そんなこと!!!!

といきどおりばかりを覚えたのですが、何とか6月1日からという契約にして、2DKの間取りの部屋に入居できることになりました。
(本当は3DKが良かったのだけど、3DKで空いているのは元々単身者用の部屋だったので、備え付けの冷蔵庫やらを自分で搬出してくださいと言われたのです・・・ますますありえない。。。)

同じ社宅に住む先輩から
「社宅は汚いぞ〜。DIYの毎日になるぞ〜」
と言われていて、覚悟はして部屋を見にいきました。
他の社宅に住む先輩の奥様は
「こんなところで新婚生活なんて・・・」
と泣いたとか。それほどにひどかったらしいです。
ほんとどんな職場なんだか!??

えーそして、5月末頃に見に行った私たちのお部屋も予想通り(?)すごかったです。
2ヶ月前まで人が住んでいたの!?て思うほど、カビカビではげはげの壁。
前の前の住人さんがなぜか「砂壁」にしていったとかで、砂壁の砂がぽろぽろ床に落ちていました。
私も社宅暮らしだったので、古い狭いのは気になりませんが、「汚い!」てのは本当
ありえなーーーーーーーーーーーーーいい!!!!!

普通は入居する前に、補修入って壁とか畳とかきれいにするんじゃないの!?
どういうことなの!?

と怒っていてもはじまらない。
進まねばということで、彼の職場の総務課に
「補修してもらえないっすか?」
と聞いてもらったら
「ごめんねーでも、壁とかは自己負担で修繕する範囲に含まれているんだ・・・。」
と社宅規定を渡され、それを読むとほっとんどが自己負担の範囲!
お風呂やおトイレまでも自分で直せ!と書いてあり、ますます
(はい皆さんご一緒に)
ありえなーーーーーーーーーいいいいいいいい!!!

現状と同等またはそれ以上に修繕するならば、退去時に現状復帰する必要無し。
ということだったので、もう好きにやらしていただきます・・・(-"-;)
DIYしている時間も技術もないので、6月上旬にとある工務店さんに相談に行きました。
私がぜんそく持ちなので、無添加のエコ住宅用の塗料や材料を使ってもらうことにしたのですが、それってやっぱり結局、
高いんですよね!
見積もり見て絶句しました。。。。

でも、敷金礼金払ったつもりで、2部屋分の畳の表替えと3部屋分の壁の塗り替えをお願いしよう!ということになりました。

そして、6月15日から内装工事が始まったのですが、始めると
「あそこも壊れているんですけど。。。あれも気になるんですけど。。。」
と次から次へと問題点が出るわ出るわで、工期がどんどん遅れていきました。
なので、予定していた家具や家電の搬入をずらしてもらったりと大変でした。

しまいには
「トイレ水漏れ激しいですけど、どうしますか?部品もかなり古いので、トイレごと取り替える方が安全で早いかもしれません。」
と言われ、予定外のトイレ工事まで発生しました。

大変でしたが、おかげで色んな知識が増えました。
畳も選んだし。畳のへり(あの縁取りの部分)も選んだし。
ふすまの柄も選んだし。
生まれて初めてトイレのカタログを真剣に読んだし。(にわかトイレ博士です。)
トイレの床材も選んだし。
工務店のお姉さんもすごくかわいくていいお姉さんで、愚痴聞いてくれたりしたし。

小さい頃から寄り道大好きだった私は、やはり寄り道で何かを見つけるのが得意(?)なのかもしれないなあ、と思ってます。
(ポジティブすぎますかね!?)

工事の途中の段階で、社宅の皆様に挨拶に伺いました。
みなさん良さそうな方で、
「大変ですね〜。よろしく〜」
と言ってくれ、ほっとしました。

そして、7月15日。やっと工事終わりました。。。。。
かなりキレイになって、気持ちよく暮らせそうです。
新しい畳の香りが心地よくて、彼と二人で思いっきりお昼寝しました。

が、が、が、が。
またまた問題発生してまして、現在補修中であります。
台所でオーブン置こうと思っていた部分と電話置く場所のコンセントが埋められてました〜!
なんでやねん!?

来週にはどどん!と家電がやってきます。

いつになったら甘い(?)新婚生活が送れるのやら?
はーこりゃこりゃでございます。

7月17日 -



新婚さんのパスポート申請と婚姻届受理証明書

2007/7/18

一日お休みをもらって彼と色々手続きに行ってきました。

まず、これから住む区の区役所に行き、丁寧な説明を受けながら住民異動届けを書き提出し、新しい住民票をもらい、新しい実印で印鑑登録をしました。
次に警察署に行き、免許証の変更をしてもらいました。
といっても、裏に変更箇所を書いてもらうだけなんですね。
丸々免許証が新しくなるかと思っていました。

ここまでは順調に進みました。

お次はハネムーンのためのパスポート申請です。
ハネムーンは新姓で申し込んだので、新姓でのパスポートが必要になったのです。
旅行会社の方に
「確認のために7月末までに一度持って来て下さい。」
と言われたので、早めに申請する必要が出てきてしまいました。

私はパスポートを持っていますが、新しくしてしまおうと思ったので、変更申請ではなく新規で申請する事にし、彼も海外未経験者なので、新規での申請でした。

婚姻届を提出しても、すぐ戸籍謄本が作成されるわけではない。1週間はかかるよ。
と区役所の方から聞いていたので、戸籍謄本が必要なパスポート申請が来週になってしまうなあ。旅行会社に持っていくのに間に合わないなあ。
と思っていました。

そんな時「婚姻届受理証明書」とやらでも、戸籍謄本の代用ができるらしいという話を聞き、早速愛知県旅券センターに確認の電話を入れると、
「はい大丈夫ですよ〜。ただ、受取りのときに戸籍謄本を必ず持ってきてくださいね。」
と言われたので、パスポート間に合うかも!?と希望の光(?)が見えました。

そして、婚姻届受理証明書を持って区役所でもらって旅券センターへGO!しました。
相変わらずいつも混んでいる旅券センター。
ちょうど正午くらいで、彼と二人空腹に耐えながら順番を待つこと15分。
私たちの番になりました。
すべての書類を提出すると、
「あの〜新規の場合は
 絶対に戸籍謄本がいるんですよ〜〜」

と窓口の女性に言われてしまいました。
「でもでも、私こちらに電話で確認しましたよ〜!」
と泣きつくと、
「ごめんなさいね。変更申請なら受理証明書でいいんですけど、
 新規はだめなんです。
 こちらの解釈のミスですね。
 本当に申し訳ないけれど、戸籍謄本がなければ受付できないんです!」
と言われてしまい、彼と「とほほほほ。。。。。」

「じゃあ、また平日休み取って謄本持ってきます・・・・・。
 その代わり彼の分は私が出すので代理提出って形になります。。。」
と伝えると、
「今ある書類はすべてチェックしておきます。
 じゃあ、裏の代理人署名欄に奥様のご署名と、
 ご主人様は、こちらに続柄て書いてくださいね。」
と言われ、なぜかその時に
「あーーー結婚したんだなあ。」
と実感しました。

とほほな気分で旅券センターを後にしました。

それから戸籍謄本ができるのがいつ頃になりそうか、区役所に聞くためまた区役所へ行って職員の方に事情を説明し、確認してもらうと
「今戸籍出来上がったそうです!
 出来たてホヤホヤのを
 すぐお出しできますよ!」


て、えーーーーーーーーー!?早くない!?

戸籍を置く役所に婚姻届を出すと、幾分早く戸籍が出来上がるとは聞いていましたが、ここまで早いとは!?

ということで、ホヤホヤの戸籍謄本をいただきました。
(ホヤホヤと言った女性職員さんがかわいかったです)

戸籍謄本を受け取る際に対応してくれた職員さんに
「あれ?午前も来ましたよね?」
と言われ、
「はい。通ってまーす^^;」
と彼と二人で苦笑いしながら受取りました。

そして、旅券センターへ再びGO!
戸籍も一緒にして申請書類を提出すると、
「あれ?もう戸籍できてたの?良かったね〜!」
「はい〜良かったです〜」
と旅券センターの人と一緒に喜ぶ私たち。

こうして、14時。無事パスポート申請完了。

やっとマクドナルドでお昼を食べました。
(私はマックて呼びますです。)

次は郵便局に転入届けを出して、社宅に荷物を運んで、少しぼーっとしたら17時。
「あ!エステに行く時間だ!」
と、ブライダルエステのお時間がやってきて、バタバタとエステに向かいました。

ほんとーーーーーーーーーーに忙しい一日でした。



さて、中越の地震。
亡くなった方が増えていくのは、本当に苦しいですね。
今日父と母が柏崎の祖母と伯父伯母のところに行っています。
身内が無事だとしても、他で悲しみ苦しんでいる人が大勢いるかと思うと、素直に喜べないですね。

こんなときにも自分は結婚式のことを考えています。
何よりも自分の結婚式のことを考えてしまいます。
人が死んでいるのに、困っている人がたくさんいるのに、自分は自分のことしか考えられず、誰かのために行動することもできない。
これでいいのだろうか?私。

そんなこんなで、結婚式準備を進める気持ちになれないのですが、時は確実に流れます。
進むしかないのですよね。
天災は誰にも予想がつきません。
地震は誰のせいでもないのだろうけど。

神様が私に何かを教えようとしているような。
そんな気もしています。

7月15日 -



手作り招待状と席次表に凝ってるバタバタ嫁

パ〜タパタママ〜♪パ〜タパタママ〜♪
パ〜タ〜パ〜タ〜♪


ていう曲が小さい頃ポンキッキで流れていたような。
そして、今の私はバタバタ嫁です。

招待状をはじめ、席次表と席札とを自分で作る事にしたのですが、私はかなりの凝り性なので、デザインや色合いや出来栄えや完成度にこだわりすぎてしまって、それだけで時間がかかっています。

彼や家族に
「すごいよこれ。これでいいよ!」
て言われても、自分では
「ここが数ミリ気になる・・・・。」
てなってしまうのです。

招待状も席次表も紙を選ぶことから始めたからさあ大変。
ネットでサンプルを取り寄せて
「ん〜この質感はいい。この色いい。この組合せいい!」
と一人ウキウキと作業を進めるのは良いのですが、なかなかデザインが決まらない!
で、散々悩んだあげく、招待状も席次表も席札も、ものすっごいシンプルなものになりました。
色は式場のイメージに合わせて白とゴールドでまとめました。

招待状を作る際には、両親の名前で出すか?自分達の名前で出すか?で父とぶつかりました。
父は当然「両親の名前だろう。」と言い、私は「二人の名前で出したい。」と言い・・・。
そして、結局親族には両親の名前で、友達には二人の名前で出すことにしました。
手作りだとこういう融通はききますね〜。
招待状を作る前には、ご招待する方々に直接会ったり、電話したりしてお願いしました。
みんな「いいよ〜楽しみ〜!」と言ってくれ、本当に嬉しかったです。
招待状の発送日には、彼と二人で招待状の紙を折ったり糊貼ったり。
そして、慣れない筆ペンでへなちょこな宛名書きをしました。

席次表は、席次表カバーの部分を面倒な作りにしてしまったうえに、彼が土日仕事かつ夜勤が増え、手伝ってもらえなくなり、一人切ったり貼ったりコツコツと作業をせざるを得なくなりました。
(でも、あまりに辛かったので母と姉に手伝ってもらいました。)
カバー部分の余り材料で席札も作りました。
席札の名前も手書きしようとしたのですが、断念しました。
手書きのメッセージカードで勘弁してください!(><)
あと、自分で席次表と一緒に綴じるために、二人の生い立ち、出会いや結婚までを書いたものを作ろうとしたのですが、これも断念。
とある業者さんにお願いして「ブライダル新聞」というのを作ってもらいました。
とても早い対応と完成度の高さで、少々高かったのですが、とっても満足しています。

そして、さあ!中身の席次表本体を印刷するか!と思った矢先に、新潟の伯父伯母から地震の影響で来られなくなったと連絡があり、作業ストップ。。。。
でも、今夜には仕上げます!

他には彼の仕事に関連したグッズ(ポストやミニハガキ)を作成したり
(式の演出で使うのです)
小さいウェルカムボード(机の上に飾れる大きさ)を作成したり
写真をたくさん貼れる大きなボードも用意したり、ここ最近はノッポさんもびっくりな仕事ぶりです!私!

元々工作大好きなので、苦にはならないのですが、時間がないのが一番辛いです。
まだまだ式場に飾る写真立てや、色々作るものがあるのですが、あー本当に時間がない!
引っ越しもあるし、自分がもう一人欲しい!と本当に思います。

でも、あと3日!楽しんで頑張ります!

7月14日 -



結婚式前日の準備に大忙し!明日はハレルヤ

いよいよ明日。結婚式です。
あっという間の半年間でした。

私の式は16時半から始まりますが、午後から夕立があるかもってことで、ん〜大丈夫かな?
とちょっと心配です。
せめて、フラワーシャワーはさせてください!お願いします!
とお空にお願い。


この数日は本当に忙しくて、睡眠時間もあまりなく、便秘やら何やらで鼻の下にニキビが3つもできて、とほほほほほ・・・・・。
メイクさんに隠してもらわないと!

今日は朝から銀行に行って新しい名義の通帳をつくり、エステに行って背中と顔を綺麗にしてもらいました。
その後ネイルをしてもらって、大好きだった母方のおじいちゃんおばあちゃんおじちゃんのお墓参りに行きました。
それから、部屋の片づけをして、明日の準備もして、これから両親と姉へ手紙を書きます。
泣いて目が腫れちゃいそうだなあ〜。


今夜は母がお赤飯を炊いてくれました。
小豆が割れずにきれいに炊けたと母は大喜びでした。

家族4人で乾杯をして、父と母に

「楽しい28年間をありがとうね。幸せだった。」

と言われたらやっぱり泣けてきてしまいました。

姉は私に内緒で私の欲しがっていたミッフィーちゃんの表札を作ってくれていて、それをプレゼントしてくれました。
そして、手紙もくれました。
(それを読んでまた涙の私でした。)

彼も御家族とゆっくりのんびり過ごせているといいな。


今日もエステやネイルの方に笑顔で
「明日楽しんでくださいね!」
て言われて、ほんとーーーーーーーーーーーに、たくさんの方の力があって明日を迎えられるんだ。
て感じました。

私が結婚式当日暑そうだね。ごめんね。
と言ったら
「夏は暑いからいいんだ!
 暑いときだからビールが美味いんだ!
 だからいいんだよ!」

と笑い飛ばしてくれた友人。

あれやこれやと周りを心配する私に
「自分が幸せになる事だけを考えて!
 逆に周りに気疲れさせるつもりで、ゆったり臨んでください。
 当日は周りがすべてやってくれます。 
 周りには甘えるだけ甘えて行動すればいいんです。
 人生一度の主人公になれる日なんですから・・・。」

と言ってくれた年上の友人。

彼の仕事仲間はみんな明日仕事で、仕事終わってから来てくれることになっています。
でも、最近は仕事量が増え大変なようなのですが、
「お前は何も心配するな!早く仕事終わらせて絶対挙式から見に行ってやるから!」
て言ってくれたそうです。

いつも明るく笑って励ましてくれる仲間が周りにいてくれて、本当に幸せだと思っています。
彼とも昨日「私たちは本当に幸せだね。」て話をしました。


支えてくれたすべての方々の笑顔とお祝いの言葉と温かい励ましを思い出して、明日は世界で一番幸せな笑顔になれそうな気がします。

ももさんをはじめももカフェのみなさんも本当に本当にありがとうございました。

結婚式が終わったらまた愛に来ます。


顔晴ってきますね☆

7月13日 -



結婚式の誓いのキスは3秒で!笑顔の結婚式

とっても遅くなりましたが、結婚式のことを書きます。
とってもとっても長くなってしまいましたが、宜しくお願いします☆

2007年7月28日。

実は前日の夜とても悲しくつらい出来事があり、とても結婚式を挙げられるような気持ちではなくなってしまっていました。
彼には
「さとこのためにみんな来てくれるんだから、
 さとこが元気出さなくてどうするんだ!?」
と叱られましたが、どうしても気持ちは落ち込むばかり。
そして、20年ぶりくらいに母にしがみついて泣きじゃくりました。。。。

そして、とても気持ち良い晴天の当日を迎えましたが、どうしても笑顔になれず目は泣いてパンパンに腫れ家族に
「花嫁がそんな顔してちゃだめ!」
と言われ、励まされ、何とかお昼頃には元気を取り戻せました。

そして、みんなでお昼ご飯を食べ、13時30分に式場へ向かうタクシーが到着する予定だったので、みんなで準備をして。
タクシーが着く直前、父と母と姉に挨拶をしました。(三つ指ついて)
今までの感謝とこれからの期待と不安とを語り出すうちまたまた花嫁さとこは涙がぽろぽろ。
父は目を真っ赤にし、母はめっちゃ笑顔で、姉もぽろぽろ涙をこぼしながら挨拶を聞いてくれました。
そして、3人からそれぞれ「体に気をつけて。」「喧嘩はしてもいいんだよ。」「ありがとう。」と言葉をもらって、さあ!出発です!
父が
「チーム○○家(私の旧姓)今日は笑顔でがんばるぞ〜!!」
というと母と姉と私で
「おお〜!!!!」てなぜか円陣を組む家族。おかげで元気に出発できました。

そして、式場に着き、控え室でメイクが始まりました。
しばらくすると、彼も到着し、彼はまずは祝電のチェックです。
なんと!祝電の中にアンパンマン電報があって、かなり興奮。
(ずっと欲しかったのです!!!)
それは姉のお友達で私を妹のようにいつも可愛がってくれた方からの電報でした。
そんな思いがけない祝電だけでも泣きそうになる私でした。

そして、順調に花嫁と花婿が完成し、カメラマンさんやビデオ撮影の方も登場し、撮影タイムになりました。
それが終わるとチャペル挙式のリハーサルです。
このとき父と母は初めて私の花嫁姿を目にしたわけですが、ふたりとも
「いやいや〜あらら〜花嫁さんね〜」
と笑顔で不思議な感想(?)を述べてくれました(苦笑)

私たちの挙式に来てくれた神父さんはティムというとても明るくて笑顔がかわいい方で、実は彼が模擬挙式を見たときにティム神父を見て
「あの神父さんいいわ〜すごい好きだわ〜」
と言っていたのを式場の方が覚えていてくれて、特別にお願いをしてくれたそうなのです!
なんとありがたい。
(余談ですが私はこのティム神父のおかげで終始笑顔で挙式を終えることができました。)
そして、リハーサルを終え、親族紹介の時間です。続々と入ってくる親族。
10年ぶりに会う従兄や叔父叔母もいたので、めちゃくちゃ興奮してしまいました!!!
「あ〜!おばちゃ〜ん久しぶり〜!!!!!」
てな感じで^^;

そして、親族紹介・親族写真撮影が終わると
「さあ。本番ですよ!」と式場の方。
「どへ〜!!!!!!
 もうですか?もうですか!?」

とにわかに焦る花嫁。あ〜始まったら終わっちゃうなあ。。。。という不思議な寂しさが胸に込み上げてきました。
チャペルに入場するとき、実は父も私も泣くかな?と思ったのですが、案外入場前も
「いよいよだね〜。楽しくいこうね!」
と二人すごく楽しくなっていて、明るい表情のまま入場することができました。

そして、挙式が始まりました。
リハーサルをしたけれど、やっぱり色々手を組むところとか忘れていて何度もティム神父にジェスチャーとウィンクで指示を出してもらいました(苦笑)
そして、指輪交換では大方の予想通り「入らない・・・・」と彼がかなり困惑の表情を浮かべたので、母と姉の「くすっ」という笑い声が聞こえてきました。
(彼の指にはすんなり入ったのです)

そして、結婚証明書に署名するのも、事前に
「2007年て書いてくださいね。」
と言われていたのに、思いっきり彼は
「19年」
ておい!平成かい!?西暦だっちゅーの!
と書き間違え、横から私が「2007て書くんだよ」とこっそり教えると、19を無理やり2007に書き換えたのでした。。。。。

そして、賛美歌を歌って退場し、最後ドアの前で二人向き合い神父様が
「You may kiss the bride!(新婦にキスを!)」
と言い誓いのキスをするとドアがぱ〜っと開いてすごく印象深いシーンになるはずが、
彼は思いっきり
「あれ?手袋ってどうするんだっけ?しまうんだっけ?」
とごそごそしているうちにタイミングを逃し、ドアが開く〜・・・私が小声で
「おいおいキスだよキス!」
と突っ込むと、慌てておでこにチュ〜としてくれました。
(ここでの式場の方からの指示“キスは3秒で!”は守れたようです)
は〜やっぱり私たちはドタバタ夫婦だなあと改めて感じました。

そして、フラワーシャワーをして、場所を変えてウェルカムパーティーとやらの時間です。
披露宴までの時間にちょこっとパーティーの時間があってみんなで写真を撮ったり飲んだりおしゃべりしたりできるのです^^
友達みんなおめかししていてすっごくかわいくなってて、その姿に私はまたニコニコ笑顔になったのでした。
そして、彼のウェルカムスピーチがあり、いよいよ(!?)ブーケトスです!
まさか自分がブーケを投げる日がこようとは・・・という不思議な思いと
彼の「ちゃんと投げれる?」という不安と、
みなさんの「3・2・1」というカウントダウンとともに、ブーケは私の手を離れキレイな曲線を描いて一人の友達の手元にストンとおさまりました。

実は受けとって欲しいと思っていた友達だったので、本当に私も嬉しかったです!
幸せになってね!

そして、写真撮影タイムやそれぞれの友達・仲間の紹介タイムが終わりいよいよ披露宴であります!

披露宴が始まって、メインテーブルに座ってもどこか夢の中のようで
「本当に結婚式してるんだよね・・・?」
と彼とふたりで「実感がない〜」を連発。
乾杯の前に司会者さんからプロフィール紹介も兼ねてインタビューを受けたのですが、ここでテーブルに用意されているはずのマイクがない。。。。
「ご新郎様その右手にあるリボンのついたマイクを取ってください!」
と司会者の方にしきりにいわれるのですが、
「・・・・・これってどうみてもケーキカットのナイフだよねえ・・・・?」
と、とりあえず持ち上げる彼。が、やっぱりナイフ・・・・。
「あれ!?申し訳ないです!今からマイク持っていきます!」
と慌てる司会者さん。
笑いがわきあがる会場。
いや〜なんとも思い出に残るマイク事件でございました。

そして、乾杯のご挨拶と御発声を彼の上司の方からいただいて、宴の始まり始まり〜☆

みんなが楽しそうにしゃべって笑って食べていてくれる姿を眺めていると、
「ああ、これが私の幸せなのかもしれないなあ。」
と感じました。

次に彼の叔父様からスピーチをいただきました。
彼の育ったふるさとのすばらしさを熱く語ってくれました。
が、途中で酔いがよい具合に回ってきてしまったらしく、彼が
「やばい叔父ちゃん話がまとまらなくなっている・・・・」
と苦笑い。それでも、元教師の話術は素晴らしかったです!聞きやすくわかりやすくて、彼のふるさとのこと、彼のことを皆さんにわかっていただけたと思います。
次は私の叔父のスピーチです。
地震の影響で来れなくなった伯父に代わってスピーチを急遽引き受けてくれた叔父。
彼の叔父様のスピーチがやや長かったこともあり、叔父は何とか文章を短くしようと試みたらしいのですが、うまくいかず本人は
「失敗だ〜(泣)」
と後悔しまくっていたらしいです。
いやいや叔父ちゃん。
神父さんの物まねを取り入れて笑わせようとしてくれたり、優しく「さっとこちゃん」と懐かしい言い方で呼びかけてくれたり、スピーチまで大好きなビールを飲まずに我慢してくれてたり、それだけで私は嬉しくて幸せだよ!!本当にありがとう!

そして、友達とまた写真タイムなどがあり、ケーキ入刀のお時間でございます!
「ケーキの真ん中あたりを狙ってください」
というアバウトな指示で、ちょっとドキドキしながらのケーキカットでした。
ちゃんとできてよかった。ふ〜。
生まれて初めてあんな数のカメラに狙われてしかも携帯でも撮られて、芸能人て大変だね!
とわけのわからない感想を述べ合う私たち。
ファーストバイトということでお互いにケーキを食べさせあい、ケーキタイムも終了。

そして、もうお色直し退場の時間になりました。
退場は私も彼も自分のお母さんとお姉さんとすると事前に決めてはいましたが、本人達には内緒にしていました。
なので、母は思いっきりくつろいで食事を楽しんでおり、司会者の方に
「お母様!どうぞ前へ!」
と言われ、みんなの注目を浴びた時には目が点、口がもぐもぐしていました。その姿を見て大笑いしていた姉もまたパンを一口食べたところで
「お姉さまもお願いします!」
と言われ、また目が点、口もぐもぐ。。。。。
後で母と姉に「なーんであんなにタイミング良く人を呼びつけるの〜!?」と言われましたが、それもまた記念ですね^^

中座の時には、ブライダル新聞を配ってもらったり、私たちにメッセージをもらおうとメッセージカードを配って書いてもらったり、ビデオの方が色んな方にビデオレターをもらったりと、してもらいました。
(メッセージカードは何度も何度も読み返してはウルウルいまだにしています)

そして、再入場です。
それぞれのテーブルを回って写真撮ったりおしゃべりしたりしたかったので、再入場とともに各卓を回ることにしました。
このとき、金色のりんごの入れ物に入ったドライアイス(幸せのリンゴ)とLEDキューブ(幸せの種)を配りました。
これは、フェアリーアイスキューブという演出で、それは水の中にドライアイスとLEDキューブを一緒に入れると、スモークがもくもくと出て水の中では化学反応を起こしたキューブがくるくる回転し、発光するというものなのです。
そして、発光する色は6色あったのですが、そのうちの1色を当たり色にしましょう!というプランナーさんのアドバイスで、を当たりの色にしました。

もっと、テーブルラウンドは時間があるかと思ったのですが、案外写真を撮ったら
「はい!次!」「はい!次!」とせかされて、あまりゆっくりできなかったのがちょっと残念です。

そして、すべてのテーブルを回り終えると、いよいよ演出のはじまりはじまり〜。
私たちのテーブルにも大きな花瓶のような水が入った器が用意されていて、みんなで一斉にドライアイスとキューブを水に投入!!!

お〜〜〜!!!!
光ってるスモーク出てる!
回ってる〜〜〜〜!!!!


面白かったです。そして、私たちのテーブルと同じに輝くキューブのテーブルのみなさんに前に出てきてもらって、当たりの景品を渡しました。
(景品は彼の故郷の銘菓でございました)

そして、一息つくとすぐ、「ケーキをみなさんにお配りしましょう〜!」ということで、彼はギャルソン風なエプロン、私はフリフリエプロン姿になり、パティシエさんが切り分けてくれたウェディングケーキをみなさんに渡していきました。

そして、それも終わりまた一息つくとすぐ、「花束贈呈のお時間です。」ということで、もうラストでございます。

ずーっと楽しい楽しいと笑顔だった私ですが、花束贈呈時に母に花束を渡そうとしたら
「おめでとう。良かったね。みなさんにおめでとうって言ってもらえて、みなさんに喜んでもらえて、本当に良かったね。」
と言われて、はい。
顔ぐちゃぐちゃにして大号泣しちゃいました
(TДT)おかあさ〜ん!


最後に彼のお父様から素晴らしいご挨拶をいただき、いよいよ彼のめっちゃ気にしていた謝辞ターイム!
(途中カンペを見ている姿を私の友達にしっかりと目撃されておりました。)

そして、見事に途中台詞ぶっとんでました(きゃ〜)
彼の同僚から「がんばれ!」と激が飛んだのですが、どうにも真っ白になってしまったらしく、途中できっぱり男らしく!?

「すいません。言いたいこと全部飛んじゃいました。」

と告白すると、みなさんからは温かい励ましと笑顔をいただけました。

「えーとにかく!今日はたくさんのお祝いの言葉と温かい笑顔を
 いただき本当にありがとうございました!
 皆さんのおかげで今日を迎えることができたと本当に感謝しています。
 まだ未熟な僕らではありますが、これからも温かく見守ってください!」

と何とか無事終了〜。
後で聞くと
「いや〜親父と言葉がかぶってたから変えようとしたらダメだった〜。」
らしいです。
まあ、それが彼らしい謝辞だったかな?と今は思っています。

そしてみんなをお見送りです。
(お見送りBGMはSMAPさんの「ありがとう」にしました。)
スピーチをしてくれた叔父に思いっきり抱きつかれたり、弟のような同僚とも抱き合ったり、昔は絶対泣かなかった友達が子供産んで変わったのか「さとこ〜めっちゃいい式だったよおおお〜」と目をウルウルさせたのを見て私もウルウルしちゃったり、前日の悲しい出来事が頭のどこかに引っかかっていたのをとある友達の顔見たら何か安心して号泣しちゃったり、最後の最後まで忙しかったです。

控え室でドレスを脱いで、食べれなかったお食事をいただきました。
「あ〜終わっちゃった〜。もうここにも来ないんだね〜。次の目標どうしよう〜」
とふたりでしんみりしていると、プランナーさんに

「さあ!次は長女誕生ですよ!長女誕生!!!
 なんでかわかんないけど、長女ですよ!
 おふたりは長女ってかんじですから!」

と次の目標を設定され、式場を後にしました。

式が終わって、改めて支えてくれたたくさんの人たちの存在を感じました。
ふたりだけでは、きっとあんなに楽しい一日にはなりませんでした。
それに、式場の評判もとてもよく、スタッフの方々の対応もとても良かったとみなさんがおっしゃっていて、この式場を選んで良かった!とも思いました。


式が終わって、家族や友達からもらった写真を見ると、本当に楽しそうに笑う彼と私。

でも、それ以上に来てくれた友達や親戚が楽しそうにしているのが、本当に嬉しかったです。
彼の同僚も
「ごめん。めちゃくちゃ楽しみすぎて飲みすぎた〜」
と言っていたらしいですが、それだけ楽しい雰囲気にできていたのなら、それはとても嬉しいことだと思います。

そして、何より来てくれた方々からも
「すっごく楽しかった。ありがとう。」
というお言葉をいただけて、本当に嬉しかったです。

結婚式を迎えるまで、たくさんの方に迷惑もかけました。
嫌な思いをさせてしまった方もいると思います。
本当にごめんなさい。

でも、二人が願っていた通り、アットホームで笑顔溢れる結婚式にできたかな?と自己満足で申し訳ないですが、そう思っています。

大変なこともたっくさんあったけど、全部ひっくるめて今は
「やってよかった。頑張ってよかった。」
と思っています。


人生で一番よく笑った日でした。

人生で一番人の温かさを感じた日でした。

ほんとーーーーーーーに!!

結婚式たのしかったです!!!
ありがとうございました!!!

7月12日 -



最後の結婚奮闘記、ありがとうございました。

この日が来ることは、書き始めたときからわかってはいましたが、やはり最後となると、胸がきゅーんとしてしまいますね。

今日で私の結婚奮闘記は最後となります。
でも、書きたい気持ちがありすぎて、全然まとまりません。

今年の2月28日から書き始めてから今日でちょうど半年。
結婚式からちょうど1ヶ月です。
そして、私の29回目の誕生日です。
なので、この最後の奮闘記も、終わりではなく何かの始まりのような気持ちで書いています。


先日式場にお願いしていたビデオが届き、旦那さんとふたりで観ました。
ん〜思い出すあの日。。。。というしみじみした感じではなく、
「あはははは。緊張してる〜!」
「うわ!俺何しゃべってるかわっかんね〜!」
と二人でまた大爆笑でビデオを鑑賞いたしました。
中座のあいだとかに、友達や親戚からメッセージをもらっていてくれて、それを見てまた胸がじーんと熱くなりました。

ここで、ちょっと旦那さんと一緒に生活を始めてからの日々をご報告いたします。
毎日
「おやすみ」「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえり」
を顔を見て言える生活。
この1ヶ月特に大きな喧嘩もなく、かといってラブラブ新婚さん☆という感じでもなく、なんだろう。。。。
不思議に落ち着いています。
(お互いに我慢とかは多少しているだろうけど)

家でずっと一緒にいるときより、仕事などで離れて
「もうすぐ帰ってくるかな〜」
と待っている時間の方が、なんだか
「ああ、結婚したんだなあ。」
と感じられて、ちょっとうれしくなったりします。

やはり仕事と家事の両立は大変でまだまだ慣れず、指に湿疹できたり包丁で爪切ったりいろいろとありますが!段々と段取りとかは良くなってきている気がします・・・・。
そして、彼もゴミ出しやお皿洗いなどなど、彼なりに私の負担を軽くしようと頑張ってくれているのがよくわかります。
彼が頑張りすぎているんじゃないか?辛いのを我慢しているんじゃないか?
と不安になり、聞いてみると

「背負うものが増えること。負担が増えること。
 それが誰かと生きていく結婚するってことだよね。
 結婚することは自分で選んだんだから、大丈夫だよ。」

と言ってくれ、その気持ちをいつまでも持ってもらえるよう、私も旦那様のために色々頑張りたいと思いました。

「みなさんのように、ももさんに結婚報告できたらな〜」
と思っていた私が、まさかこの素敵なももカフェでこんな思い出に残ることができるとは、一年前の私には想像もつきませんでした。

今まで長いバタバタの奮闘記を読んでくださった方々やコメントまでくださった方々。
本当に本当にありがとうございました。
みなさんの言葉、とても嬉しかったです。
前へ進む原動力になりました。

同じ時期に奮闘記を綴ってきたあげはさん。
いつもキレイにまとまった文章に感動し、自分のバタバタすぎる奮闘記を一緒に載せてよいものか!?悩んだ時もありました。あげはさんの入籍の日に私は結納をし、あげはさんのお誕生日に前撮りし、一日違いで結婚式。偶然の重なりに今は運命さえも感じています。

本当にありがとうございました。
旦那様とこれからも元気で楽しく明るくずっとずっとお幸せに☆

そして、そして!ももさん。
このような素晴らしい機会をいただき、本当にありがとうございました。自分の経験を書き綴る日々は、自分と素直に向き合うことができる貴重な日々でした。書きながらたくさんの人の顔や言葉を思い出し、泣きながら書くことも少なくなかったです。(今も涙たまってますけどね(T_T))

実は、お話をいただいたとき、書き始めたときは、「ちゃんと最後まで書けるだろうか?途中で結婚できない〜!なんてことになって、ももさんにご迷惑をかけたらどうしようか?」て、本当はすごく怖かったです。

でも、今しかできないことだと思い、とにかく前を向いて歩こう!走ろう!と思いました。なので、今はどこか走りぬけた後の達成感なのかな?そういったすがすがしさも感じています。そして、結婚式と同じように「たのしかった〜!!!」

と心から笑顔で言えます!v(^▽^)v
本当にありがとうございました。


結婚が決まってから結婚式をするまで。
本当にたくさんのことがありました。
でも、その日々があって私はまたひとつ成長できた気がします。
なので、結婚してよかった。
と、そういう意味で本当に思います。

皆様からいただいたお言葉や温かさは私の中で今もほかほか心を温めてくれています。

そして、この温かさをこれから色んな人に分けてあげることができたらと思っています。
それが、みなさんへの恩返しになると思っています。

それぞれのご先祖様たちがつないできた道の途中で、彼と私が同じ時代に、この世界に生まれてきたこと。
そして、出会えたこと。想い合えたこと。
奇跡のような日々に感謝をし、笑顔を忘れず元気にふたりでこれから新しい未来を創っていこうと思います。

また愛にきます☆
その日まで、みなさんもお体大事にして、元気でいてください!!

本当にありがとうございました。

2007/8/28 さとこより。

8月28日 -