ゆう☆の結婚体験談です。

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ゆう☆ちゃんのプロフィール

1980年8月生・B型・子天中殺・妹ひとり。
ダーリンは2歳年上。牡牛座・A型

1999年5月。出会い
2005年11月。入籍。挙式

1月31日 -



はじめてのまっきぃ。

 この日、私の日記に初めてまっきぃの名が出てきます。

 当時、絶対にライターになるんだ!と、意気込んで入学した専門学校で、私は一人ぽつんとしていました。

 4月の中旬から、新入生を対象としたオリエンテーションは開かれていたのに、なぜだか私は、誰にも話しかけることなく一人でいました。

 ただひたすら高校時代のことを懐かしく想い、突然の環境の変化に戸惑っていました。ピアスしても、髪を染めても、ネイルを塗っても、もう誰も叱らない。突然の自由。すべては私のセレクトで、私の責任。そのことにおびえていたのかもしれません。


 そんな中、5月に入りやっとクラス単位での授業が始まり、ある授業の中で、一人ずつ前に出て自己紹介をすることになりました。

 みんなの注目を浴びたのが、18歳の私たちの中で唯一の22歳の彼でした。一念発起してこの学校に来たという彼は、私の目にはずいぶん大人に見えていました。

 それがまっきぃです。

 でも、このときは単なるクラスメート・・・というか、「22歳で学校に入り直すなんて、すごいなぁー」っていう気持ちだけでした。


 そして28日。
 この日は、初めてのクラスでの飲み会でした。
 幹事はまっきぃ。
 彼は自分が楽しむよりも、忙しくみんなの世話をしていました。

 その帰り道、酔っ払ってしまった女の子を、帰り道が同じ方向の私とまっきぃとで送り届けることになり、みんなと分かれ歩いていました。まっきぃが彼女をおぶって、私が二人の荷物を持って。

 ふとみると、まっきぃはあまりにもやさしく介抱していました。幹事だから責任があったにしろ、私は、ここにいては邪魔なのでは?と思うぐらいに。それを見て、胸の中でもやもやするものが生まれました。

 今思えばそのとき初めて、まっきぃを男性として意識するようになったんだろうなぁ。

 ただ、このときすでにまっきぃのハートの中には、このときの介抱した女の子が住んでいたんです。

 そんなことを知る由もない、私の想いは、出足から雲行きの怪しいものでした。

1月31日 -



好きなのかな?

 この頃、クラスの仲間数人で、サークルを立ち上げることになりました。音楽雑誌を作る勉強をしていたので、自分たちでフリーペーパーを作って、CDショップなどにおいてもらおう!と考えたんです。

 そのサークルの代表となったのが、まっきぃで、サブを勤めることになったのが私でした。これまで以上に一緒にいることが多くなり、気がつくとバイトや学校が休みの日にも、「まっきぃはどうしてるのかなぁ」と考えるようになり、そのたびに自分の中で「好きなのかな?」と問いかける日々でした。

 でも、自分で出す答えはNO。

 と、いうのも私の中で「恋してる」状態は、それまでの恋愛のように、その人のことを常に考えてしまうような、のぼせ上がった状態の事だと思っていたんです。なので、“今日一日にどれだけまっきぃのことを考えていたか”を恋しているのかどうかのバロメーターにしていました。

 するとやっぱり、「恋している状態」だとは思えなかった。毎日毎日彼のことを考えてる…というのではない気がしたんです。でもそれは、私の中でブレーキがかかっていたのかもしれません。

 最初の飲み会の帰りがけのことが、頭のどこかで引っかかっていたんです。

 あの後、まっきぃがあの時の彼女のことを想っていると知り、その後告白して振られたらしい(^−^;とも、クラスの仲間から聞いていました。でも、私とその彼女とでは、タイプがぜんぜん違った。

 だから、彼の好みは私ではないだろうと、自分の中にあった思いを、気のせいにしてしまっていました。

 それに、不確かな夢を追いかけてる途中で、この道で本当にいいの?と自問自答の日々。これ以上、どうなるかわからないものを抱え込む余裕がなかったのも確かでした。

1月31日 -



告白。そして失恋。

 ミレニアムの元旦。
 年賀状の束を眺めて、じーーーっと考え込んでいました。
 まっきぃからは来てなかったんです。

 学校が休みに入る前、意を決して住所をメモってもらい、手書きした年賀状の中でも、一番できの良いものを彼に送っていました。

 でも、そのことに気がついたのが、もう夕方でした。すぐに気がつかなかったんだから、やっぱり彼を想っているわけではないんだな…と、ちょっとホッとしていました。

 その後、出かける車の中でゆずの「出口」という曲がかかっていました。当時何度も聞いた曲なのに、急に涙が出てきてしまった。

 “なにもなかったら 本当に こんなに苦しまずにすんだのに”出だしのその歌詞を聴いて、「私はそういう思いをしたくなかっただけなんだ」と、自分の中で「理解」してしまったんです。やっぱり、ほんとは好きで好きで、仕方なかったんだと。

 ただその気持ちを認めて、これまでのように叶わない想いに振り回されたくなかった。だから、あれこれ理由をつけてなくそうとしてたんだな…と。


 翌日2日。

 自分でもびっくりするぐらい素直でした。
 一日もやもやと考えて、お風呂の中で、この日告白することを決意しました。前日に気がついちゃった思いは、もうどうしようもないぐらいに、おっきく膨らんでしまっていたんです。

 震える指で「電話してもいい?」とメールをしました。
 実家に帰ってるらしく、まっきぃから「いいよ」とメールが来たときは、心臓バクバクでした。

 あんなに気になっていた、あの彼女や他の女の子たちが頭から消えていました。この際、なんでもいい。今さえ素直になれたら。半ば勢いだけで気持ちを伝えました。

 結果は・・・・NO。

 まっきぃもあれから、他に想い始めた人がいて、その人に振られてしまったとこだったというのです。(今思えば、まっきぃも不器用な人でした。好きなのにうまく表せなかったんだろうなぁ)

 「いま、その気持ちを受けたら、俺が彼女に告白したことが嘘になる」
 それが理由でした。

 自分のタイミングの悪さを嘆いたけど、でも、まっきいは最後までやさしかった。電話を切るのも、私が切るまで待っててくれた。

 今、まさにあの「出口」だなぁ・・・と、しみじみ思ったことを覚えてます。
 でも、不思議と涙は出なかった。

 その日の夜中、ゆっくり考えました。「好きだ!」と思って勢いで告白したけれど、考えてみれば私は彼のことを何もしらなかった。学校で見せる、ほんの一面の姿とまっきぃと言う名前だけ。授業が終わって、部屋へ帰ったら何をしてるのか、バイトが何なのか、何が好きなのか…。何も知らないけれど、まっきぃと一緒にいると、安心できて気持ちが穏やかでいられる。確実なのは、この人と一緒にいたい!という気持ちだけでした。


 それからしばらくして学校が始まりました。
 私はうまく今までどおりに接することができました。もともと、何にもないふりをするのは慣れていたし、うまく周りのみんなに知られずに済ますことができていました。

 サークルは年明けに始動しはじめ、無事第一号のフリーペーパーを出し、いくつかのCDショップにお願いをして、置いてもらうこともできていました。

 バイトにサークルに学校と、本格化する就職活動。
 忙しさにごまかされて、まっきぃへの思いはだんだん、小さくなっている気がしていました。

 それでいい。
 実らなかった思いなんだから、もう無理をすることはない。
 忙しい日々は、そう納得させるのには十分でした。

 でも、ふとした瞬間に盛り上がる気持ちを、コントロールできずにいました。

1月31日 -



いつもどおりのまっきぃ

 サークルの男友達が合コンを企画し、私が女友達を連れて行くことになりました。

 告白のことは、サークルの女の子たちには心配かけたので、結果は話していて、彼女たちの協力もあり、特に問題もなく本当に「いつもどおり」でした。

 まっきぃも同じく「いつもどおり」で、それがものすごく悲しかった。
 もう、なかったことになってるんだな・・・と。

 この日の合コンはすばらしく、後になんと2組もカップルが出来上がっていました。私もお誘いしてくれた人がいたのですが、その前の失態を思い出し、気が引けて断っていました。というのも、合コンの席で私は大泣きしてしまったんです。

 男性側の幹事の「星君」は、サークルの男友達の仲でも不思議な空気を持っている人でした。どことなく女の子に近い人で、ぽやーっとしてそうなのにすごく鋭い視点をもっていました。その人にまっきぃとのことをつつかれ、結局告白して振られた・・・という話に至ってしまい、少しお酒が入っていたこともあってか、話しながら泣いてしまった。

 気持ちはもう、落ち着いたんだろうと思っていたのに、泣きながらまだ好きなんだと再認識させられて、頭の中はぐちゃぐちゃでした。

 その中で私を泣かせた(笑)星君が「ほんとにまっきぃが好きなんやなぁ…」と言った事を覚えています。このときこそ、困った人だった星君ですが、後にキューピッド??となるのです。

 翌日、わかりやすいほど、サークルの仲間は私が大泣きしたことを知っていました(−−;
 星君・・・・。
 でもまっきぃは、やっぱりいつもどおりだったんです。

 今思えば、彼もすごく気を使って「いつもどおり」にしてくれていたんでしょう。でも当時の私は、その優しさがどうしても痛かった。私が何かを相談したりして、やっと私だけに向けられるまっきぃの視線。

 心配してほしいがために、些細なことでも彼には話し、相談していました。自分でもなんだか卑怯だな…と思いつつ、やめられないでいました。
 だから、星君を止めなかった。

 この日の合コンでの大泣き事件も、しっかり彼の耳に入っていました。でも、この日のこのことをきっかけに、私はまたまた、やらかしてしまうのでした。

1月31日 -



友達としてのライン

 合コンの日のことを、星君から聞いたまっきぃからメールが来ました。
 「泣いてたって聞いたけど…大丈夫か?」
 という内容でした。それに対して私は辛くなってしまった。

 心配して欲しくって、星君を止めなかったのに、心配されて、辛くなっていたんです。

 自分勝手を理解しつつも、どうにも気持ちの波は止まりませんでした。
 「まっきぃが優しさだけで心配してくれてるのなら、もういいよ」
 とあてつけの様なメールを返し…もうだめだろうな、と思っていた頃、
 「俺、良くないことしたのかな?」
 と返事が来ました。

 何も、言い返せなくなってしまった。
 相変わらず、まっきぃは優しかった。
 その優しさを、独占したかった。私だけに向けてほしかったんです。
 でも今、私に向けられている優しさは、私を思ってではない。
 罪滅ぼしなんだろうかと思うと、苦しくてしょうがなかった。
 苦しいけど、心配されることはやっぱり嬉しかった。
 気持ちはずーっとシーソー状態でした。

 まっきぃは優しいけれど、後一歩踏み出さない優しさなんだと感じていました。それは、私が何に辛く思っているかより先に「ごめんな」といってしまうから。まっきぃは、私と距離を縮めようはしていないんだ…と。

 返事を返せないでいると、まっきぃからメールが来ました。

 「形だけで、心配しているつもりはなかった。ゆう☆は大事な人だ。でも恋人同士にはなれない」

 見た瞬間、ものすっごい脱力感でした。もう終わったんだ。そもそも、自分でまいた種でした。もう少し、穏やかに彼に思って貰えるように努力できたかもしれない。彼の好みどおりに、変われるように。

 けど、私の性格がそれを拒否していました。自分らしさを失ってまで、彼のためだけに…とは、できないだろうと。
 だから、決めました。
 「いつものゆう☆に戻ること」

 それ以来、私がいつもどおりでいれば、何の問題もなかった。ちょくちょく、仲間も一緒に飲みに行ったり、電話したり、一緒に就職活動のエントリーに行ったり…。友達としてのラインさえ崩さなければ、心地いい関係でした。

1月31日 -



はじめて二人だけで会った日

 就職活動も佳境に入り、次々と、内定をもらった人たちの名前が、掲示板に増えていきました。

 そんな中、まったく何も決まっていなかった私は、学校側からの誘いもあって、某イベント会社にお手伝いに行くことになりました。

 新事業に参加し、卒業後は社員として働けるということで、業務内容にちょっと疑問を持ちつつも、「このまま何も決まらないよりは…」と、受けてしまったのです。

 基本的には、事務的なお手伝いでした。広告原稿をデザイナーさんの元に取りに行ったり、電話対応や、パンフレットの作成送付、など。自分の将来に、夢だからと追いかけてきた業界(ちょっと違ったけど…)だけど、これでいいの?と疑問を持ちながら働いていたので、やっぱりうまくなじめず、頑張ろうという元気も沸きませんでした。

 結局、新事業も私も良い波に乗っておらず、この会社は8月いっぱいでお手伝いを辞めることになります。その間、やはり仕事や将来について悩んだりすると、頼るのは案の定まっきぃでした。

 一度、上司に今の仕事をやめたい…と相談したときに、渋い返事を返され(当然だろうけど…)、辞められないかもしれない、とまっきぃに話したことがありました。電話をくれて、その日の夕方食事に連れ出してくれ、色々と話を聞いてくれました。

 将来のこと、仕事のこと。それだけじゃなく、音楽のことや学校のこと。
 たわいもない話でおいしく食事をしました。

 会社の近くにあったタイ風ちゃんこ鍋のお店でした。(ですが、この数年後このお店は移転してなくなってしまいました。)ちゃっかりご馳走になって、「次回は私がご馳走するから!!」と言い張り、ほぼ無理やりに、次の約束を取り付けました…。思えば、この日がはじめて二人だけで会った日でした。

 食事の後、缶ビールもってちょっとした広場になっているところで、涼んでいました。やっぱり、まっきぃのとなりは落ち着く。想いを閉じ込めているとはいえ、そのことに変わりはありませんでした。

 「ゆう☆は、リアリスト見習いだから。これから頑張ることは多いだろうけど、ちゃんとできる子だから」。と、励ましてくれていました。思えば当時の彼にとっての私は、手のかかる妹のような存在だったんでしょう…。私もそれをなんとなく感じ取り、お互いがお互いの役を演じていたような気がします。

 それでも、穏やかな空気がそこにはありました。

 そのまま、話は尽きず(というか、私ばかりしゃべって)終電ぎりぎりになって、あわてて電車に向かって走っていると、まっきぃが“ぽろっ”と言いました。

 「間に合わなかったら、うちに泊まっていいから」

 その言葉に一瞬?が飛んだんだけど、電車に乗ってからも、今すぐまっきぃのところへ行きたくて仕方なかった。

 ホントは、この電車を見送ってしまいたかった。
 けど…行きませんでした。

 理性が働いたというより、閉じ込めた気持ちをまたコントロールできなくなるのが怖かった。まっきぃは知ってか知らずか(というか、完全に「友達」としてだったんだろうけど)、こうやって時々私の気持ちを再燃させてくれるのでした。

 この夏、まっきぃは無事今のところに就職が決まり、内定決定以後の夏休みは実家のほうで過ごしていました。

 彼が卒業しても大阪にいる。と決まった時点で、私もホッとしていました。卒業しても会える可能性が、わずかでもできたから。そのことが、私の中で大きなエネルギー源になりました。

1月31日 -



クリスマスイブ

卒業への単位取得も問題なく進んでいて、全部の授業に出なくても大丈夫でした。

週に学校へ行くのは3日程。

代表だったまっきぃも、内定先にバイトに行くことになり、極端に会う回数も減りました。いよいよ、引き際なんだろうな…と、自分からの連絡を絶つことにしました。ちょうどその頃、編集プロダクションや出版社の研修に行くことができ、私も忙しくなっていました。

あっという間に10日、20日と日にちが経ってしまっていました。

けれど、研修には行っても結局はまだ迷い、選考から辞退したりというのを繰り返していました。自分が何をしていきたいのか、そもそも、なんでこの業界で仕事をしたいのか…。
考え込むことが多くなりました。
恋愛だけでは、人生は進まない。
「まず自分だな」と痛感した時期でもあります。
卒業してもあえる可能性ができたとはいえ、このまま思い続けるのは、あまりに情けない。ため息ばかりついて、ただただ、毎日を流すように過ごしていました。

ところが、突然奇跡がやってきました。
サークル仲間で飲みにいったとき「クリスマスは、バイトもないし『エクソシスト』見にいこうかな〜」と言ったことで、まっきぃと会うことになりました。

まっきぃも見たかった映画のようで、その日は仕事もなく予定があいていたようです。「クリスマスに二人で会う」といっても友達同士の遊びの約束な感覚でした。

なにせ見る映画は当時話題のホラー映画。(女の子がブリッジしながら階段下りてくるやつ)しかもその後は、まっきぃが行ってみたいと言っていた、国宝のあるお寺に行く予定でした。…クリスマス・イブなのに。

でもその日から、彼からの連絡は特にありませんでした。
23日になっても音沙汰がなく、自分から「どうする?」というのも気が引けました。12時を過ぎ、日付けが変わっても、連絡はなし。

やっぱり冗談だったんだろうか…。
もう忘れてしまったんだろうなぁ。

と、あきらめながらも常に携帯をそばに置き、ため息つきつつ何度もメールを確認。着る服を散々悩んで決めて、準備していました。
待って待って、12時半。やっと彼からの連絡が来ました。
最終電車で仕事から帰るところのようでした。
翌日の時間を決め、待ち合わせ場所を決めたときは、ホッとして涙が出ました。

翌日のイブは、とーっても寒い日でした。
お昼を食べて、映画を見て、後はただひたすらお寺をめざしました。寒さに耐えながら歩いていたので、会話らしい会話はあまりなく、その後夕飯に入った店で、少し話した程度でした。

それでも、なんだか落ち着いた。
楽しかったんです。私は常に浮き足立ってました。
まっきぃに連絡をしないよう意識したり、もう卒業だからあきらめなくちゃ…と悩んだことも、なんだかどうでも良くなってしまうような。

帰り際、まっきぃは駅まで送ってくれました。「じゃぁね」といって駅への階段を半分まで下りたところで、ふと振り返りました。
まっきぃは、もう後ろを向いて歩き出していました。
その姿に、「やっぱり、ダメなんだ。」と、トボトボとうちに帰りました。一瞬前まで楽しかったのに、2人でいた時間の浮かれを、正された気がしました。
その後、また学校が始まるまでまっきぃとの連絡は途絶えました。
彼も忙しかったし、奇跡から目覚めた私も「忘れる努力」をしていたんです。

その後、2人でいることになってから、この日のことについて話したことがあります。
私が「ずーっと帰っていくのを見ていたんだよ」というと、まっきぃはびっくりしたようでした。
「俺も、ゆう☆が階段を下りていくのを見てたのに」、と。
私たちは、うまい具合にお互いの背中を見送っていたのでした。

1月31日 -



ファーストキス

夜、まっきぃから電話がありました。
サークルに顔を出したとき、そのうちの仲間と喧嘩してしまったんです。私。
そのことについてでした。

それをきっかけに、なんと5時間ほど電話で話していました。
何を話していたのか…は、今となっては覚えてないぐらいたわいもない話。

明け方になり、眠気に勝てなくなりながら、まっきぃがぽつりぽつりと、
「今一緒にいたら、きっと甘えているんだろうな」
「電話切りたくないな。」
と、言ってくれたことに
「かわいい一面もあるんだなぁ」と思ったことを覚えてます。いつでもみんなの兄貴的存在で、頼ってる姿を見たことが無かったので、その一面を見れたことがうれしくて仕方ありませんでした。

数日後、仲間内で卒業旅行へいこう!と言う計画が出てきました。

残念ながら、3月にしか時間はとれず、海外などは期間的にも無理だったので北海道に決定。その中でもどのツアーで行くか、という話し合いをするため、居酒屋さんに集まりカタログ片手に、あれこれ話していました。

ところが話し合うどころか、単なる飲み会に変貌。
そのまま、まっきぃの部屋でまた飲みなおそう!となり、ぞろぞろと移動。
夜中、まっきぃが例の星君と買出しに行く間に、気がつくと私は眠ってしまっていました。

朝8時ごろ、目が覚めてみるとそこにいるのは、私とまっきぃだけ。
二人ともキョトンしてしまいました。
どうやら、星君が気を利かせたのか、いたずら心か、ほかの友人を連れて朝早く帰ってしまったようなのです。

2月の寒い朝でした。
まだまだ眠かった私と、仕事まで時間があったまっきぃと、取りあえずもう少し寝ることに。でも布団は一個。

緊張で眠気なんて飛んでいってしまった私は、まっきぃに背中を向けていました。
思い切って振り返ると、まっきぃは私を見ててくれました。
クリスマスのときのように、すれ違ってはいなかった。

「ぎゅーってしていい?」
って言われて、うなずいた私をぎゅーってしてくれて、少しした後、
「キスしていい?」って。
緊張しながらも、うなずいていました。

「私でいいの?」と、聞くと「ゆう☆がいいの」と返ってきました。
さすがに泣いちゃったなぁ。

その後、まっきぃの会社から電話があり、出勤時間がお昼過ぎに変更になったとのこと。
「神様はよく見てる」
そう言って、ずーっとぎゅっとしててくれました。

その後駅まで手をつないで、仕事に行く彼を見送ったとき、「俺と付き合ってくれる?」とまっきぃからの告白でした。

なんだか、順番が逆な気もしたけど(笑)、素直にうなずきました。
この人と一緒にいれば、ものすごくホッとする。
もう、その気持ちを忘れなくていい。なんだか、夢みたいな日でした。

後に、お付き合いを始めたことが星君の耳に入ると、案の定「僕のおかげでしょ?」と。
しばらくその話でからかわれることになりました
うん、多分。星君のおかげもちょっとあったかな。

この日から、気がつけば丸4年。2005年11月。
私たちは結婚することになりました。

1月31日 -



プロポーズ

2001年2月のお付き合いを始めた日から、あーーーっという間に3年が経っていました。

3年の間に、たくさんのことがありました。

初めて二人で旅行したのは沖縄でした。
そこで誕生日プレゼントに、指輪を買ってもらいました。
ですが、石を落とすこと3回!!結局、封印されることとなりました。


それに、二人でいるうちに、彼が仕事が忙しくなかなか会えなくて、いい子ぶった結果、年末に爆発する・・・というのを、数回繰り返しました。
自分の独りよがりに何度も、つまづきました。

2年目のお付き合い記念日には、指輪を贈りあいました。
この指輪は、肌身離さずつけていたのですが、先日、またもや石がなくなりました…。

まっきぃのいいところも、苦手なところも、かっこいいところも、笑っちゃうようなとこも沢山見た。

まっきぃも私に対して、そうだったと思う。



そしてこの日。
お店の改装の話が持ち上がり、4日は夜遅くなるためにまっきぃの部屋へお泊りに行きました。すごく疲れて、ぐったりと彼の部屋に行き、お風呂を借りて出てきた私をぎゅーーっとしてくれた後、

まっきぃがふと言いました。
「結婚しよう」
一瞬?が飛んで、何を言ってるか理解できなかった私に、まっきぃがベランダに隠した花束を差し出しました。

小さなガーベラの花束。

少し前、私が好きだといった花でした。
それを見て、やっと理解して、涙が出ました。
うん。と言った後、われに返ってしまいました。

一生に一度のプロポーズなのに・・・すっぴんでぐったり顔でパジャマなんて・・・あぁーーー!!
私らしいといえば、そうですが。
実はちょっと、「プロポーズしてくれないのかなぁ」と不安になっていたのです。


翌日仕事に花束を持って現れた私に、スタッフが不思議顔。
取り合えず、報告して自慢(笑)

花束は部屋にしばらく飾った後、花びらを集めポプリを作りました。
今も、部屋に飾っています。

1月31日 -



彼が両親に挨拶

プロポーズ後、両親には結婚しようと思う、とは伝えていたのですが5月の末、やっと彼が挨拶にくることになりました。

しかし!
私の仕事を早めに帰らせてもらって、彼と待ち合わすはずが、彼と連絡が取れず・・・。

彼の仕事が押し、携帯も電波がとどかないことで打ち合わせしていたようです。やっと連絡が取れたのは、予定の2時間押し。

「ごめんね・・・もう今日は・・・」
と、凹みまくってしまうまっきぃをなだめすかし(笑)、我が家に着いたのは夜の8時すぎでした。駅前のスーパーで持ってきていたスーツに大急ぎで着替え、緊張しまくりのまっきぃをよそに、私は平然と状況を楽しんでいました。

食事を前に、父に「ゆう☆さんと結婚させてください!!」と言ってくれたときには、さすがにちょっとうるるときましたが、父も母も結婚には了承してくれました。

さっき着替えたスーツを母の促しもあって、即気軽な服に着替えて(^-^;、食事を始めた頃には和やかな空気がありました。


ただ、母が気がかりなのは私が長女だということ。
今の家を継ぐ…というのは大げさですが、将来帰ってきなさいというのが両親の希望でした。
彼もそれを承諾。ですが、両親と、まっきぃと私の考えがあわずまた細やかにもめることとなるのです…。


その後、8月に私が彼の実家へお邪魔し結婚させてほしいとご挨拶を済ませ、その際に初めてまっきぃのおにいさんにお会いしました。

お付き合い4年にして、初めてでした。
温かく迎えてくださり、私の家の事情をくんで「いつか実家を継ぐ」事にも同意してくださいました。

それには本当に、頭が下がる想いでした。

取りあえず、滑り出しは順調。
ですが、その後夏本番になり、私もまっきぃも仕事の忙しい時期に入り、結婚式のお話も中座してしまっていました。

いったん止まった話を再度あっためるのは、なかなか腰が重く、そのくせ焦りもあるものだから、またまた私の爆発がその後、起こってしまうのでした。

1月31日 -



結婚式の日取り決定

夏の忙しさもすぎて、ちょっと気持ちが落ち着いたころ式場もいくつかピックアップしだしました。
ですが、まっきぃの忙しさは相変わらず。

そういう状況にはすっかりなれた気でいたのですが、当初「来年春に結婚式を」と言う話だったので、すっかり私はあたふたしてしまっていました。

挨拶は何とかすませたものの…準備は進まず、それどころか式場も決まらない。
これじゃ結婚できない!!と、爆発してしまいました。
まっきぃも彼なりにあせりはあったようなのですが、結局は彼を悩ませる結果になりました。

話をする時間もないし、先に一緒に暮らせないか?
という提案もでたのですが、当然のように父の大反対に合いました。
「まずは顔合わせをしてからだ!」
と言うことで、何とか予定をあわせ、まっきぃのご両親には遠方にもかかわらず無理なスケジュールで、着て頂き、10月末、何とか顔合わせをすることができました。

そのときに母が私の結婚に対しての思いを話しながら、感極まってしまう場面もありました。大事に育ててもらったこと、じわじわ感じる場面でした。ありがとう。

しかし!
その後、私とまっきぃの間では細かくあれこれと話が合わず、しばしば、けんかばかりでした。

実家を告ぐ時期。
結婚式について。その費用について。結納について。
などなど。

まっきぃは「自分達の結婚式なのだから、自分たちが用意できるお金でできることをしたい」という意見を持っていて、式の内容や段取りに関しても「一度自分で調べて、内容を把握した上で打ち合わせたい」という慎重派。

私は、「自分達のできる範囲で、というのは賛成だけれど、花嫁道具を持たせたいという両親の気持ちを断りたくはないし、“自分達のお金で結婚式をするのだから、口出しするな”なんて絶対に嫌。

それに段取りなどわからないなら、式場などで打ち合わせるときに、選択肢を説明してもらって考えればいいじゃない、という「とりあえず実行派」。

その違いはこれまで気にならなかったことなのに、一気に溝として膨れ上がり結婚はやめるか??みたいな話も出ました。

ですが、何とかかんとか私の両親と、私とまっきぃ、それにまっきぃのご両親でバランスをとりつつ、2月に式場を決定。

2005年11月11日に結婚式を挙げることに決定しました。
日取りが決まってからは、大きなケンカもあまりなく、お互いの主張のバランスも見つけられるようになった気がします。

私は彼の「自分たちで」という主張を汲み取って、両親の「招待客に失礼の無い結婚式を」という伝統的な常識を混ぜ込めていく術を見つけ出しはじめました。つくづく「結婚するって、大変なんだな・・・」と思い知った時期です。

1月31日 -



新居とドレス

式場も決定し、新居をぽつぽつ探し始めました。
なかなか条件に一致するところもなく、ましてや春先。
物件は皆無でした。
引っ越すのは6月ごろにしようか…と相談していたのですが(式の打ち合わせなどをできるよう、忙しくなる夏前に済ませたかったのです)、結局秋の式直前までずれ込みました。
そんな折、不動産屋さんにどんなのがあるか見せてもらおう…といったら、ほぼ希望通りの物件に遭遇。その日のうちに契約してしまいました。なので、まっきぃだけが先にお引越しとなりました。

ところが彼の仕事が忙しいこともあり、大慌てでバタバタと引っ越すことになり、まっきぃには余計なイライラを与えてしまいました。

彼は忙しいほど、言葉が少なくなり、声のトーンが下がる。
そして、忙しいほど、一人になりたがる。

それがだんだんわかってきたのも、このあたりです。
半年前なら、そんな彼にきっと腹を立ててたでしょう。

4月にはドレスを試着。
一度ホテルの衣装室で着させてもらったのですが、「4月の展示会で新作が出ますよ」との事だったので、まっきぃと母と展示会へ。5,6着着てみて、結局一番最初に着たAラインのオフホワイトのドレスと、花びらのようなデザインのピンクのドレスにしました。

思えば、不思議なものでした。
あんなに「結婚なんて!ありえない」と言っていた自分が、本気で迷ってドレスを選び、彼や母の意見に合わせて「そう?じゃぁこっちかなー」なんて乙女チックになって、ほっぺたピンクにしてたんですから!
幸せだなーなんてのほほんとしていたんですから!

それだけ丸くなったのか、考え方が変わったのか。自分は女だったのだと再認識でした。その分、まっきぃと言う存在があって、今の自分がいることにちょっと怖くなったりもしました。
彼にもし、なにかあったりしたら私はどうなるんだろ、なんてことを真剣に不安に思い始め、忙しい彼のことを支えたいと思い始めました。

彼女として、一緒にいるだけじゃなくって。妻として、彼を守り、支え、育て(笑)まさに内助の功で生きていってもかまわないと。
彼の子を生み育てていきたいと。

「結婚して、夫と子供がいて、毎日それに追われて、自分の時間も仕事も無いなんて!無理!!絶えられない!」

そう言ってた、高校時代。まさにその「耐えられない」と思った方向へ、進んでいこうとしてる自分が、なんだかすごく、すがすがしい気持ちでした。

1月31日 -



招待状の発送〜挙式一ヶ月前

8月に招待状を準備
9月の初旬に出し
10月初旬に返信を受け取ると言う予定でした。

宛名書きを、自分達の名前で招待するのだから、自分で書きたい!というまっきぃの意向もあり、自分達でせっせと書く事にしました。

でも、慣れない筆ペンは難しい。悪戦苦闘しながらも、なんとか仕上げ出したのですが、まっきぃは仕事もありなかなか進まず、結局ギリギリに慌てて書いていました。

この辺からまっきぃの『てんぱり奮闘記』が始まります。


招待状の返信がある程度揃いはじめるととたんに忙しくなりました。
式場担当者さんとの打ち合わせ。
司会者惨さんとの打ち合わせ。
お花やさん打ち合わせ。
カメラマン打ち合わせ。
親戚等の衣装手配。
二次会の招待状作成...発送...内容決定→幹事さんへ連絡。
披露宴での演出をきめる、準備、練習(プロポーズブーケ)。
衣装の確認。
二次会景品の準備、披露宴小物(カメラを各卓に置くため、かい出し&メッセージ書き)

細々あげていくときりがないくらい!!
仕事と平行していた事もあり、そのころ会社の人に合う度に『元気ないなぁ』と突っ込まれる始末でした。まっきぃも一杯一杯で、私とは反対の思考を持ってるため、余計にパニックのようでした。


私は『式場にできる事は任せて、自分達にできる範囲をきちんとやれば大丈夫』
まっきぃは『すべてをシュミレーションして理解しておかないと、不安でしかたがない!!』

この考えの違いで、結局挙式前日にも喧嘩をしてしまいました。
結婚式前は喧嘩するよ、と先輩達に言われていた通りに、喧嘩とまでは行かなくても、いつもの電話でさえ、まっきぃのイライラが滲むようになっていました。

今となれば笑い話。
でもその時は私もちょっと、そんな状況にイライラしていたんです。
ちょっとした、マリッジブルーだったのかもしれません。

1月31日 -



引っ越し

10月25日。私に『実家』ができました。
それまでは事務的に引っ越しやさんを決め、もたもたと準備をして、契約を済ませ、
単に予定が空いてるから...とこの日に引っ越しを決めただけでした。

その日は母も仕事を休んでくれました。
あんなに片付けが大変だったのが嘘のように、荷物はテキパキと運び出され、あっという間に私の部屋はからっぽになりました。
トラックが行ってしまうと、私も新居へ行かなくてはなりません。
母と、朝からなんて事ない会話をし、なぜか二人とも引っ越しの話題をさけて来たのだけれど、母がショコラ(愛犬)をつれ、駅までおくると。

電車がきたとき、母がぽつりと『いってらっしゃい…あ、もういってらっしゃい、じゃないんやなぁ…』
と。それを聞いて涙があふれました。
いまだにその時の事を思うと涙が出ます。

父と母のめいいっぱいの愛情を受けて、ここまで育ててもらったんだと言う事がうれしくて、その両親の元から巣立っていくことが、また寂しくて寂しくて。

幸せにならなければ。
心からそう思いました。

1月31日 -



挙式〜披露宴

やって来ました。挙式日。
その前後の日が秋晴れだと言うのに、当日は曇りのち雨。
残念ながら途中から雨でした。

実家から挙式会場へ向かいました。
家族で出かけるなんていつぶりだろう...。なんて思ってました。
素っピンで会場へ向かい、あっという間に準備ははじまりました。
スモックのようなガウンを着て、どんどん仕上げられていくメイクとヘアセット。

リハーサルはできなかったのでぶっつけ本番!!
でも、希望の通りの髪型だったので、ほっとしました。
控え室は花嫁のみが出入りできるようになっており、壁にはウエディングドレスが。
なんだか凄くきれいに見えました。

介添えさんを紹介され、その時に渡された手紙。
新居に送られて来た妹からのお祝に入っていたそう。

「何かあっても、もう一つの家族がいます。安心して、幸せになって下さい」

さっそく涙が出ました。メイクした後なのに。


練習と親戚一同の写真も撮り終えて、13時。結婚式です。

心配していたリングガールも無事にこなしてくれました。
父と、腕を組む等この時が初めてでした。
ゆっくりゆっくり、バージンロードを歩く間、両脇にいる親族や友人。
みんな笑顔でした。


誓います。

神父さん(風邪ひいてて辛そうだった 笑)にむかって、そう言ったのだけれど、心の中ではまっきぃへむかってでした。

健やかなる時も
病める時も
豊かな時も
貧しい時も、
彼と一緒なら、きっと幸せに暮らしていける。
そう思える、世界唯一の人だから。

ちなみにまっきぃの勘違いで、キスはほっぺでした...うーーーん。


そして14時。披露宴。

たくさんの余興をお願いするよりも、みんなでゆっくりお話がしたい。
そのお願いを押し通し、余興はいっさいなし。
お色直しの際、プロポーズブーケをする事でテーブルをまわりました。
たくさん話して、たくさん写真をとって笑って、あっという間に時間は過ぎました。
あんなに人気者な日もそうそうないですよ。人生で一番のアイドル気分な日でした。そして最後は、とうとう花嫁の手紙。

介添えさんから手紙を渡され、最初の一声の時点でもうすでに泣いてしまいました。つけまつげも、一瞬でとれ、まっきぃとすぐそばに座っていた上司が慌てた様でした(笑)手紙と、花束を渡しました。まっきぃの御両親へも、お手紙を添えました。

まっきぃのお父さんからのスピーチには、会場が感動させられました。
途中、涙ながらに話して下さってるのを、まっきぃの友人がぼろぼろなきながら聞いてくれていました。その後、まっきぃのスピーチ。

ロックの歌詞を引用したりしたので、お年寄りには??だったかも知れないけれど、気持ちが伝わった!と好評でした。のちにおばあちゃんに『よか、旦那さんたいねぇ』と言われました☆

みなさんをお送りしたあと、なんだかほーーーっと疲れのような、あったかな充実感がありました。
いつ始まって、いつ終わったんだろうと言うぐらい、あっという間でした。
幸せになります、とは言ったのだけれど、すでに幸せでした。

結婚式なんてめんどくさい、ドレスなんてがらじゃない、なんて言っていた頃が嘘のように、幸せで幸せで、人生で一番時間の流れの早い日でした。さらに、こんなに感謝したのも人生で初めてでした。

幸せになります。

1月31日 -



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結婚奮闘記

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